2016.02.22 Monday
月曜日になりました。早朝出勤して仕事を全うし、夜には自宅に帰る生活が今日からまた一週間続きます。週末が待ち遠しいと思う生活は公務員になった時以来、長いこと続いていて、この仕事だけでも充分に働きがいがあるなぁと思っているこの頃です。私は公務員になる前から創作活動をやっているので、週末は彫刻の制作に明け暮れています。ウィークディの夜にも小さな平面作品RECORDをやっていたり、このNOTE(ブログ)を書いているので、一日のスケジュールに余裕がありません。こんな生活を続けてきた影響は、きっと退職後に出てくるのではないかと危惧するところです。多忙な生活から一気に時間ができる生活になるのは精神的に危険だなどと思ったりしています。指折り数えて夢にまで見た退職後に訪れる創作一本の生活、これはもうこの歳まで仕事をしてきたんだから、次の人生ステージは20代の頃に理想として思い描いてきた彫刻家としての生活を謳歌しても罰はあたらないのではないかと思う生活です。ところが、今となっては心境の変化が著しく、再任用管理職を希望している次第です。管理職を続ける理由は、現在の職場環境をどうにかしたいと思っているのが主なことですが、もう少し二足の草鞋生活を続けていたいとも考えています。多忙に慣れて創作時間を確保するために工夫をしてきた私です。生活を変えることは1年間かけて少しずつやっていきたいのです。
2016.02.21 Sunday
今日の題名は特別のことではありません。工房にやってくる若いスタッフが与える心地よい影響のことを言っているのです。この時期、季節は三寒四温で体調を崩しがちになりますが、今日は春めいた快適な一日でした。工房は亡父の残してくれた植木畑に建っています。植木が周辺に多くあるというのは、季節ごとに移ろう花が視界に入ってくるのです。今は梅の花が満開です。工房の窓際には梅の大木が数本あって、窓から見える花々に心救われる思いになります。私は朝最寄の駅に着いた若いスタッフを車で迎えに行きます。車は工房に止めておきますが、家内が胡弓や三味線の練習の時は、私が車で練習所まで送っていくのです。家内が工房にやってきて車に乗ったときに「工房は外も内も華やいでいるね。」と言っていました。外は梅の花、内は若いスタッフ2人がいたからです。若いスタッフは2人とも美しい女性です。一人は中国籍のアーティスト、もう一人はインドネシア留学を終えた大学院生で、それぞれ自分の課題をやりにきているのですが、必要とあれば私の作品を手伝います。事情がわかっている家内は他愛のない一言をかけていたのですが、私はこの2人に実は精神的に助けられていることが多いのです。まだ20代で自己表現が定まらない2人にとって、創作活動は自分との闘いで悶々とした苦しさの中にいます。その自分を追い詰めていく空気感が私にも伝播してくるのです。私も自分の制作でボヤボヤしていられない状況になっていきます。張り詰めた空気が工房を支配し、お互い創作感覚が鋭くなっていくのを感じます。これは大変良い効果です。ただし、工房を去るときは私は疲労困憊してしまいますが、彼女たちは至って元気です。外見的には華やぐ工房ですが、内実は負けん気の集中力が炸裂する世界なのです。
2016.02.20 Saturday
週末になって工房での制作に拍車がかかります。ウィークディの疲労が残る土曜日ですが、そうも言ってはいられず、朝から身体に鞭を打っています。幸い若いスタッフが来ていて、自らの課題に夢中で取り組んでいるため、私も刺激を受けています。「疲れたぁ。」呟く声とは裏腹の溌溂とした彼女の笑顔に、私は何度も助けられています。「オジさんの方こそ疲れているんだ。」私の呟く声は本音です。肩が痛い、腰が重い、ままならぬ身体に、気合ばかりではどうしようもないことがあることを思い知らされています。それでも時は待たず、乾燥した陶彫部品が床に所狭しと置いてあります。陶彫部品は両手でやっと持ち上がるくらいの重量です。石や鉄の作家よりマシと思っていますが、この多くの部品を何とかしなければなりません。私の制作工程は、成形を終え乾燥した陶彫部品をヤスリにかけて、指跡を極力消していく作業があります。ヤスリがけの後に作業台は粉になった陶土でいっぱいになりますが、これを集めて容器に入れておきます。この粉を水に溶けばドベが作れます。これほど便利なリサイクルはありません。次の段階として、化粧がけをおこないます。化粧土は2種類使います。ここまできて漸く窯に入れることが出来るのです。部品が大きいので一度に焼成出来るのは2個から3個です。効率の悪い窯入れですが、陶器と違って凸凹が多くあり、窯内に無駄な空間を作ってしまうのが辛いところです。一週間のうち月曜日から水曜日を1回目、水曜日から金曜日を2回目として焼成を行っています。明日の夕方に窯のスイッチを入れます。明日も制作を頑張ります。
2016.02.19 Friday
