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  • 「象徴主義と綜合主義」について
    「近代絵画史(上)」(高階秀爾著 中公新書)の「第10章 象徴主義と綜合主義」について気になったところをピックアップしていきます。「象徴主義の本質は、モレアスの言葉を借りるならば、『理念に感覚的形態の衣裳をまとわせること』であった。絵画の世界で言うなら、描き出されたものは、単に外面的な衣裳であって、その奥に、直接感覚では捉えることのできない『理念』が隠されているということである。逆に言えば、絵画とは、単に眼に見える世界をそのまま再現するだけではなく、眼に見えない世界、内面の世界、魂の領域にまで探求の眼を向けるところに、その本質的な役割があるというのが、象徴主義の考え方であった。」それでは綜合主義とは何か、こんな論考がありました。「形態の『綜合』は、当然色彩の『綜合』をももたらす。色彩は、こまかく分割されるのではなく、ひとつひとつの『仕切り』のなかでは、平坦で強烈な色面として捉えられる。その結果、画面は、一方ではステンドグラスのように装飾的になると同時に、他方では、眼の前の現実を越えた『思想』の表現ともなる。説教を聞いた後のブルターニュの女たちの姿と、彼女たちの心に浮かんだ幻影とを強烈な赤のバックで結びつけて同一の平面の上に表現した《説教の後の幻影、ヤコブと天使の闘い》など、そのゴーギャンの美学を典型的に示すものと言ってよいであろう。この作品が描かれたのは1888年のことであるが、絵画における象徴主義的綜合主義は、ほぼこの時に成立したと言ってよい。」その代表的な画家であるゴーギャンは、さらに先に進んで行きます。「眼に見える現実とは違った魂の神秘の世界を求めるゴーギャンの冒険は、それだけでは終わらなかった。表面的な繁栄に酔いしれるヨーロッパに強い嫌悪を感じたゴーギャンは、ついに文明世界からの脱出を決意し、遠く未開の地タヒチ島に渡ることになるのである。」この印象主義から象徴主義的綜合主義にわたる大きな変革のなかで、私はゴーギャンの世界が大好きです。これは理念ではなく私の単なる嗜好の問題ですが、平坦に塗られた独特な色彩だけではなく、始原的な生命を感じさせる形態も含めて、私の心に刺さるのです。今回はここまでにします。
    週末 次作のイメージが湧く
    日曜日になりました。毎回日曜日には創作活動に関することを書いています。今日は先週あたりに湧き上がってきた次作のイメージについて、メモを残しておこうと思っています。今までもそうですが、何もないところから突如イメージが出てくることはなく、現状を踏まえて、その発展形として次なる作品が思い浮かぶのです。その源泉は現在制作中の平面作品にありました。現行の平面作品には「痕跡」というタイトルをつけようと考えていて、何かしら完成されたカタチが崩れ、何かが失われていく過程をイメージしています。下部に塗られた抽象性の強い矩形や有機的なカタチの上から、重ね塗りをすることで、次第に失われていく世界を表現しようと意図しています。重層的なイメージを最終的に決定づけるのは最上部にコラージュした杉板の破片です。現在2点の平面作品を作っていますが、来年もさらに2点追加しようと考えました。こうした展開の中で気づいたことですが、私は平面作品の方が自由にイメージを羽ばたかせることができるなぁと感じていて、そこを源泉として段階的に立体作品に誘導することがやり易いと思いました。平面に施している油絵の具による塗装は、以前のNOTE(ブログ)には描写の否定を主張していましたが、重ね塗りに筆致の掠れを多用していることを考えれば、これは描写の一端とも言えて、印象派と何が違わないのかと自問自答しています。立体作品では厚板材で破片を作り、それを陶彫作品による橋桁で支えようと漠然と考えました。厚板材の破片は陶彫作品の橋桁で固定し、破片の一部が宙に浮くようにすれば、浮遊感が表現できるのではないかと考えました。ここでイメージしていることは、まだ粗削りなことばかりなので、これを具現化するための試行錯誤がここから始まるわけです。立体作品には重力と言う課題が常に付き纏うので、平面作品に比べれば不自由なことばかりですが、素材の持つ魅力と、場を支配する空間演出の魔術に惹かれて、制作の中心は相変わらず彫刻にならざるを得ません。来年も頑張っていこうと思っています。
    週末 大黒柱の炙り作業の1週間
    週末になりました。今週を振り返ってみます。今週は今までやっていた平面作品から一旦離れて、「発掘~跨橋~」の作業に移りました。4本の大黒柱にそれぞれ陶彫部品を組み合わせて、最終的な全体構成を決めました。陶彫部品を嵌めていく彫り込みを微調整する必要に駆られ、久しぶりに鑿も使いました。その後、陶彫部品と大黒柱に番号をつけていきましたが、来週には印をつけた和紙にその番号を書き写して、大黒柱と陶彫部品の隠れた箇所に貼っていくつもりです。さて、全体構成が終わった大黒柱にバーナーをあてて炙り作業を開始しました。金ブラシで煤を削ぎ落し、布で拭き取っていく地味な作業ですが、創作とは関係ないようでいて、最終的にはそれによって効果が左右されるので、時間をかけてやっていました。炭化した木材と赤錆色した陶彫の組み合わせに、私は最高のコラボレーションを見る思いがしていて、大変気に入っています。とりわけ大黒柱の重量感はなかなか素晴らしくて、素材の魅力を引き出していると私は思っています。