Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 酷暑と作業と運動と…
    体温を超えるかどうかの高い気温が横浜でも続いています。昨年の夏も暑かった記憶がありますが、今年の暑さは特別な感覚を持ちます。私は3年前に教職を退職して自由な身になったのですが、教職に就いていた頃からやりたかった創作活動があって、自分が若い頃から夢見た彫刻家としての道が開けていることに満足を覚えます。とは言っても社会的な公務はなくなったので、朝から酷暑に見舞われている日は、工房に行くのを控えてもよさそうなものですが、つい9時になると工房に足が向いてしまいます。陶土は湿度や温度に左右される素材で、毎日管理せざるを得ないところがあります。多忙な教職にあって、素材に手間がかかるのは、どんなに仕事が忙しくなっても常に陶土の面倒を見なくてはならず、それが創作活動を続けられる秘訣になったと考えています。今日も工房に出かけ、ビニールに包んであった陶土を取り出し、座布団大の大きめなタタラを6枚作りました。タタラは掌で叩いて薄くのばしていくのですが、これには力加減と根気が要ります。このタタラを再びビニールで覆って一日置きます。これで明日には成形が可能になります。昼頃になって私は、近隣のスポーツ施設に水泳をやりに行きました。火曜日と金曜日は運動をすることにしていて、2時間程度をプールで過ごします。創作活動は一人で坦々と行うのに、運動は周囲に人がいる方が私にはやり易いのです。散歩やジョギング等たった一人でやる運動を私は好みません。皆でワイワイ体を動かすのが私には楽しいと思えるのです。自宅に戻った私は酷暑のせいか、一日のスケジュールのせいか、疲労でぐったりしてしまいました。夕方は自宅の2階にある出窓の張り出し部分に虫が湧き腐り出したので、住宅メーカーを呼びました。修繕をお願いし、その日程を提案していただきました。今日は随分いろいろなことをしたなぁと思いました。少し前ならこの程度の予定は何でもないと思っていたのが、やはり年齢のせいでしょうか。家内からもそれは指摘されることで、今まで通りのイメージでは辛くなるのが身に染みて分かりました。
    「ラファエㇽロ」について・2
    「芸術家列伝2」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 平川祐弘・小谷年司訳)の「ラファエㇽロ」について、2つに分けて気に留まった箇所をピックアップいたします。今回は後半です。「このいとも高貴なる芸術家ラファエㇽロの名声は、フランスやフランドル地方にまで、国境を越えて伝わった。ドイツのアルブレヒト・デューラーは、驚嘆すべき画家で、こよなく美しい銅版画の彫版工であったが、自分の作品を贈呈してラファエㇽロに敬意を表した。そしてリンネルの画布にグワッシュで描いた自画像をラファエㇽロのもとへ送ってよこしたが、それは表側からも裏側からも同じように光が透き通って見えた。鉛白の絵具は使っていないので、ただ水彩でもって色が塗られ地が染められていただけであり、布の光でもって明るく光った部分を浮き上がらせていたのである。こうしたことはラファエㇽロには驚嘆すべきものに思えた。それでラファエㇽロもデューラーに自らの手で描いたデッサンを何枚も送ったが、デューラーはその贈物をまことにかたじけないものとして受け取った。」またラファエㇽロは同時代を生きたレオナルドやミケランジェロには敵わないところを感じ取り、自らのために次のようなことに留意しました。「物語の情景を工夫してそれを巧みに容易に表現し、いろいろな思いつきを上手に描く。そして物語絵の情景を構成する際にあまりにたくさん描きこんで物語を駄目にすることもなく、またあまりに描き足りなくて物語を貧弱にしてしまうこともなく、上手な工夫と秩序の感覚で物語絵を作り上げる。そうした人も分別に富んだ価値ある画工と呼ばれるべきだ、とそう結論するにいたったのである。ラファエㇽロはさらに次のようにも考えた。以上のような特質に加うるに、完璧な画家と呼ばれる人は次のことができなければならない。すなわち、物語絵を種々さまざまな、奇想天外な遠近画法や建築物や風景でもって豊かにする。