2016.02.02 Tuesday
「祈るときは合わせた二つの掌のあいだに、口惜しくて歯ぎしりするときは歯と歯のあいだに、悔いて顔をしかめるときは眉間、あるいは瞼のあいだに、魂はある。」これは朝日新聞に掲載されていた「折々のことば」欄にあった印象に残った一文です。筆者は鷲田精一氏で、現代フランスの思想家の言葉だそうです。魂とは何か、私は魂という語彙に敏感に反応してしまうのです。以前に読んでいた西欧の哲学書や、現在読んでいる精神分析に関する書籍にも魂が出てきます。宗教では洋の東西を問わず、魂は人間の精神を形成する重要な位置づけがなされています。「仏作って魂入れず」という諺もあるくらいで、何か肝心なものが欠けていることを言います。創作活動をしていると目に見えない何か不可思議なものの存在が気になります。作品が生命を宿したように見えるのは何故なのか、同じような作品でも形骸化を感じたり、技巧ばかりが目立って退屈なものに見えたりするのは何故なのか、人の感じ方でどのようにも取れるところを、誰が見ても心が打たれるのは何故なのか、自分には不思議でなりません。作り手から言えば、苦心したものにそうした魂が宿ると信じたいところですが、そうとも言えないのです。苦心して作ったものは空回りしていて、見ていて苦しいと感じる時があります。苦心した次にやってくるものに自然な流れを感じ、無理なく作品が出来上がることがあります。暫し見ているとその作品に魂が宿っていると感じるのです。魂とは精神がのり移ったもの、これは疑えないことかもしれませんが、その判断はどこからくるのでしょうか。それを認めるのも人の魂なのでしょうか。
2016.02.01 Monday
先月の前半は暖かかったのですが、このところ寒波がきていて寒さは一段と厳しさを増しています。朝の起床の辛さは、何回季節が巡ってきても慣れるものではありません。窯入れをしていると、出勤途中に工房に立ち寄らなければならず、そのために自宅を出る時間が多少早まります。それでも工房のある植木畑の梅の木に小さな蕾を見つけると、春は確実に近づいていると思っています。2月をどう過ごすか、陶彫制作をどこまで推し進めるか、毎年のように目標を立てていますが、どうも今年は例年に増して制作に邁進していかないと、完成間近になって相当辛い思いをすることになりそうです。目標としては擂り鉢状の新作を可能な限り作り続け、外側の円形部分の完成を目処にしたいと思っています。外側の円形部分は陶彫部品の他に木材を組んで台座を作ります。それも合わせて今月中に完成させたいと考えています。RECORDは今月も継続です。自宅での夜のRECORD制作が習慣化しているので、好きな音楽を聴きながらやっていきます。猫のトラ吉に邪魔されながら、寸時を惜しんで頑張りたいと思います。鑑賞では展覧会情報を張り巡らせ、これはと思う展覧会には足を運びたいと思っています。映画ではミニシアター系で観たい映画があります。テーマが暗いので家内が躊躇していますが、自分は必ず観に行こうと決めています。読書はやはりフロイト一辺倒でしょう。その他に従兄弟の結婚式や知人の書展があります。健康に留意して過ごしたいと思っています。
2016.01.31 Sunday
早いもので1月の最終日を迎えました。2016年も光陰矢の如く過ぎていくように思われます。今月は正月の休庁期間や三連休があって、新作の制作工程を少しでも進めようとしていました。それが遅々として進んでいないように感じるのは、気が急いているせいかもしれません。週休2日間のうち、最近は土曜日に疲れが出て、なかなか思うように制作に集中できないのが焦る理由です。昨年までのNOTE(ブログ)のアーカイブを見ると、今年は本当に苦しいと思っています。来月は陶彫部品の制作に弾みをつけないといけないと自覚しています。疲労を言い訳にしてゆっくり休んでいるわけではないのに、どうして週末になると焦りだすのか、作品を通して求める世界が年々水準を上げているのか、無意識に自分の首を絞めているように思えてきます。創作活動は自分に楽しみを与えるものだという定説が、自分には信じられなくなっていて、自分の身を削るように感じます。それでも制作をやっていくのは何故なのか、自分にもわかりません。来月は何とかしたいものです。今月の鑑賞は展覧会には行っておらず、専ら映画を観ていました。娯楽性のあるものでは「スターウォーズ フォースの覚醒」を観ました。ミニシアター系では「消えた声が その名を呼ぶ」と「放浪の画家ピロスマニ」を観ました。