2016.02.07 Sunday
一人で部屋に篭って勉強しているより、カフェ等で他者の視線を感じながら勉強した方が捗ることがあります。学習環境として複数の生徒がいる教室を有している学校は、その最たる施設なのです。これは心理学でいう社会的促進で、他者がいることでお互いの作業が捗る効果です。昨日と今日は工房に若いスタッフがきていました。彼女は大学院生で修了制作に向けて準備を始めているところです。大学院の工房は茨城県取手にあるため、通学時間のことを考えると、相原工房の方が彼女の自宅に近いので最適と言えます。私も若いスタッフがいることで作業が進みます。まさに社会的促進です。私自身はウィークディの疲労もありますが、そろそろ制作工程を考えると余裕のない状態になっています。若いスタッフは直接私の作品制作を手伝うこともありますが、寧ろ同じ空間で共に作業をしている状況を作ってくれている方が、私には有益です。今日の私は乾燥が進んだ陶彫部品3点にヤスリをかけ、化粧掛けを施し、窯に入れました。その後、昨日タタラにしておいた陶土を使って成形を1点作りました。一日の作業としては精一杯でした。若いスタッフは修了制作のための雛型作品を作っていました。彼女も一日の作業として精一杯だったのではないかと思いました。工房を去り際に窯入れしたので、3日間は工房が使えません。木曜日の建国記念日には焼成が終わる予定です。建国記念日に次の作業が待っています。
2016.02.06 Saturday
週末の2日間は陶彫制作に明け暮れています。土錬機で回して配合を終えた陶土をタタラにして、翌日成形をして彫り込み加飾を施す、こうして出来た成形を乾燥させ、仕上げに化粧掛けをして窯に入れる、これが制作サイクルです。この流れを週末のたびに繰り返しています。どんなに焦っても早く乾燥が進むわけではないし、窯の中の焼成時間も常に同じです。木彫なら猛烈に鑿を振るい、自分の都合で早く作業を行うことも可能ですが、陶彫はそういうわけにはいきません。自分の都合ではどうにもならない工程があるのです。制御できない素材に翻弄されながら何とかカタチを決着させていく、それが陶彫の面白さかなぁと思ってます。次から次へと進む工程は、自分の気分とは関係なく、自分にノルマを課してきます。ウィークディ明けの土曜日は疲れていると思っても、陶彫制作は待ってくれません。そんなことを思いながら20年以上も陶土と付き合っています。継続する意志はしっかり身についていると感じています。今日は朝から工房に篭って制作三昧でした。若いスタッフもやってきて、自らの課題に向き合っていました。夕方、神奈川県民ホールのギャラリーに若いスタッフを連れて出かけました。友人が書道展に出品しているので見に行ったのでした。勇壮な文字が書かれた友人の書を見て、自分も創作活動を継続する意志を再度確認した次第です。
2016.02.05 Friday
「フロイト入門」(中山元著 筑摩選書)第三章「夢とヒステリー」のまとめを行います。第三章の中心部をなす「夢の仕事」に関しては、既に内容をアップしていますので、それに続く「第一局所論」について書き、これをもって全体のまとめとさせていただきます。「第一局所論」とは何か、文中から引用します。「夢とヒステリーのような神経症は、無意識的な欲望とその抑制という同じメカニズムによって発生していることがわかる。~略~人間の心は意識、前意識、無意識の三つの場所=審級で構成され、それぞれの間に二つの検問所が存在していることが指摘されてきた。これが第一局所論と呼ばれるものであるが、この局所論は人間の心、知覚、記憶についてのさらに基本的なモデルに依拠したものである。~略~フロイトが考えた心のモデルでは、人間の心をさまざまな場所に分解して考えようとする。人間の心は、さまざまな部品で構成された装置のようなものであると考えるのである。フロイトは『心の仕事に従事している道具を、たとえば組み立て式の顕微鏡やカメラのようなものとみなす』ことができると考えた。~略~フロイトはこの反射装置で、『心的プロセスは、一般的に知覚末端から運動末端へ経過する』という想定を示したのである。」この知覚末端と運動末端の関係を調べていくうちに通常とは逆のプロセス、つまり退行もあると考えて、精神疾患治療の手掛かりにしたことが伺えました。
