2016.11.13 Sunday
日中は20度前後の気温となり、工房で制作するのには絶好の日でした。きっと道路は紅葉狩りで混雑していたのかもしれず、行楽地に出かけたい気分にもなりますが、こういう時こそ制作に明け暮れるのが自分にとって幸せと思っています。今日は朝から大きな陶彫成形に取り組みました。集中力が増すと周囲が見えなくなり、自分と素材との対話が始まるのです。自分のモチベーションと気候等の環境要因が合致したときに、こうした精神状態になるのかなぁと思っています。彫刻の世界でよく言われる素材との対話という比喩表現は、なかなか良いものだなぁと思っていて、素材との対話では普段の疲労や個人的な事情はどこかに吹っ飛んでしまって、目の前にある素材しか見えず、手が自然と動いてしまうのです。どこか別の力が働いているようにも思えてきます。今日はいつも来ている大学院生の他に職場の人が水彩画を描きに工房に来ていました。食事の時のお喋りが楽しいと思いました。自分ひとりの時は究極の状態に陥ることもあるので、他者がいるのは自分にとって救いです。アートを極めようとしている大学院生にとっても同じことが言えるのかもしれません。自己内面の深遠を覗き込み、思考が錯綜する創作活動は、聖と俗の世界を行き来するようなものです。自己過信や自己喪失で天国から地獄へ失墜することも暫しあります。そうした骨が折れる作業が延々と続くのが制作だと言えます。時折フラリと散歩に出て、植木畑を周遊してくると気分が変わります。その繰り返しで制作が進んでいくのです。自分は作業を終えて自宅に帰ると、疲労で倒れてしまいます。ここ2・3年ほど前からこんな状態が続いています。加齢のせいでしょうか、さっきまで元気一杯だったのに不思議です。小春日和の工房で思う存分創作活動をやってきた満足感もあるように思います。
2016.11.12 Saturday
今日は好天に恵まれた爽やかな一日でした。工房がある植木畑周辺でも紅葉が始まり、木々の色合いが美しく感じられました。朝から大学院生が来ていて修了制作に励んでいました。私も彼女に背中を押されるように制作を頑張りました。先週から背の高いテーブル彫刻の下部に吊り下がる陶彫部品を作っていますが、窯に入る最大限の大きさで作っているため、かなりの大きさと重量になっています。これをボルトナットで逆さ吊りさせるのかと思うと、難しい設置になることが予想され、辛い仕事の前に立ち尽くす姿が思い浮かびます。また大きな陶彫なので、陶土の収縮が心配になっています。多少の皹割れは修整剤で何とかなりますが、大きく割れた場合は作り直しになります。彫り込み加飾をするため、薄く作ることが出来ないのも気にかかるところです。それでも今までさまざまな難題をクリアしてきたので、今回も何とかしたいと思っています。新作第1回目の焼成は無事終わり、窯出しをしました。これは背の低いテーブルの上面に置く陶彫部品ですが、まずまずの出来だったと思っています。今日は大きな陶彫部品の成形と併せて柱陶も作らなければならず、なかなか大変なスケジュールでした。毎回書いていますが、ウィークディの疲労のため土曜日は身体が動きません。それでも制作工程のノルマは非情にもやってきます。工房の一角で制作している若い大学院生は疲れ知らずのように見えて羨ましい限りです。彼女は何時間でも凸面の厚板に絵を描いていて、いつも涼しい顔をしています。私は午後になると溜め息が増えてきます。作業を終えると自宅のソファに倒れ込んで動けなくなります。大学院生は今日25歳の誕生日だと言って、友人にお祝いしてもらうため元気に帰っていきました。25歳かぁ。自分にもそんな頃があったなぁと思いつつ、精神性をそのまま保持して身体だけが若返らないものかと都合の良いことを思っていました。明日も頑張ります。
2016.11.11 Friday
東京恵比寿にある東京写真美術館がリニューアルオープンして、自分が注目する作家の個展が開催されているので行ってきました。美術作家杉本博司氏はカメラマンとしての表現活動が基盤にありますが、さらに思索的なスケールの大きい世界観を有した作家なので、創出された空間を体験することが杉本ワールドを理解する一歩と私は考えています。今回の展示では新しくなった美術館を廃墟のような空間に変えてあったため、世界の終焉に彷徨い込んだ錯覚を私は持ちました。「今日、世界は死んだ。もしかすると昨日かもしれない。」と題した会場には33のテキストがあって、その33の部屋毎に古美術や廃物が置かれ、さまざまな視点によって世界の終焉を物語っていました。「杉本が『歴史の歴史』で、人間が死によって時間を初めて意識した古代から宇宙の生成にまで遡り、我々はどこからきたのか、どのように生まれてきたのかという問いについて考えようとした。