Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 週末 疲労か?寒さか?
    やっと週末の土曜日になりました。このところ横浜も寒い日が続いています。相原工房は造園をやっていた亡父の残した植木畑に建っています。農業用倉庫として建てられているので、内壁はなく外と室内の温度差がありません。畑には霜柱が立っています。工房は言うなれば雨風を凌ぐだけの構造であるため、大型ストーブだけでは室内を暖めることは不可能ですが、無いよりもマシかもしれません。新作の制作工程をしっかり組んでいるため、どんな過酷な条件でも今日のノルマを果たさなければならず、なかなか厳しいなぁと思います。何回もNOTE(ブログ)に書いていますが、土曜日は身体が思うように動きません。原因として考えられるのはウィークディの疲労かなぁと思っていますが、あるいは寒さも影響しているかもしれません。今日は土錬機を使って40kgの陶土を練り、さらに手で菊練りをして小分けにしました。ビニール袋で密閉しておくのです。そのうちいくつかを使って、大きなタタラを6枚作りました。明日の成形の準備です。真夏なら汗が滴る作業ですが、今は汗さえ出てきません。手のひらがガサガサになり、作業後はクリームが欠かせません。朝9時から作業して、昼食でちょっと休み、夕方4時に作業を終えました。もう集中力が持ちません。乾燥している作品に仕上げを施そうとしたのですが、明日に持越しです。最近は日曜日なら多少無理がきいて頑張れるような気がしています。しかしこの寒さで、どこまで頑張れるのか、甚だ不安ですが、明日は朝から工房に篭ります。
    真冬の通勤時に思うこと
    このところ橫浜も寒くなっています。毎年この時季は起床がつらく、つい布団の中でこのままずっと眠れたらどんなに幸せだろうと思ってしまいます。春眠暁を覚えずといった諺が脳裏を掠めます。無情な目覚ましのあと、さらに5分寝ていたいと思うのは私だけではないはずです。私の起床は6時です。一般職員でいた頃は5時に起床して職場に一番乗りしていた時期もありましたが、今はそんな元気はありません。管理職になっても社長出勤というわけにもいかず、遅くても6時半には自宅を出ます。バス停留所まで歩いて数分ですが、冬ざれた景色でまだ夜も明けない中を歩くのは辛いものがあります。バスは数分遅れてやって来ますが、停留所で待つ時間に風でも吹いていたら最悪なコンディションです。ちらほらと通勤する人々が集まってきて、一列になってバスを待っている姿は真面目な日本人そのものかもしれません。大抵は同じメンバーでバスを待ちます。途中から乗車してくる人の中に美しい女性がいて、その人に会えるのが小さな楽しみになっています。工房に来る若いスタッフに似た容姿なのが、ちょっと気になったところで、ただしスタッフのようなアートの雰囲気はありません。私はバスから私鉄、さらにバスへ乗り換えて職場に着きますが、後半の駅から乗るバスには大勢の中高生が乗ってきます。職場の近くに私立大学の付属中学校・高等学校があるためで、後半のバスは賑やかです。今日のNOTE(ブログ)はつまらないことを書きましたが、定年退職となるとこんな通勤風景もなくなってしまうのだろうと思う次第です。
    3500日のメモ
    表題にした「3500日のメモ」とは何か、このNOTE(ブログ)の昨日までの投稿数です。2006年の3月16日(木)から始めたNOTE(ブログ)で、その日は「初めてのノートです。」という表題をつけました。その年の8月あたりから毎日書いてはアップして、現在まで継続しています。NOTE(ブログ)を書く習慣ができたのは、つまり8月からということになります。NOTE(ブログ)はほとんど就寝前の夜に書いてアップしています。時々早い時間帯に書いているときがありますが、ウィークディは勤務時間終了後です。全体を眺めていると、週末は工房での制作について書いている場合が多く、制作工程の進捗状況を記録しています。アーカイブを見て、現在の状況と比較することもやっています。勿論作品によって木材を使ったり使わなかったりしているので、一概に比較はできませんが、制作当時を思い出すことは容易です。NOTE(ブログ)と同じように毎日やっているRECORDのテーマをアップしていることがあります。RECORDの制作状況もNOTE(ブログ)で思い出すことがあり、まさにRECORDとNOTE(ブログ)は両輪のような発信手段になっています。美術館や映画館に行って鑑賞した作品の感想も書いています。場合によっては再度取り上げて視点を変えて述べることもあります。気になる芸術家を取り上げるケースや新聞記事から得た情報も取り上げています。書籍に関しては、読書によって得られた知識に限らず、文中の各章のまとめを行い、自分なりの要点を整理することをやっています。日常生活の中では、職場のことや家族のこと、飼い猫のこと等さまざまな話題を取り上げていますが、NOTE(ブログ)がホームページとして拡散していくことを考慮して、出せない個人情報もあります。その世界で名を成した人は実名で載せることがありますが、これから期待される友人知人に関しては、本人に断った上で掲載させていただいています。今後も出来る限り毎晩NOTE(ブログ)を書いていきたいと思っています。