読書はフロイト関連のものばかりで、「夢解釈」を中断して「フロイト入門」を読んでいるところです。精神分析の面白さに魅了されつつあります。RECORDは相変わらず日々苦しみながらやっていますが、陶彫部品の制作ほど焦りを感じません。毎晩1点ずつ制作するRECORDの厳しさに慣れてしまっていて、これが当たり前になっているのです。今月は職場で体調を崩す職員が複数いました。前半は暖かかった気温が一転して厳しい寒さに見舞われたことが大きかったと思っていますが、幸い私は元気に出勤しています。でも異様な疲労に襲われると、病気ではないかと疑うところもあります。身体には充分留意して過ごしたいものです。今日は工房で夕方窯入れをしてきました。来週工房は窯を稼動しているため、夜の作業は出来ません。この寒さの折なので好都合かもしれません。
2016.01.30 Saturday
昨日の勤務終了時間から東京浅草に向かいました。横浜市旭区には12の公的施設があって、一つひとつに管理職がいるので、私たちの仲間は12人いるのです。日頃は多くの職員の中で一人で仕事をしていて、大小の事案を判断しています。私たちは孤独な役職でもあり、そういう意味でも12人が集まる場はとても貴重な機会です。みんなが相談できる相手であり、支えあう同士です。私たちは12人で1年に一度宿泊して研修を深めます。とりとめのない話も大きな危機管理としての心構えもお互い確かめ合って、明日からの仕事の糧とするのです。昨夜は浅草の雷門近くにある「駒形どぜう」に行って鰌料理に舌鼓を打ちました。ホッピー通りにも足を伸ばし、ワイワイガヤガヤと夜更けまで話し合っていました。今朝、浅草から帰って、家の用事を済ませ、明日の制作の準備にタタラを3枚作りました。自宅で暫し休憩し、夜は恒例になったミニシアターに出かけました。観た映画は「放浪の画家ピロスマニ」です。これは1969年に制作された映画なので、封切りから40年近く経っていることになります。私の記憶ではオーストリアのウィーンにある映画館で初めて観て、帰国後に数回観ているのではないかと思っています。私は1980年から85年までウィーンに住んでいて、よく場末の映画館に通っていました。物語が虚覚えなのはドイツ語吹替版だったせいかもしれません。帰国して観た本作の日本語字幕を読んで、初めて物語が分かったような記憶があります。まるでナイーヴ絵画のようなシーンはよく覚えていて、草原の風景や服装等の風俗を改めて思い出しました。20代に初めて観た時と、現在の年齢で観た印象が異なっていて、自分の年齢に応じた感覚の差異に我ながら面白さを感じました。詳しい感想は機会を改めます。今日はたいして制作は捗らなかったものの充実した一日を過ごしました。
2016.01.29 Friday
「夢解釈」(フロイト著 金関猛訳 中央公論新社)を中断して、現在「フロイト入門」(中山元著 筑摩選書)を読んでいるところですが、いよいよ「夢解釈」をテーマとする第三章に入ってきて、フロイトが「夢解釈」を書き始める動機がわかってきました。まず夢とはどういうものか、文中から引用いたします。「神経症は想起することが不愉快な心的な外傷の記憶と、それを抑圧しようとする意識との葛藤が、身体的に症状として表現されたものだった。失錯行為は、無意識のうちに抑圧された欲望が作りだすコンプレックスと、それを抑圧しようとする意識との葛藤が、日常生活のうちに作りだす現象だった。そして夢は、わたしたちが無意識のうちに感じている欲望と、それを抑圧しようとする意識の間で、一つの妥協として作りだされるものである。」そんなことを念頭に入れて、フロイトが試みたことは自己分析でした。ところが、「自己分析というのは、精神分析においては困難な問題を提起する。~略~無意識のうちに抑圧されているものは、自分が意識したくないために抑圧されているのであって、それを自分で意識のうちにのぼらせるのは困難なことである。精神分析は原則として、分析者と被分析者との対話のうちで初めて成立する営みである。フロイトはそこで、自己に精神分析を実行して自分の無意識を直接に分析することを諦めて、無意識の表現である夢を分析することにしたのである。」というフロイトが辿った精神分析のひとつの試行結果として夢の解釈を始めたのでした。「フロイト入門」を読み終えれば「夢解釈」の再読を始めますが、執筆の動機がわかったことは、自分には意義があることだと思いました。