2016.11.23 Wednesday
今日は勤労感謝の日で勤務を要しない休業日です。勤労感謝の日は文字通り、労働を尊ぶ日ですが、その年の新穀を天地の神に供え,天皇みずからも食する儀式の旧新嘗祭に所以があるようです。今年の勤労感謝の日は、暦の関係で週の真ん中になりましたが、焼成を始めている新作にとっては、とても都合の良い休日です。陶彫制作は闇雲に作るだけではなく、成形した作品を乾燥のために放置し、化粧掛け等の仕上げを施し、最後に焼成のために窯に入れる工程があります。焼成は3日間窯に入れておくので、週の真ん中で窯の出し入れをするのがいいのです。今日は日曜日の夕方窯に入れた作品を出して、焼成の具合を確認をしながら、今日窯入れを予定している作品に仕上げを施しました。今日の創作活動は新しい陶彫部品を作るのではなく、仕上げた陶彫部品を窯に入れたのでした。新作の窯入れは4回目になりましたが、背の高いテーブル彫刻の下部に吊り下げる大きな陶彫部品を初めて窯に入れました。次の窯出しは3日後の土曜日になります。柱陶も4点窯に入れました。工房には朝から篭りましたが、次第に工房内が寒くなっていき、夕方には雨か雪が降り出しそうな按配になりました。7時間工房で過ごして今日の作業を終えました。週末の時と同じように身体は疲労でクタクタです。ただ身体はよく動きました。週の真ん中の休日は創作活動には大変効果的だったと思っています。
2016.11.22 Tuesday
現在読んでいる「シュルレアリスト精神分析」(藤元登四郎著 中央公論事業出版)の中で、ボッシュの次にダリが登場してきました。偶然にも東京で「ダリ展」を開催していて、今年の下半期はダリの世界に浸って終わりそうです。本書ではSF作家荒巻義雄の作品を通じて、ダリの生い立ちや精神分析を考察している箇所があって興味をもちました。それは生涯の伴侶となるガラとの出会いから、ダリの世界観が構築されていき、最後は名作「記憶の固執」の重要なモティーフである柔らかい時計を通して、ダリの精神分析を試みる内容でした。ダリの精神状態を示す文章を抽出して掲載いたします。「ガラは、おそらく聖母のようにダリに君臨し、支配している。このことは、精神的に未熟なオナニストのダリが母親的女性に依存しなければ生きていけなかったことを示している。~略~彼女と出会う前までは、ダリは精神的に幼くて口唇段階にあった。しかし彼は、そのおかげで乳歯が取れた程度の精神的な独立を果たすことができたのであった。~略~ガラの助けによって、ダリは、これまでまだ形のはっきりしなかったパラノイアック・クリティック活動を構造化して行うことができるようになった。~略~こうしてダリは商売熱心な、金に魂を売った芸術家となり、まさに資本主義の化身となった。~略~シュルレアリスムを唱える人々は、ダリに、自分の才能を利益に変えることしか念頭にない『ドル亡者』というレッテルを貼ったのである。」これがダリの生い立ちで、愛妻ガラとの関わりによってダリは良くも悪くも美術界の地位名誉を築いたのでした。次にダリの絵画を考察し、ダリその人の精神分析に迫る箇所がありました。「ダリは、柔らかいものと固いものとを結合するという思考方法でしか、人生を意味あるものにすることができなかった。すなわち、意味のない生の不条理を絵画の中で調和させることが、生の価値を肯定することであった。したがって、ダリのやり方は、生きていくための自然な吐息のようなものであり、生まれつきのシュルレアリスムであったことを示している。」
2016.11.21 Monday
先日、横須賀美術館で開催中の「新宮晋 宇宙船」展を見てきました。彫刻家新宮晋氏は、風や水によって動く彫刻を作る作家として内外に知られています。とくに自然現象を扱うために作品は野外に設置される場合が多く、私も駅の広場や公園で悠々と動く新宮氏の作品を拝見してきました。作品はメカニックな構造を持つものが多いのですが、動力は風や水によるので、電動装置のような決まった動きはなく、気儘に不規則に動きます。そこが見ていて飽きない新宮ワールドの醍醐味だと思っています。展覧会の会場では、まず水が天井から降り注ぐ部屋がありました。タイトルは「雨の光線」、奥に「小さな惑星」。日本古来の鹿威しの現代版とも言えるステンレスの彫刻で、水を受けてクルクル回る楽しさに思わず見とれてしまいました。次に私が注目したのが「風」というタイトルのついた集合彫刻で、床から少し離れた場所に矩形の同じサイズの板が数多く設置され、それが風を受けてさざ波のようにハタハタと波打つ様子を見ていると、暫し時間を忘れて心に安らぎを与えてくれました。