    「ヒステリー研究」について
    現在読んでいる「フロイト入門」(中山元著 筑摩選書)の第一章「精神分析の誕生」の中で、大きく頁を割いているのが「ヒステリー研究」についての部分です。「ヒステリー研究」はフロイトとブロイヤーの共著で、多くの症例を取り上げています。まずブロイヤーの診断を本文から引用します。「(ブロイヤーは)ヒステリーの症状が生まれる原因を考察して、それを人格の分裂に求めた。~略~ブロイヤーはこう結論する。『周知の古典的な症例において、二重意識として注目されるあの意識の分裂が、すべてのヒステリーの根本的な原因となっている。この意識の分裂の傾向と、われわれが〈類催眠状態〉という名のもとに呼ぼうとしている異常な意識状態を出現させる傾向こそが、神経症の根本現象なのである。』」これに対してフロイトが異議を述べています。「(フロイトは)ヒステリーの素因を、心が複数の人格に分裂していることに求めるべきではないということである。~略~神経症の直接の原因が心的な外傷であることを認めながらも、それがたんに『病的な』ものと考えるのではなく、『性的な』性格のものと考えるべきだということである。」さらにフロイトが追加したことを引用します。「(フロイトは)心の内部に、意識的な領域とは別に独立した無意識の領域が形成されると考えた。いわば心の中に腫瘍のような異物が形成されていると考えたのである」分裂ではないと異議を唱えたフロイトが「手当て」という治療方法を実践しています。「フロイトは、患者の心的な抵抗をみいだしたのである。『患者のうちに、病因となる表象を意識化させること(回想すること)に抵抗する心的な力があるのであり、私は心的な作業によってその心的な力を克服せねばならない』と考えるようになったのである。こうしてフロイトは、ヒステリーを発生させているのは、ブロイヤーの考えたように、意識の分裂ではなく、患者のうちにある『抵抗』する力であり、そして観念を想起することにたいする『防衛』であると考えるようになったわけである。~略~フロイトがそのためにとくに利用したのが、患者の額に手をあてて、自由に連想させることだった。」自由連想法による治療がこうして始まったのでした。本書はその症例をいろいろ掲載していますが、次の機会に第二章のまとめを行います。
    精神分析の誕生
    現在読んでいる「フロイト入門」(中山元著 筑摩選書)の第一章「精神分析の誕生」のまとめをします。今でこそ精神分析は一般的に使われるコトバになっていますが、フロイトが生きた時代では如何ばかりだったか想像を巡らせています。職場によってはメンタルな問題を抱える職員がいて、カウンセリングを心理療法士より受けていたりして、精神分析学が医療として認知されている現状があります。研究の余地はまだありそうですが、心の病は現代人にとって増加の一途を辿っていると言っても過言ではありません。本書から、まず精神分析という概念がいつ頃使われたのか、その箇所を引用いたします。「フロイトの精神分析という概念は、ロマン主義的な魂の心理学の系譜につながるものである。フロイトが『精神分析』という語を初めて使ったのは、『神経症の遺伝と病因』というフランス語の論文で、1896年3月に発表されている。~略~この精神分析という語は、人間の心の疾患を科学的な方法で、とくに薬物や手術などの外科的な方法で身体に働きかけるという方法で、治療しようとする科学的な心理学の方法とは異なり、人間に精神を司る魂を分析することで治療しようとする試みを示すものだった。これは魂『プシュケー』を分析することで、心の病を治療できると考える方法だったわけである。」フロイトはフランスでシャルコーやベルネームに師事し、催眠術によって治療する方法を学んでいましたが、ウィーンに戻ってから新たな方法で治療を始めることになります。その箇所を引用します。「フロイトがフランスで学んだ催眠術による治療方法を放棄することによって、真の意味での精神分析が誕生するのである。」さらに発展していく精神分析に関しては次の機会に改めます。