2016.10.09 Sunday
三連休の2日目です。朝から工房で制作三昧でした。今日は久しぶりに中国籍の若いスタッフが来ていました。彼女は栃木県のグループ展に参加するというので、新作を作っていました。私は相変わらず陶彫制作に勤しんでいました。テーブルの上に展開する風景彫刻の一部になる陶彫部品2点と柱陶4点を作っていました。彫り込み加飾や仕上げは、来週のウィークディの夜の時間帯になりそうで、またまた厳しい制作日程が待ち受けています。今日の午後2時過ぎに中国籍のスタッフと美術館に行くことにしました。工房から自家用車で向かった先は、横須賀にあるカスヤの森現代美術館でした。横浜横須賀道路を使ったので40分ほどで到着しました。同美術館の企画「山本正道 シモン・パシエカ~寓話との出会い~」展を、どうしても見たくて出かけたのでした。彫刻家山本正道氏は日本を代表する彫刻家の一人で、風景彫刻という独自の分野を確立した人です。私は山本氏が発表する機会があれば必ず見にいっています。イタリアの牧歌的な風景を、ブロンズや石を素材にして表現した世界は、極度に象徴化されていて、具象のもつ説明的要素を排除しているように思えます。静かに時間が流れる広漠たる風景、自分もこの山本ワールドに魅了され続けている一人です。画家パシエカ氏の世界は、どこかで見たような具象的風景の中に、時間が止まっている錯覚を齎せます。これは山本氏と同じ過去から現在に続く歴史の封じ込めが、作品世界に漂っていると私には感じられました。昨日このNOTE(ブログ)に記した風景彫刻についての解釈が、今日見た展覧会にあるのではないかと思ったのでした。山本ワールドは私が現在制作しているテーブル彫刻に良い刺激を与えてくれました。私は現行の作品に意欲的になれました。カスヤの森現代美術館を後にして、若いスタッフを送りながら自宅に帰ってきました。いつもなら疲労でソファに倒れてしまうのに、究極の風景彫刻に触れて気分が良くなりました。これからも頑張ろうと思います。
2016.10.08 Saturday
三連休の初日です。今日は朝から工房に篭って制作三昧でした。私の職場から2人の職員がデッサンをやりに工房に来ていました。いつも来ている大学院生もいて、今日の工房は賑やかでした。私はテーブル彫刻の上面に展開する陶彫部品を作っていました。これは風景を雛型化・造形化するもので、大きな括りで言えば、真鍮直付けで聖人や猫を作っている池田宗弘先生も同じ風景彫刻をやっていると考えられます。風景彫刻にはカタチの象徴化もあります。遠近法は無視される場合が多く、作り手の心象がサイズを左右します。私の場合は陶彫の個体を点在させますが、個体は抽象形態のため、表現された個々のモノに説明はありません。鑑賞者の想像に任せているのです。陶彫に刻んだ文様が古代の出土品をイメージさせると批評をいただくこともあります。これは彫り込み加飾を施して痕跡を作っているのです。最小の個体で最大の空間を手に入れるために風景彫刻という表現を利用しているわけです。ジオラマを作っているような感覚もあって、全体を俯瞰できる作品は、作っている時が楽しくて仕方ありません。時間があっという間に過ぎていきます。ただし、これが彫刻であることを忘れてはいけないと自分を戒めています。あくまでも形態以外のところに遊び要素を盛り込んでは駄目だと思っています。今日は雨が降ったり止んだりする不安定な天候でしたが、暫し作業に夢中になる瞬間があり、外の状況が眼に入らなくなりました。明日も続行です。
2016.10.07 Friday
職場は4月初めから翌年の3月末までのサイクルで動いています。つまり年度で仕事の切り替えを行います。今日は年度のちょうど折り返し地点になり、上半期が終了したことになります。職場では特別に何か儀式があるわけではなく、簡単な上半期の振り返りを行う程度です。会計も一度上半期で締めて鑑査を行いました。私は仕事としてケジメがあった方が良いと思っていて、管理職として職場全員に一言ケジメの挨拶を申し上げることにしました。そんなこともあって今日はネクタイをしてスーツで出勤しました。時期的にはまだクールビズですが、TPOに応じて襟を正すことを若い職員に教えようと思った次第です。