『今日、世界は死んだ』展では、過去から一気に未来へと想像力を働かせ、未来の視点から、壮大な宇宙の歴史のなかの一瞬の閃光のような人類文明史が語られ、人間はこの先、どこへ行こうとしているのか、時間が停止するとき、未来に残る人類の記憶、そして精神と技術を残す表現は何なのかを問おうとする。」(三木あき子著)と図録にもありました。別の見方をすれば、終焉の捏造またはパロディともとれる表現の中に、作家が米国で実体験した9.11の崩壊現場もあって、人が作り出したモノが失われてしまった近未来の様相に真摯に向き合う作家の姿を感じることができました。「廃墟劇場」という写真連作には作家本人の文章があったので掲載します。「死からの復活こそは古代エジプト以来、いや文明発生以来の、人類の最大関心事だった。生きて動くかに見える映画をもう一度写真に撮って止めてみたい。写真の過剰によって生き返った亡霊たちを、もう一度写真によって封じ込めなければならない、という使命感のようなものを、その時感じたのだ。」杉本博司という作家が40年もの歳月をかけて取り組んだのがこの「廃墟劇場」でした。「廃墟劇場」の展示の裏に「仏の海」と題された三十三間堂の写真連作がありました。作家本人の文章を掲載します。「私はこの広い堂宇の中に一千一体の輝く仏像に囲まれてひとり佇んだ時、来迎図のただ中にいる自分を発見した。そして『死』とはこのように訪れるものなのだと予感したのだった。」このコトバに自分は感動を覚えました。世界の終焉を描いて見せた作家は、自分の終焉をどう捉えているのか、ちょっぴりわかった気がしました。
2016.11.10 Thursday
今月のRECORDのテーマを「ささえる」に決めました。今年はひらがな4文字による年間テーマを設定して、日々RECORDを作っています。今年もあと2ヶ月になり、RECORDのひらがな4文字のテーマもあと2回分になりました。例年このあたりで年賀状に使えるデザインを考案し、RECORDにしています。来年の干支は酉です。テーマと鳥をどう関わらせるか考えていきたいと思います。お互い支え合う関係から連想されるモノ何かと家内に問いかけたら、盲導犬という答が返ってきました。鳥ではなくて犬かぁと思いましたが、成る程いろいろな発想が出てくるものだなぁと感じました。今月いっぱいは支え合うテーマで頑張ってみようと思っています。職場でも支え合う関係作りは大切です。工房でも若いスタッフが来てくれることが、私の精神的な支えになっていることもあります。人は一人では生きていけないという当たり前なことをもう一度見つめ直すことをしようと思っています。
2016.11.09 Wednesday
現在読んでいる「シュルレアリスト精神分析」(藤元登四郎著 中央公論事業出版)に中世の画家ヒエロニムス・ボッシュの「快楽の園」の図像的解釈が掲載されていたので、まとめてみたいと思います。まず図像的解釈とは何か、本文を引用すると「ボッシュの時代の文化歴史的背景、すなわち宗教的文献、錬金術や占星術などの資料、そして民俗学的及び言語学的方法などを使って行われている。」解釈です。本書では4人の学者による図像的解釈を載せています。まず、ウィルヘルム・フレンガーは「(キリスト教の)異端派の教えにしたがって、アダム以前の、性欲が純粋な歓喜であり至福であった時代に戻るための宗教画としてこの作品を制作した。」と発表しましたが、これに対し多くの反論があったようです。寧ろボッシュは敬虔なカトリック信者ではなかったのか、神の命令を忘れた愚かさを教訓的に描いたのではなかったのかというものです。次にローズマリー・シューダーの解釈です。「ボッシュは聖書の天地創造を描いたのではなく、また、人間のセックスやのぞきを非難するために描いたのではない。彼は、当時のユートピアを想像して絵画として表現した。」というものです。次は神原正明の解釈です。「神原は『快楽の園』は『世界の多様性を描いている』曼荼羅であり、聖と俗の入り混じった夢の世界を演出している、と結論している。」最後にリンダ・ハリスの解釈です。「ボッシュはローマのカトリック教徒ではなく、異端のキリスト教徒であった。ボッシュの描いた象徴はカタリ派の神話や隠喩に通じている。~略~カタリ派とは、11世紀初頭頃から西欧に拡がったキリスト教の異端思想である。~略~もともと人間は天使として光り輝く天にあったが、悪魔の姦計によって地上に拉致された。~略~人間は真の神に属す霊魂と悪魔の所産である肉体との『混合』である。~略~カタリ派の観点からすると、『快楽の園』は誕生と死の車輪によって、魂がより高いレベルへと上昇する占星術の黄道十二宮を示している壮大な作品である。」というものです。さて、前述したようなさまざまな図像的解釈を読んでいても、ボッシュの人間像は一向に浮かび上がってこないため、図像的解釈の方法としての限界を本書は指摘しています。ただし、多くの謎を孕んだ「快楽の園」に魅力を感じるからこそ、ボッシュの研究が後を絶たない由縁だろうと思います。