人物に服を着せる際に、軽やかであるよう工夫する。人物がときには薄暗闇のなかに消え、ときには前方に明瞭に浮かび出るよう工夫する。女、子供、若者、老人の頭を生き生きと美しい頭に描く。そして必要とあらば、それに動きと力を賦与する。ラファエㇽロはまた、次のことも非常に大切だと考えた。すなわち戦闘において馬が逃走するさま、兵士たちが勇猛果敢に戦うさま、そればかりではなく、ありとあらゆる動物を上手に描けなければならない。とくに大切なのは人物によく似た肖像が描ける技術で、その肖像は生き生きとしていて、一見して誰の肖像であるのかすぐそれとわからなければならない。」その勉強熱心さがラファエㇽロを巨匠にしたのだろうと思います。今回はここまでにします。
    映画「『鬼滅の刃』無限城編 」雑感
    公開早々、大変な観客数を記録しているアニメーション映画を、私も観たいと思っていました。私は「鬼滅の刃」は初めからテレビで観ていて、その後映画の「無限列車編」も観に行きました。映画「『鬼滅の刃』無限城編 第一章 猗窩座再来」は、工房での制作があまりに暑いので一時的にそれを避けるために、今日は家内を誘って鴨居にあるエンターテイメント系映画館に観に行ったのでした。映画が始まるとすぐにその人気の理由が分かりました。ストーリーを追うとネタバレになりますので、その状況だけを取り上げて書いていきます。私が惹き込まれたのは、無限城の縦横に描かれた構築物の凄さで、剣士たちが落ちていく描写とそれを捉えたカメラワークでした。その裏側の制作が知りたかったので、図録を購入しました。「動く無限城を舞台にキャラクター達が縦横無尽に戦いを繰り広げる。キャラクターが回りこめば自然と背景も回っていく。背景が回るということは3Dで背景を制作する必要がある。その場合、作画に3Dが合わせていくこともあれば、3Dに合わせて作画を描いていくこともある。いずれにせよ、空間設計からキャラクター芝居の精度まで大変な作業であることは容易に想像がつく。その数、実に680カットにのぼったという。2時間30分を超える長尺の映画で総カット数は2000を超える。それだけでも膨大な物量なのだが、それに加え、全体の約30%を超える680ものカットが3Dのカメラワークを必要とする内容になっていることに驚かされる。」その見応えは充分で、日本のアニメーションの水準が示されていました。内容は鬼と剣士の戦いの連続ですが、「鬼滅の刃」の常套手段と言うべきか、剣士にも鬼にもその育った過程での幸せだった時代があり、怨念に憑りつかれた時代があって、それがストーリーの骨格を成していました。「無限城編」は長尺の映画と聞いていたので、割と覚悟して観ていたのですが、その長さを感じさせないほど、面白いエピソードが盛りだくさんでした。まったく退屈することはなかった「『鬼滅の刃』無限城編 」でしたが、これが「第一章 猗窩座再来」なので、これに続く「第二章」があり、密度の濃い画像を作り上げるために、次の公開はいつになるのだろうと思っているところです。
    「ラファエㇽロ」について・1
    「芸術家列伝2」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 平川祐弘・小谷年司訳)の「ラファエㇽロ」について、2つに分けて気に留まった箇所をピックアップいたします。「普通ならば、長い時間にわたって、天が多くの人々にわかち授けるであろう世にも稀な才能やもろもろのの美質や限りない宝の数々を、天は時に一人の人間に存分に惜しみなく授けることがある。その実例がはっきり見られるのが、ウルビーノ生まれのラファエㇽロ・サンツィオという優美にして秀れた人の場合である。」有名な「鶸の聖母」に関するところを拾います。「幼子キリストは聖母の脚の間におり、小さな聖ヨハネは幼子キリストに小鳥を一羽いそいそと差し出している。二人はそれをたいへん喜んでいる。各人の態度にはそれぞれあどけない単純さと愛らしさとがあり、しかも絵は実に見事に彩られ、入念に制作されているので、人物は、描いたり塗られたりしたというより、本物の肉体からなるように思われた。