今週は「発掘~跨橋~」の全体構成と大黒柱の炙り作業に明け暮れた1週間になりました。勿論、最終的には図録撮影の時にすべてが眼前に現れてくるので、その時にならないと、うまくいくかどうかの不安は拭えませんが、素材同士の組み合わせでは自分自身の感覚を信じて疑わないところもあります。そんな時に、次作のイメージが湧いてきました。私の場合、ほとんどが現状から逃避したい気分になった時に、次作がどこからともなくやってくるので、今回もそろそろ次作が映像として現れるかなぁと思っていました。次作のイメージについては日を改めて書き留めておこうと思います。夜は近代絵画史の印象派についての書籍を読んでいて、旧知のことでも改めて印象派の成り立ちや価値観の変移による印象派の解体について、もう一度確認をしている最中です。芸術という概念は西洋から始まり、ルネサンスから新古典主義に至るまで、その造形哲学に素晴らしさを感じますが、それを打ち破るパワーもなかなか凄いなぁと感じ入っています。今週はいろいろな意味で充実した1週間だったと振り返りました。
    「新印象派」について
    「近代絵画史(上)」(高階秀爾著 中公新書)の「第9章 新印象派」について気になったところをピックアップしていきます。本章は2人の画家に注目しています。まず、ピサロ。「ピサロは、印象派グループのなかでは最も年長であったが、しかしそれにもかかわらず、きわめて若々しい、開かれた精神の持主であった。事実、1874年、最初の印象派展の時すでに44歳であったことを考えると、ピサロがその後ゴーギャン、ゴッホ、スーラのような自分よりずっと若い画家たちの革新的な試みにつねに暖かい理解を示し、積極的な支持を惜しまなかったことは、ほとんど驚嘆に値する。~略~ピサロは、スーラほど徹底した理論家となるためにはあまりに感覚的であったが、また他方、モネのように徹底して感覚に身を委ねるには、またあまりにも理知的だったのである。」ここで数年続いた印象派展の傾向について概観を記しておきます。「1886年の第八回印象派展は形式的には12年前に始まった印象派グループの展覧会の続きであったが、実質的には、その内容は、印象派グループの解体、およびそれにもとづく新しい傾向の登場をはっきりと示していた。その新しい傾向のうち、とくに注目されるのは、ゴーギャン、ルドンに代表される象徴主義的傾向と、スーラ、シニャック、ピサロの作品に見られた新印象主義の流れである。」2人目の画家であるスーラについての記述がありました。「きわめて理知的な性格の持主であったスーラは、色彩のみならず、黄金比例のような構図の調和の問題や、さらには、線や色調の象徴的な意味の問題など、新しい造形表現の美学とも言うべきものを考え、友人への手紙のなかなどに、その理論の一端を書き記しているが、しかし31歳を越えたばかりの時に世を去ってしまったため、自己の思想を完全なかたちで体系化することはできなかった。」今回はここまでにします。
    「印象主義の超克」について
    「近代絵画史(上)」(高階秀爾著 中公新書)の「第8章 印象主義の超克」について気になったところをピックアップしていきます。「印象派の画面は、多彩な虹の七色の交錯する万華鏡の世界になってしまった。そこには、合理的な空間構成の意識もなければ、形態把握の意志もない。あるのはただ、ほんのわずかの色調の差異にも鋭敏に反応する繊細な感覚世界だけである。われわれが、モネの晩年の作品を前にして、ほとんど目まいにも似た陶酔を覚えるのも、そのためであろう。~略~ルノワールとセザンヌとは、気質から言っても、画風から言っても、正反対と言ってもよいほど大きく違っている。陽気で、開けっぴろげで、社交好きなルノワールは、生涯を通じて若い女性の健康な肉体を愛し、そこに見られる生命の輝きを歌い続けた。ルノワールの作品においては、静物や風景でさえ、明るい、熱っぽい生命の賛歌を歌っている。それに対し、人一倍人間嫌いで、社交下手のセザンヌは、アカデミー・シュイスに通っていたころを別にすれば、裸体のモデルを直視することができないほど内気な、内向的な性格であった。~略~しかしながら、印象派との関係という歴史的観点から見るなら、ふたりのあいだには、意外に多くの共通点が指摘される。ふたりは、いずれもモネやシスレーとまったく同世代であり、画学生としての修業時代には、新古典主義の支配する官学派に反撥して、ドラクロワの激しい色彩表現やクールベのねっとりした力強さを好んだ。」ここで2人の画家について、それぞれの記述がありました。まず、ルノワール。「ルノワールにとっては、自然そのものも、決してただ眼で眺めるだけのものではなく、いわば肌で感じとるなまなましい実体であった。一本一本の草花にも、温かい生命が流れており、大地はしっかりと手応えのある存在として、われわれに迫ってくる。」次にセザンヌ。「同じように印象派の洗礼を受け、同じように古典的世界への復帰を手がかりとして印象派を『超克』しながら、その後セザンヌのたどった道は、ルノワールの場合とは大きく違っていた。セザンヌは、色彩の眩惑のなかに失われてしまった世界を、ルノワールのように全身の感覚で受けとめてひとつの豊潤な世界にまとめ上げるかわりに、世界を見つめる自己の認識の根源にまでさかのぼって、認識行為そのものをカンヴァスの上に定着しようとした。~略~『見る』ことをその根源において捉え直し、それによって新しい造形世界を実現したセザンヌは、まさにそのゆえに20世紀美術の父と呼ばれるにふさわしい歴史的位置を占めているのである。」今回はここまでにします。