かつて読んだニーチェの哲学書にも出てきた語彙ですが、精神分析学でフロイトが提唱したコトバが「自我・エス・超自我」です。現在読んでいる「フロイト入門」(中山元著 筑摩選書)第五章「フロイトの欲動の理論」に登場する第二局所論に、このコトバがよく出てくるので、改めて確認をしておきたいと思います。哲学や精神分析学に取り上げられるコトバは、普段の意識にのぼらない意味を含んでいて、形而上として捉える必要性があります。まず「自我」ですが、ネットで検索をしてみました。当初といっても1923年の話です。「自我」は当初、自己や私という意味であり、ここまでは私も普通に理解できるところですが、1923年以降のフロイトが精神分析に取り組むにあたり、「自我」を意識と前意識に無意識的防衛を含む心の構造として定義していきます。意識・前意識・無意識とは何か、これは簡単に説明できないので、私のNOTE(ブログ)のアーカイブから「フロイト入門」に関する文章を引っ張り出せば、説明している文章が出ていると思います。「自我」は「エス」からの要求と「超自我」からの要求を受け取り、外界からの刺激を調整する役割をもつのです。では「エス」とはなにか、これは無意識のことで無意識防衛を除いた感情や欲求や衝動のことを言うのだそうです。つまり本能に忠実なエネルギーのことです。「超自我」とは、ルールや道徳観、倫理観のことで「自我」と「エス」双方に伝える機能があるそうです。「超自我」は人として社会生活を営む上で必要な要素を有していて、さまざまな抑制の源になるように思えます。逆に「エス」が本能であるならば、「自我」に「エス」的部分が強ければ、感情を抑えきれない困った人になるのかなぁとも思いました。余談ですが、この「エス(es)」というドイツ語の意味の深さに私は驚いてしまいました。「Es ist~(それは~です)」というドイツ語会話は、普段の生活の中で頻繁に出てきます。私も滞欧中には多用していました。ずっと後になって和訳のニーチェを読んだときに不思議な感覚をもちましたが、哲学や精神分析学でのエスの扱いを改めて認識した次第です。
2016.02.18 Thursday
「フロイト入門」(中山元著 筑摩選書)第四章「幼児の性的な成長と性格の形成」のうち後半部分である「幼児の前性器的な体制と性格形成」と「エディプス・コンプレックスの運命」のまとめを行います。これをもって第四章全体のまとめとさせていただきます。「幼児の前性器的な体制と性格形成」の導入として冒頭部分を引用します。「フロイトの前性器的な体制の理論の興味深いところは、それが倒錯と結びつけて考えられているだけではなく、成人の性格と関連づけられていることである。~略~口唇期では、口唇粘膜と口膣粘膜の性的な利用が、性倒錯の主要な現象となり、肛門期では肛門の性的な利用が倒錯となる。男根期では去勢コンプレックスとの関係で、フェティシズムが重要な性倒錯として挙げられている。」それらが幼児から成人となった時の性格形成に影響している部分の考察があります。フロイトの弟子であるアブラハムの考察を引用します。「あるものを体内に摂取し、財を獲得することへの欲望、それを体内に保持し、財を所有しつづけることへの欲望、そしてそれを体内から排出し、所有物を消費することへの欲望である。いわば口の欲、腹の欲、肛門の欲である。~略~『倹約家』という性格は、金銭を貯めるという営みが、便を腸のうちに溜め込むという行為と類似していることから生まれたものと考えられる。~略~この金銭と糞便との関係についてフロイトは『人間が手にしたもっとも貴重なものと、人間が屑として投げ捨てるもっとも価値のないものの対立関係が、ある条件のもとで黄金と糞を同一のものと考えさせたのかもしれない』とも語っているが、この逆説は興味深い。」次に「エディプス・コンプレックスの運命」のまとめを次の引用から行います。「フロイトは自らの夢の分析によって、エディプス・コンプレックスという概念を構築してきた。この概念は、誘惑議論を放棄するきっかけとなったものだった。患者たちが訴える誘惑の配置は、作られた記憶であり、その背後には、このエディプス・コンプレックスが存在することを~略~明らかにしたのである。~略~自分を大切にしようとする『ナルシシズム的な関心と、両親という対象にたいするリビドー備給のあいだに葛藤が生じる。そしてこの葛藤においては、通常はナルシシズム的な関心が勝利を収める。そして子供の自我は、エディプス・コンプレックスから眼を背ける』という帰結が訪れる。~略~超自我は父親との同一化によって生まれたものであるために、少年の自我にたいして『おまえは(父のように)あらねばならない』と命令する。~略~しかし同時に超自我は『おまえは(父のように)あってはならない』と命令する。父のように母親を愛してはならないのである。このようにして『近親相姦の禁止を永続させる』ことになる。」引用ばかりで単元の旨を掴めないかもしれませんが、一応ここで第四章を終わらせていただきます。