聖母もまたいかにも神々しく優雅な恩情をたたえており、さらに前景も、風景も、その他の部分も、非常に美しい作品である。」次にミケランジェロと関わりがあるところを拾います。「ラファエㇽロは当時ローマで非常な名声を博した。しかし周囲から非常に美しいともてはやされたおだやかな画風や様式を確立し、ローマ市中の数多くの古代の遺跡や作品を見て絶えず研究したにもかかわらず、当時の彼の作中人物には、その後彼が描き得たような、ある種の偉大さと荘厳さはまだ備わっていなかった。ところでその頃、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂で法王と衝突して法王を狼狽させるという事件がもちあがり、そのためミケランジェロはフィレンツェに逃げることを余儀なくされた。それでブラマンテはシスティーナ礼拝堂の鍵を預かっていたので、友人であるラファエㇽロに、礼拝堂を見せ、ラファエㇽロがミケランジェロのやり方を了解できるよう、便宜を計ってやった。このミケランジェロの作品を見たのが機縁になり、ローマのサン・アゴスティーノ寺で、アンドレーア・サンソヴィーノが描いた聖アンナの上に、すでに一度は描き上げられていたにもかかわらず、預言者イザヤを今日見られるような姿で、ただちに新たに描き直したのである。その作中でラファエㇽロは、ミケランジェロの作品を見たことを参考にして、大いに自己の様式を改良・拡大し、自らの作品に威厳を与えた。それで、その後ミケランジェロがラファエㇽロのこの作品を見た時に、さてはブラマンテがラファエㇽロに便宜を計り、彼に名を成させるために、自分の裏をかいたな、と思ったという話だが、それは確かに事実その通りなのであった。」今回はここまでにします。
    「ジョルジョーネ」について
    「芸術家列伝2」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 平川祐弘・小谷年司訳)の「ジョルジョーネ」について、気に留まった箇所をピックアップいたします。「画家は大きな体と寛大な心の持主であったため、のちに大きなジョルジョすなわちジョルジョーネと呼ばれるにいたった。生まれは卑しかったが、終生礼儀正しかった。ヴェネツィアに育ち、常に女性を愛するのを好み、リュートの響きをたいそう気に入っていた。生前リュートを奏で、声を出して歌わせれば、演奏は絶妙で、貴紳の催す楽曲の集いにしばしば召し出されたほどであった。デッサンの勉強を始めるや、これが気質に合った上に、自然が彼の天性に恵みを垂れたのか、自然の美しさを愛するあまり、実際に写生したものしか作品にしなかった。」ジョルジョーネの絵画に関する考え方が述べられている箇所がありました。「巷間に伝わるところでは、アンドレーア・ヴェルロッキオが例のブロンズの馬を鋳造していた頃、ジョルジョーネと議論していた彫刻家連中はこう言ったという。彫刻においては、一つの彫像だけで、そのまわりをめぐれば、さまざまなポーズや視点が得られ、この点だけでも絵画に立ち勝っていると。ジョルジョーネはこれに対し、次のような意見であった。別にまわりを一周しなくても、一目、ある物語を主題にした絵に視線を投げかけるだけで、一人の人間の種々さまざまなポーズに対応する視点が得られるが、彫刻では、場所を変え、視点を変えなくてはそうはならない。ところが絵画においては、視点は一つでなく多くある。さらに、たった一人の人間を絵にして、全面と背面、両横から見た二つの側面を同時にみせようではないかと申し出た。これには議論の相手方が面くらってしまった。ジョルジョーネはそれを次のようなやり方でなしとげた。まず、肩をひねってくるりとこちらに向いた裸の人物を描き、足もとに澄みきった水面をおいた。そこに体の前面が映って描かれている。片側にピカピカの鎧が脱ぎすててあるため、武具の鏡面にすべてが明瞭に映し出され、左側の面が現われる。反対側には鏡がおかれ、裸像のもう一方の半面が映っている。それは天馬空を行く奔放な思いつきであって、絵画がよりすぐれた腕前と努力をもってすれば、自然を一目見るだけで彫刻以上のことをなしとげることを、効果的に証明しようとジョルジョーネは望んだのであった。」今回はここまでにします。