図録に哲学者梅原猛氏が一文を寄せています。抜粋して掲載します。「新宮晋の芸術には日本文化の思想の原理が含まれていると思う。それは『草木国土悉皆成仏』という鎌倉時代以降の日本の宗教や芸術を特色づける理念であり、一木一草にいたるまで神仏が宿っているという意味である。そしてそれは自然征服を原理とする西洋の自然観とはまったく反対の思想であり、そのような思想が人類共通の思想にならなければ、今の人類の文明は遠からず滅びざるを得ないと私は考える。」図録も他の展覧会に見られないような工夫がありました。彫刻の展覧会は撮影された写真が中心になるのが定番ですが、これは彫刻のデッサンや図形が中心になった図録で、返ってコンセプトが伝わってきて、この方法もいいなぁと思いました。
2016.11.20 Sunday
今日は昨日と打って変わって好天に恵まれ、気温も20度近くまで上昇しました。工房周辺の紅葉が青空に美しく映えていました。朝から大学院生と制作に没頭し、我を忘れる時間が到来しました。今日は大学院生だけでなく、職場の人が水彩画を描きに来ていたので昼食の休憩時間は和みました。私は背の低いテーブル彫刻に置く陶彫部品の窯入れを行っていました。背の低いテーブル彫刻は、都市の雛型のような造形で、私は掘り込んだ地面からいくつもの構築物が突き出た世界を作ろうとしています。その構築物に橋を渡そうとしていて、陶彫で成形した橋を6体作ったのでした。橋は構造を剥き出しにしたイメージで、鉄骨で出来ているような造形にしました。画家松本竣介の代表作に「Y市の橋」という油彩があります。油彩に描かれた橋そのものはコンクリートですが、その上に鉄骨のような構造物があって、太い鉄骨の印象が強く残る作品になっています。Y市というのは横浜市のことで、今は繁華街になっている西区あたりの河川を描いたものではないかと言われています。その殺風景で寂寥感漂う画風が、自分の新作に影響しています。そんな風情の橋を6体作りましたが、橋の構造体を崩したり、欠損させてみたりして所謂建築模型とは違うものにしました。今日は新作の3回目となる窯入れで、水曜日の勤労感謝の日あたりで窯出しができそうです。やはり陶彫は焼成が命です。焼成後、窯から出した陶彫は、人の手が及ばない炎神の世界を旅した勇ましさが滲み出ています。私の混合する陶土は紫がかった濃い褐色になって私の眼前にやってくるのです。敢えて欠損させた無骨な橋が、この姿で私の前にやってくるのを今から楽しみにしています。
2016.11.19 Saturday
漸く週末がやってきました。冷たい雨が降る中、朝から工房に出かけ制作に没頭しました。このところ頻繁に来ている大学院生もいて、お互い作業に集中していました。今日の作業は午後3時までと決めていました。そのせいか周囲が見えなくなる緊張状態が早くもやってきて、素材との対話の時間が続きました。そうした雰囲気は伝染するのか、大学院生も無我夢中になって自らの修了制作に取り組んでいました。乾燥した陶彫部品の仕上げと化粧掛け、次の成形用の土練り、タタラと順々に制作サイクルが回っていき、何とか午後3時には制作工程のノルマを終わらせました。緊迫の6時間、ウィークディの疲労が残る土曜日にも関わらず、よくぞ頑張ったと自分を褒めて、明日の工程へと繋げることにしました。実は今日午後3時には工房を出て、横須賀美術館に行こうと大学院生と約束していました。横須賀美術館で開催中の「新宮晋 宇宙船」展を見に行きたかったのでした。彫刻家新宮晋氏は風や水を利用した可動彫刻を作る作家として知られた存在です。各地に野外設置されている作品は数知れず、私はいろいろな場所で新宮氏の作品に出会っています。まとまった作品を見るのは初めてで、期待に胸が躍りました。横浜の工房を出発し、横浜横須賀道路を使い、ほぼ1時間足らずで横須賀美術館に到着しました。雨のせいか人影はまばらで、じっくりと作品を見ることが出来ました。新宮氏の作品はモビールの発展形です。モビールは米彫刻家アレキサンダー・カルダーの考案による彫刻ですが、動きのバリエーションは新宮氏の方が勝っていて、構造的な面白さに加え、実に美しい景観を見せてくれます。最初の展示室にあった水で動くステンレスの彫刻に眼が奪われました。詳しい感想は後日改めたいと思います。美術館を夕方5時ごろ出て、大学院生を送りがてら帰宅しましたが、今日は充実していました。自宅ではいつものように心地よい疲労に襲われてソファに倒れ込んでしまいました。明日も制作続行です。