2016.02.04 Thursday
1969年に制作されたグルジア(ジョージア)の映画「放浪の画家ピロスマニ」を久しぶりに観てきました。私は20代の頃から数回に亘って本作を観ています。そのつど印象が異なり、ピロスマニという孤高の画家にずっと魅力を感じています。ゴッホは職業を転々とし、父のような牧師にもなれず、生前絵が売れなかったことで有名ですが、ピロスマニは酒場を回り、食糧や酒と引き替えに看板や壁に掛ける絵を描いていたところは、ゴッホとは境遇的には違うかもしれません。ただ、若い頃の自分はピロスマニにゴッホと似た生涯を感じ取っていました。ピロスマニは一時中央の画壇に注目されたときもあったのですが、晩年は貧困の中で亡くなり、共同墓地に埋葬されたようです。2人とも己の絵画の素晴らしさを信じて疑わなかったことが似ていると思った要素でしょうか。ピロスマニの絵画はグルジアの身近な風習や歴史、人や動物をテーマにしています。素朴派に通じる世界ですが、イコンのような正面性の強い絵は、独特な趣があって一目見てピロスマニの絵と分かります。映画のそれぞれのシーンもピロスマニの絵のような画面構成をしていて、制作当初より40年経ってもその美しさは変わりません。広い草原に一軒だけある乳製品を売る店が、まさに絵画そのものです。村の居酒屋で歌い踊るフランス人女優に恋心を抱くピロスマニが画面に映し出されます。真意のほどはわかりませんが、そのモチーフが「100万本のバラ」という歌になったというエピソードもあります。「私の絵はグルジアには必要ない。なぜならピロスマニがいるからだ。」とピカソが言ったそうですが、映画そのものも時代を経てもなお新鮮な感動があります。
2016.02.03 Wednesday
昨年11月から今年1月までの間に「夢の仕事」のまとめをNOTE(ブログ)に掲載していますが、これは「夢解釈」(フロイト著 金関猛訳 中央公論新社)第六章「夢の仕事」をまとめたものです。今回の「夢の仕事」のまとめは「フロイト入門」(中山元著 筑摩選書)の単元をまとめたもので、出所は同じですが、解説書からの引用であることをご理解いただければと思います。「人間の心は意識、前意識、無意識の三つの審級で構成されている。無意識と前意識の間に、第一の検問所が存在する。この検問所は、無意識のうちに潜む欲望を意識にのぼらせることを望んでいる。ここを通過した願望は、前意識の領域に入る。前意識と意識の間にある第二の検問所は、この願望を検閲して、それが意識の領域に受け入れられるように、手直し、歪曲するのである。ここで夢の仕事が行われることになる。」引用した文章は、神経症と同じようにフロイトが図示したものに夢の分析をあて嵌めたものです。フロイトはこのように人間の心には、意識、前意識、無意識の三つの審級があると考えていて、これを第一局所論と呼んでいます。夢の技法の中に「圧縮」があります。顕在的な夢内容は、夢の潜在的な内容に検閲をかけて、それを偽装したものを「圧縮」と呼んでいます。「置き換え」という技法もあって、夢の内容と意味を他のものに置き換えるものです。「表現可能性」という技法もあって、夢見る人は直喩や隠喩の散りばめられた詩人の言葉のような文を、像によって描かれる夢内容に表現しなければならないことを言います。「二次加工」という技法は、夢の顕在的な内容の形式そのものにかかわるのではなく、すでに形成された夢内容にあとから働きかけるという特徴があります。いずれにしてもここに掲げた言葉は、「夢解釈」に出てくる内容で、言葉によっては前にNOTE(ブログ)にアップしたものと重複しているものもあろうかと思いますが、今は「フロイト入門」のまとめとして書かせていただきました。