一方創作活動はそんなケジメとは関係なく、毎晩工房に通って制作をしています。人に自分がどう見られているかは昼間の仕事では結構重要ですが、個人的な作業はそんなことに関係ありません。創作は内容での勝負しかありません。外見も仕事のひとつと考える職場と、中身しか問題にしない工房での仕事、その2つの仕事を行ったり来たりしながら、自分はバランスを取っているのではないかとと思うときがあります。年度の折り返し地点で、改めて自分の二面性のある仕事について考えを巡らせました。どちらが本当の自分なのか、ではなくどちらも本当の自分なのです。
2016.10.06 Thursday
今朝、職場にあった日本経済新聞の小さな記事に目が留まりました。「国立大に文系は要らないー。文部科学省が昨年、こう読み取れる通知を出したときに怒ったのは文系の先生たちばかりではなかった。日本学術会議のメンバーをはじめ、むしろ理系の学者、研究者のなかから不用意な通知への異論反論がたくさん上がったものである。『すぐに役立つ学問』を重視する傾向に、理系の人々も疑念を抱いているからこその反応だったろう。とりわけ、地道な基礎研究にたずさわる研究者は『文系つぶし』を他人ごとではないと身構えたという。今年のノーベル生理学・医学賞が贈られることになった大隈良典さんの言葉にも、そうした危機感は色濃くにじむ。~略~なにも賞だけの話ではない。幅広い教養を軽んじ、すぐに目に見える成果のみを求める社会はどうしたって薄っぺらだ。おもしろいヤツの、居場所がない。」この蓮っ葉な言い回しの記事に私も共感を覚えます。成果主義は分かり易い反面、馴染まない分野も理系・文系双方にあります。毎年ノーベル賞を取得している日本人研究者は、すぐに結果のでない地道な研究を重ねている方が多くいられるように思えます。文系の学問をやっていられる方々、芸術分野も同様ですが、文化の振り幅が大きいほど豊かな実りがあるのではないかと私は思うのです。ノーベル賞の時期になると隣国の焦りがネットに掲載されますが、今回特化したものは理系でも、そこには文系やら芸術系やらの厚みのある文化が形成されていて、その中であちらこちらを向いて面白みを感じる人が大勢いるのが文化国家であろうと私は思います。「あの人、何しているの?でもその世界では凄い人みたい。」と囁かれる重層文化社会、そこにノーベル賞が降ってくる、そんなものかなぁと文系人間の居場所を探っている自分は考えました。おもしろいヤツになりたがっているのは決して自分だけではないでしょう。
2016.10.05 Wednesday
テーブル彫刻の木材の柱を覆う陶彫を「柱陶」と名づけました。柱陶は主にウィークディの夜に工房に出かけて制作をしようと思っています。昼間は仕事があるため、夜の制作は1時間から2時間くらいと決めていて、秋や春のような比較的気候のいい時期を選んでいます。2年前は真冬に「発掘~丘陵~」を制作していて、寒さで凍えそうでした。この時の経験から、夜の制作は季節を選ぼうと思ったのでした。10月になり朝晩涼しくなってきたので、予定していた通り仕事から帰って工房に出かけました。今まで何度も夜の制作をしてきて夜の雰囲気には慣れていたはずが、やはり蛍光灯に照らされた工房の空間は独特なものがあって、魔物が棲んでいるように思えてなりません。陶土に触れてしまうと、あっという間に創作の世界に引き込まれて、周囲の状況は見えなくなります。創作活動は不思議なパワーを秘めているなぁとつくづく感じます。夜の照明のほうが落ち着く作家もいるでしょう。作品に集中できる環境があるため、緻密な作業は進むのです。ただし、私の場合は長く集中力が保てないのです。昼間の仕事の神経疲れがあるのかもしれません。今晩は1時間程度で切り上げることにしました。公務員管理職と彫刻家、この2重の生活がバランスよくまわれば、たとえ1時間の制作時間であろうとも一日の充実感は味わえます。彫刻の制作工程を考えていると胸中穏やかではなくなるので、とりあえず足元を見るだけにして一日の心の充足を得ています。今はそれで充分と考えるようにしました。また明日も充実感を味わおうと思っています。制作のツケは週末に何とか解消できればと思います。