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  • 新聞記事より「日常の瑣事のうちに…」
    今日の朝日新聞「天声人語」の内容に眼が留まりました。全文を掲載します。「芥川龍之介が、小学2年生か3年生のときだった。かわいいと思うもの、美しいと思うものを書きなさい、という課題が出た。自伝的短編『追憶』によれば、芥川少年の答えは『象』と『雲』。先生は『雲などはどこが美しい?』と言い、✕印をつけたという。ずいぶん乱暴な先生もいたものだ。雲は美しい。特に、この季節、秋の雲は格別だ。春のかすんだ雲とも違い、夏の巨大な入道雲とも異なる。高い空に刷毛でさっとはいたような切れ切れの白い雲は、何とも爽やかである。秋の天気はうつろいやすく、雨や曇りも多いが、それもまたいい。秋陰との言葉もある。陰った空から降る雨は静かで、しっとりとしている。〈蘆も鳴らぬ潟一面の秋ぐもり〉室生犀星。暦を見れば、きょうはもう二十四節気の寒露である。辞書には、露が冷気にあたり、凍りそうな秋の深まりとある。ついこの間までは酷暑の夏だったのに、曼殊沙華も慌ただしく咲き散り、駆け足の秋に気づく。辞書の同じページには、寒露と同音の甘露もあった。甘い味の液体で、中国古来の伝説では、為政者が善政をしくとき、天から降ると言われる。はて、次の雨の日には空を見上げ、舌でも出してみようか。『人生を幸福にするためには、日常の瑣事を愛さなければならぬ』とも芥川は書く。『雲の光、竹のそよぎ、群雀の声、行人の顔、ーあらゆるの日常の瑣事のうちに無上の甘露味を感じなければならぬ』。とるにたらない些細にこそ、美しいものはある。」秋の風情を描いた美麗な文章の中で、私が気になったのは教師がつけた✕印です。芥川の自伝的短編にたまたま掲載されたから、これが発覚したけれど、多くの児童は雲の美しさに否定的な見解を持つこともあるだろうと察します。何と感受性の希薄な教師がいたことかと嘆きつつ、止まれ、現在でもこんな感覚をもつ指導者がいるのだろうか、と疑いたくなる昨今の教育事情もあります。自分が教壇に居た時、己の感覚を生徒に押しつけていいものかどうか、とりわけ美術科授業の中では迷うことが多々ありました。生徒の美しいと感じる心に共感できるかどうか、眼の前に評価がちらつく焦燥感も同時にありました。
    「竹鶏図・梅鯉図屏風」について
    先日見に行った「円山応挙」展の中心に据えた話題作は「竹鶏図・梅鯉図屏風」で、大勢の鑑賞者が作品の前に集まっていました。私も嬉しさを噛み締めながら、じっくり作品を見つめていました。どんな作品なのか、2024年10月8日に私が綴ったNOTE(ブログ)から引用します。「『ともに江戸時代中期の京都画壇を代表する絵師、伊藤若冲(1716~1800)と円山応挙(1733~1795)が合作した屏風が新たに見つかった。2人の合作は類例がない。』(朝日新聞記載)若冲と応挙の展覧会となれば、私は必ず出かけていき、それぞれ画風の異なる超絶技巧の作品を別の場面で堪能してきました。発見された屏風は専門家の鑑定により真作と判断されたようです。~略~この屏風は是非とも見たいものですが、近々大阪中之島美術館で公開されるそうです。これは将来、関東にも巡回してやってくるのでしょうか。」この時の私の気持ちが天に伝わったのか、東京日本橋の三井記念美術館で2大巨匠の競作を見ることができました。今回の図録より引用いたします。「いくぶん控えめな鯉と梅を描いた応挙の絵を見て、若冲は鶏の尾羽に思い切り筆を揮った。応挙は、17歳年上の若冲に敬意を払ってこの絵を描いた。そして若冲は、そんな応挙の敬意と実力をよくわかっていて、だからこそ、おそらく応挙から提案されたこの合作の依頼を受けたのだと思う。そして、私はいまこの合作屏風に眼を凝らしながら、あらためてこの二人の絵師のありように思いを馳せている。若冲の作品は、そのほとんどが花鳥画である。人物画、仏画も手がけてはいるが、きわめて少ない。そして、いわゆる山水画は皆無である。それに対して、応挙は山水、人物、花鳥など、あらゆる画題を手がけて、非の打ちどころのない完璧な様式をつくりだした。」(山下裕二著)京都画壇にあって、しかも自宅も近かった2大巨匠は、きっと競争意識もあったはずで、それ故、合作屏風に籠められた画魂にただならぬ気配を感じたのは私だけではないでしょう。一緒に見ていた家内もその気迫に押されていました。本作は一見に値する作品だと思います。
    日本橋の「円山応挙」展
