2015.07.31 Friday
今日から明日まで横浜市公務員管理職の宿泊研修があって、今日は某所のホテルで危機管理に関する講演やグループ討議がありました。今月は職場的には出張も多く、慌しく過ごした1ヶ月でした。今月を振り返ってみると、10回目の個展が東京銀座のギャラリーせいほうでありました。毎年のことながら、自分にとっては個展は最大のイベントであるため、その準備や片づけがあって、7月は例年落ち着かない1ヶ月なのです。例年なら同時併行して行っている新作の制作がほとんど進んでいないため、11回目の個展のことがもう心配になっています。真夏が到来し、工房は蒸し風呂のような暑さです。なかなか工房に行けず、新作が手につきません。その分RECORDを頑張った1ヶ月でした。鑑賞では友人の書展や絵画のグループ展に出かけただけでしたが、自分の住んでいる地域でジャズの生演奏があったので、聴きに出かけました。読書は相変わらずフロイトの代表作を継続しています。そんな1ヶ月でしたが、個展という節目があったため、今月は制作や鑑賞やその他がバランスよく出来たわけではありませんでした。来月から新作を含めて再出発をしていこうと思います。
2015.07.30 Thursday
家内が「どこかへ旅行するというと辛さを覚える」と言うので、「何故?」と聞くと、若い頃に滞欧生活を引き上げる際、バスを乗り継ぎながらトルコやギリシャを数ヶ月かけて旅したこと、そればかりではなくヒッチハイクをしながら西欧諸国を巡ったことを思い出すからという返答がありました。ルーマニアを初めとする東欧諸国にも行って、ウクライナ(当時はソビエト連合)の国境近くを練り歩いたこともありました。若い頃の無謀な旅に、貴重な経験も確かにありましたが、やはりこの年齢になると、安全安心で気楽なお任せ旅行を良しとする心境に変わります。「どこかへ旅行するというと辛さを覚える」ことを感じるのは、当時の自力で巡る旅が、現在でも頭の隅にあって、それがトラウマのようになっているせいかもしれません。帰国して数年が経ち、インドネシアのバリ島にツアーで出かけたことがありました。その時の気楽さは今でも忘れません。こんなに外国旅行が楽しいものだったなんて、本当に眼から鱗でした。昨年もカンボジアのアンコール遺跡群にツアーで出かけました。これも面倒なことは全てお任せで、楽しいところだけを満喫できた旅行でした。今年もツアーに申し込んで海外を楽しみたいと思っています。日本語には旅と旅行という2つの語彙があります。旅と旅行は同じコトバでも意味するところが違うと私は考えます。旅は自力で行く地域密着型の出会いを求めるもの、旅行は企画に乗って恰も映像でも見るかのように休暇を楽しむもの、そんな考えで旅と旅行を使い分けていければと思っています。そのどちらの要素も微妙に絡む半旅・半旅行もあるでしょう。自分が何を求めるかで、旅的要素なのか、旅行的要素なのか、どちらにウエイトを占めるのがその時の自分にとって有効なのか、そんなことも考えながら計画を立てるのも一興かもしれません。
2015.07.29 Wednesday
このところ猛暑のため空調のない工房には近づけず、勤務後の夜の時間帯は専らRECORDをやっています。RECORDとは、今まで何度もNOTE(ブログ)で取り挙げていますが、一日1点制作を自分に課している小さな平面作品のことです。日々の記録という意味でRECORDと称しているのです。一日1点制作を掲げているものの、現在可能なのはエスキースから下書き決定までで、彩色や仕上げは週末にやっているような現状です。必ずしも一日1点ずつ仕上がっていく状況ではありません。昼間は橫浜市公務員として働いていて、勤務後は工房に出かけ、陶彫制作をやっていたり、このNOTE(ブログ)を書いていたりしているので、夜の時間帯にRECORDに取り掛かるのが、せいぜい1時間くらいです。しかも日によってはアイデアが出ず、苦し紛れに適当なところでまとめてしまうこともあります。そんなRECORDですが、暑い夏の夜は工房に行かず、自宅で制作に励んでいるので、しっかり彩色や仕上げまで到達できています。陶彫が出来ない分、RECORDを何とか軌道に乗せて頑張っていたい夏の夜です。
2015.07.28 Tuesday
ここで言う恩師とは師匠の池田宗弘先生のことではありません。自分が勤めているもうひとつの職業での大先輩で、かつて管理職をしていて、現在は随想家として作家野間宏に関する文献を出版しておられる人です。かつて自分は公私に亘って並々ならぬ助言をいただきました。もう恩師は80歳かと思われますが、東京銀座まで足を運んで、個展を御覧になって、丁寧な励ましの手紙をいただきました。「『群塔』『丘陵』と全くシチュエーションが違って、調和が印象的でした。前者は貴君の厳しい創作意欲を、後者は円満な人格を、そして両者がメビュースの帯のように一体となって、作者の創造世界を構築していることに感心させられました。」という文面でした。身に余る言葉で恐縮ですが、2つの作品がもつ異なる世界観をこのように述べていただいて嬉しく思いました。こうしたことが自分の創作へ向かう原動力になります。自分の内面は自分で推し量ることが出来ず、自分の創造世界の成長も、自分でははっきりわかりません。寧ろ鑑賞された方々によって気付かされ、また確認することが多いと思っています。そういう意味でもずっと個展を見届けていただける方がいることを、何よりの幸福と感じています。また来年、何が何でも作り続けること、生涯現役で成長し続けること、胸に誓ってこれからの一歩を踏み出します。
2015.07.27 Monday
現在読んでいる「夢解釈」(フロイト著 金関猛訳 中央公論新社)の第二章を読み終えて、ここで章論のまとめをします。第一章は「夢の問題に関する科学的文献」で、夢を論じた多くの研究を挙げて、夢が不条理で断片的であり、心的活動の低下になることを概観しています。章の最後に精神障害と夢の関連により、「夢の秘密を明らかにしようとする努力によって、私たちは、精神病の解明に努めていると言える」(引用)と結んでいます。さて、第二章では「夢に関する科学的な理論において、夢解釈という問題を論じる余地はない」(引用)と言っておきながら、「私は、夢が解釈可能であることを示そうともくろんだのである。」(引用)とフロイト自身が、これから取り組もうとする本著作の核心部分を語っています。これはフロイト自身が見た夢を解釈するもので、前置きと夢の綴りと分析が、順を追って書かれています。登場人物はフロイトの女性患者イルマ、M博士、フロイトの友人オットーやレオポルトで、イルマの病症や診断を巡って、オットーが既にイルマに注射した薬剤等やM博士の見立てが次々に出てきます。続く分析では、フロイト自身が、M博士を揶揄し、オットーと敵対している関係を告白しています。そんな実体験を通し、フロイトは「私は、夢によって実現される意図があることに気がついた。~略~夢はいくつかの欲望を充足する。~略~夢の細部についても、その多くが私には欲望充足という観点から理解しうるものとなる。」と書き表し、第二章の最後には「ここで示した夢解釈の方法に従うなら、夢が実際に意味をもつこと、そして、夢が、研究者諸氏の主張するような支離滅裂な脳の活動の表現ではないことが明らかになる。」と結んでいます。