2009.12.15 Tuesday
アレキサンダー・コルダーは空中に浮遊するモビルで世に知られた彫刻家です。自分の学生時代に見た美術雑誌に、コルダーの作業場の写真が掲載されていて、そこはまるで町工場のようなところでした。鉄の部品が所狭しと置かれている中、町工場の親父という風情のコルダーが作業している写真は、親しみやすく印象的でもありました。「瀧口修造全集2」にあるコルダーに関する記述で「彼のモビルはためらったり、やり損なったりする。それは物質と生命との中間の不思議な存在なのである。時にはその動作に何か意味ありげに見えるかと思うと、度忘れしたように停止して、途方にくれたりする。彼の彫刻は何ものをも暗示しない。彼は現実に生きた動きをつくりだすのである。それは自分自身しか意味しない。彼らは存在する、ただそれだけである、というように(サルトルは)いっている。いかにもサルトルらしい見方であるが、またモビルの面目が躍如としている。〜以下略〜」という箇所に注目しました。コルダーのモビルは、白い壁のある室内空間に天井から吊るされて、その先端の板に鮮やかな色彩が施されている印象が常にあるので、明るい開放的な雰囲気が漂います。この最小の面積をもつ造形が、最大の空間を演出する世界は、追従を許さない画期的なものだと思っています。
2009.12.14 Monday
愛読している「瀧口修造全集2」の興味関心のある箇所は、やはり彫刻家を扱っている章です。「ムーアにとって、何につけ自然のありかた、とくに生長の仕方に親しむということが必要なのである。自然の深い知識から、生きたリズムと自然の形の組織とをもった理想形態を創るのである。ただその場合に一つの困難がある。というのは自然の生長形態は多く不安定な物質で被われているので、人体の筋肉にしても、柔軟な植物にしても、そのまま金属や石に移すことはできない。そこで、ムーアは自然形態のなかに、堅い、緩慢な成長の型を求めて、彫刻しようとする材料にふさわしい形を見いだすのである。〜以下略〜」ムーアが従来の具象でもなく、抽象でもなく、始原的なカタチを彫っているのを、自分は学生時代からずっと注目していました。自然な状態が、ムーアという作家を通過すると、自然なまま骨格や生命を与えられて、自然の状態に再構築される不思議さに、幾度となく感銘を受けてきました。その大地から湧き上がったような形態に雄大なスケールを感じ、またムーアが塊と同じと考えている穴の存在にも注目して、内なる空間の意識を持ったのもムーアの彫刻を通してでした。瀧口流評論によって、ムーアの彫刻に夢中になった頃を思い出しました。
2009.12.13 Sunday
今朝は6時半頃に工房に行きました。座布団の大きさほどあるタタラは、まだ多少柔らかく立体として立ち上げるのは難しいと判断しました。そこで昨日の成形に修整を加えていました。今日は美大受験生が工房にやってきました。来春早々試験を控えているので、デッサンを見て欲しいと言うのです。空間演出デザイン科志望の子で、自分が美術系の学校を勧めた経緯があるので面倒を見ているのです。そういう事情の子たちが、やがてボランティアとして自分の作品を手伝ってくれたり、工房を使って自作を作ったりしているわけです。作業場を借りてやっていた頃も、課題を抱えた美大生が自分のところに出入りしていました。今は自分の工房なので、彼らは喜んでやってきています。大学の作業場以外に課題が出来るところがあるというのは便利なはずです。自宅で、とくに立体造形をやるのは難しいと思います。自分も同じ経験をしているから、なおさら彼らをサポートしたくなるのです。今日はタタラが少し硬くなったところで、成形を2点やりました。これで陶彫土台は6点になりました。あと2点で土台の成形は出来上がりです。
2009.12.12 Saturday
週末になると工房での制作工程を書くようにしています。週末しか作品が進まないので、日記として残しておきたいと考えるからです。今日は朝7時に工房に行き、柱を支える陶彫土台2点の成形をしました。前に成形が終わっている2点に関しては修整を加えて乾燥をさせています。土台はこれで4点になりました。次の成形準備としてタタラを6枚用意し、これは明日以降に使う予定です。今日は冬とは思えないほど暖かい一日でした。工房での制作もリズムが出来て、今日みたいな暖かい日はとくに仕事が進みます。RECORDも11月分と12月分が工房の机に広げてあります。絵の具や落款の印泥を乾かすためです。ポストカード大のRECORDは2か月分を小さな収納箱に入れています。さらにその収納箱を大きな収納ケースに入れて棚に仕舞います。3年間分がそこにあります。陶彫の成形が終わったものや乾燥をさせているものは床置きです。成形が終わっても修整が必要なのでビニールをかけてあります。乾燥は剥き出しですが、さらにまだ手を加えるので、これで窯に入れるわけではありません。途中の作品がいろいろな場所に放置出来ることが、自分の工房を持つ者として嬉しい限りです。明日も朝から制作の予定です。
2009.12.11 Friday
先日、ピカソによる斬新で闊達な陶芸についてブログに書きました。奔放な表現でありながら新鮮さを失わない豊かな造形がそこにあると思います。同じスペイン出身の巨匠ミロの陶芸にも自由で開放的な表現が見られます。気儘に作ったようでいて、ハッと瞬時に人を惹きつける魅力は何でしょうか。こうした20世紀を代表する芸術家が陶芸界に新風を吹き込んで、美術と工芸(陶芸)・デザインのボーダーレスの時代を作ってきたと言えるのではないかと思います。日本でも八木一夫を中心とする走泥社が、新しい陶による表現を模索してきました。かなり前から陶芸は、陶による表現に意識が変わり、さらに陶芸と言うにはあまりにも広義な表現を獲得してきました。自分は彫刻の素材として陶を用いているので、陶彫という呼び名を使っていますが、作家の中にはその範疇を超え、クレイワークと呼びたいような作品をやっていられる方もいます。一方で器の美しさを極める作家もいて、まさに百花繚乱の世界になっています。その中で自分のオリジナリティを出すのは逆に難しくなっていますが、自分は自然なままに自分がやりたいような世界を作ることをまず考えていきたいと思っています。