    先日、東京日本橋室町にある三井記念美術館で開催している「円山応挙」展に行ってきました。江戸時代の絵師は狩野派を中心とした正統がありましたが、そこに伊藤若冲や曽我蕭白らの奇想の画家が加わって、現代の解釈では表現豊かな視覚文化を形成していたと考えられます。それでも主流となった絵師には、円山四条派を打ち立てた円山応挙がいたと私は思っています。日本絵画史の中で西洋絵画のような写実に基づいた絵画は、円山応挙がその代表格で、まさに視覚の再現した世界、つまり見たままを描いた世界に、当時の鑑賞者はその革新性に驚きを持つと同時に、画壇では人気絶頂になったのだろうと想像しています。図録より拾います。「応挙の絵は、現代の多くの人にとっては『ふつう』に見えてしまうのである。だが、江戸時代、18世紀の人々にとっては、まったく『ふつう』ではなく、それまで見たこともなかったようなヴァーチャル・リアリティだったのである。水の中を泳いでいる鯉、眼前に迫ってくるような虎、せり出してくる孔雀の首、遠くまで続く山水の空間…当時の人たちはそんな応挙の画業を喝采を持って受け止めた。だからこそ、応挙は瞬く間に京都画壇のナンバーワンの絵師になった。」(山下裕二著)私が本展で見た応挙の代表作品は、過去に幾度となく見ていますが、それは決して「ふつう」ではなく、そのリアルを求めた絶妙な運筆などが「ふつう」を超えた表現になっていると感じました。それは真摯に向かい合ったであろう手帖の写生や描写表現によく表れています。それが結集して大作屏風が出来上がっているわけで、私が応挙を知った最初の頃、雪の扱いに驚きを持って見つめた「雪松図屏風」や、鯉の描写を飽きるほど見つめた「龍門図」、これは魚が黄河中流の龍門を越えると龍となるという伝説に由来したもので、私はその発想に忘れられない印象がありました。本展に出品されていたそれらの作品に、私は何度も感動を覚えるのでした。本展の中心に据えた話題作はやはり別稿を起こさざるを得ず、また次回のNOTE(ブログ)に書かせていただきます。
    週末 Exhibitionに25’個展をアップ
    日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。今日の内容はホームページに関する話題です。ホームページは現在作っている「発掘シリーズ」が始まった時から、カメラマンに提案されて作品のデジタル化を思いついたものです。彫刻作品はその置かれる場所によって、外見の印象が変わります。同じ形態であっても野外に置かれた作品と、室内に置かれた作品では、まるで別の作品のように見えることもあるのです。それは彫刻作品が周囲の空間を取り込むからで、逆に彫刻は空間を変容させる装置として機能することもあると私は考えています。つまり置かれる環境によって作品の雰囲気が左右されるのです。それを大学時代に師匠の池田宗弘先生が作っていた風景を造形する具象彫刻によって、私は学んだと思っています。池田先生の作品は物語性がありますが、同時に周囲の空気を感じさせる量感の極めて少ない構造体であって、まさに空間演出が際立つ世界なのです。私も陶彫作品によって空気が行き渡るように鑑賞者に思っていただけると幸いと思い、それを伝えるためにデジタル表現を採り入れました。カメラマンがあらゆる環境で撮影した画像に、私自身が視点の効果に留意しながら、それを図録に収め、またホームページにアップしてきました。今回アップした画像は、野外工房でも室内工房でもなく、東京銀座のギャラリーで撮影されたものです。白い壁に囲まれたギャラリーは、作品を一番フラットな状態で見ることができます。そこには野外のような木々の緑もなければ、室内の雑多な道具もありません。周囲の雰囲気に惑わされることがない作品そのものを見ることができます。ホームページの「25’個展」を見ていただけるなら、まずホームページの Exhibitionページをクリックしてください。全体の画像が出てきますので、それぞれの画像にカーソルを当てていただければ、大きな画像が一点ずつ現われます。ご覧になっていただけると幸いです。
    週末 鑑賞3連発の1週間
    週末になりました。定番として土曜日は今週の振り返りを行ないます。今週も相変わらず毎日工房に通ってましたが、今週は9月から10月に入り、10月早々鑑賞3連発を予定していました。工房での陶彫制作は水曜日に窯入れを行ない、その日の夕方から焼成を成功させるために窯以外のブレーカーを落としてしまうのです。水曜日の夜は家内の従弟が横浜の下町でライヴをやっていたので、2人して久しぶりに演奏を聴きに出かけました。生演奏の魅力はその場に居合わせることで心に響く魂があるのだと再確認しました。電気の関係で工房での作業が出来ない木曜日は、家内と東京の美術館巡りをしました。三井記念美術館で開催している「円山応挙」展では、以前から見たかった伊藤若冲と円山応挙の合作による「竹鶏図・梅鯉図屏風」があって、胸を躍らせながら鑑賞してきました。東京ステーションギャラリーで開催している「インド更紗 世界をめぐる物語」展で、古い歴史を持つインド更紗をじっくり鑑賞してきました。2日目の鑑賞は充実した美術品鑑賞だったと思い返しています。鑑賞3連発の最終日は、午前中工房に籠って陶彫制作を行い、午後から家内を誘って映画「チェンソーマン レゼ篇」を観てきました。若い世代の観客層に混じって映画を観ましたが、日本のアニメーションの水準が世界的に見ても誇れるものであることを実感しました。 鑑賞3連発は毎回家内と一緒だったためにその都度話が出来て、これはこれで良かったのではないかと私は思っています。10月に入って漸く涼しくなってきて、秋を満喫したいと願っていたところ、とても良い時間を過ごせていると思っています。今日は2つ目の窯出しも終え、新作が少しずつ姿を現わしてきました。今日は小品にも取り掛かりました。新作に関する造形思考もそのうちNOTE(ブログ)で示していきたいと思っています。