Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 憧れの彫刻庭園
    前に香川県に行った折、イサムノグチ庭園美術館を訪れました。庭園美術館は予約が必要で、ちょうど四国行きの日に合わせて予約したのです。高松駅から琴平電鉄に揺られながら、海と小高い山が鬩ぎあう風景を車窓から眺めていました。八栗駅は小さな駅でほとんど降りる客はいませんでした。そこから歩いてイサムノグチ庭園美術館に辿り着きました。この日は数人でグループになり案内人に導かれながら中に入りました。写真では知っていた彫刻庭園。大きくもなく小さくもなく、自分の思っていたスケールで目の前に広がる彫刻庭園。未完の石彫が点在し、大きな樹木が庭園に影を落としていました。石と緑のコントラストに加えて、移築した酒蔵の白い壁。なんて雰囲気のよい空間なのでしょう。ずっと昔からこんな風景が見たかったと思わせる心地よさ。まさに自分にとってはこれを聖地と呼ぶのでしょうか。大げさではなく本当にそう思ったひと時でした。今でも眼を瞑れば、憧れの彫刻庭園が見えてきます。自分もこんな空間が作れないものか、本気でそう考えたひと時でもありました。
    週末 木彫と素材購入
    昨日から新作の木彫を始めています。鑿の研ぎを始めると、気持ちが落ち着き、新作に向かう心構えができます。今回使用する木材は赤松です。建築資材として売られていたものですが、もとは間伐材であろうと思われます。繊細な彫刻には向いていません。節が多く木目も揃っていないので、彫るのには困難が付き纏います。マイナス面があってこそ木らしい木の自然のなすがままが出てきます。柱の荒彫りを1本彫ったところで、午後は別の仕事をしました。今やっているのが来年に向けての作業であるならば、午後は再来年のことを考えての素材購入に走りました。再来年はデビュー作である「発掘~鳥瞰~」の発展した作品を考えているのです。昨年の個展では、それまでの発掘シリーズから一歩出て「発掘から構築へ」というテーマを掲げました。今年と来年は「構築シリーズ」をやります。再来年は「発掘シリーズ」に戻そうと考えているのです。自分にとっては「発掘」と「構築」は螺旋のように交互に現れる表現なのです。作業はまだまだ先のことですが、イメージ先行で準備しておこうと考えています。
    週末 野外工房の完成
    今日から新作の木彫に取りかかる予定で、一週間ぶりに工房に行きました。すると野外工房がすっかり出来上がっていました。5月の日差しの中で、新しいコンクリートが眼にまぶしく感じました。ガレージ側には運搬用車両が出入りできるように舗装道路が出来ていました。工房周囲には犬走り、正面には広い面積をとって、野外で作業をするスペースがあって、これはいろいろ活用できそうです。その正面スペースには、もともと植木畑にあった大きめの樹木を2本だけ残してあります。これも施工を請け負った近隣の工務店の社長に、あらかじめ話しておいたのです。ともかく野外工房には、大きな木材や石を置いておきたいと考えています。所々に複数の素材を置いて交互に作業しながら、全体としては場の彫刻空間を作り上げたいと思っているのです。四国の高松にあるイサムノグチ庭園美術館のように、未完成であっても作品が野外に点在する環境を作りたいと思います。
    木彫を始めるにあたって
    明日から新作の木彫を始めます。単純な文様を彫り込んでいく作業です。陶彫は完全なるモデリングではないにしろ素材(陶土)を加えたり削ったりしていく作業工程があります。可塑性がある素材だけに許される方法です。木彫はカーヴィングと言われる素材(木材)を削るだけの作業工程です。狭義の意味でいえば彫刻の真骨頂とも言える技法です。学生の頃は、あまりカーヴィングが得意ではなかった自分ですが、彫る面白さに気づいてからは、常に造形の原点はカーヴィングにあると決めています。素材の中に潜むカタチを探っていく作業は何とも魅力的です。木彫と陶彫の組み合わせで作品を作る場合は、まず木彫から始めます。今回の作品も「構築~瓦礫~」同様、木彫と陶彫を組み合わせる予定でいるので、明日はまず木彫から始めようと思います。
    言語と図像の関係
    「言語と図像とは、位相を異にしながら、牽引し合う。余白に書かれたように見えながら、言語影像としての自発的な対位法をもつ。」(「瀧口修造全集5」みすず書房)自分がコトバを選ぶ時に感じることのひとつに、自分の彫刻作品の説明ではないコトバで、彫刻のイメージを共有しうるコトバとはどういうものかという自問自答があります。時に作品の自己解説を試みることがありますが、これはコトバが図像の従属的な関係を作ることになります。そうではないコトバとは何か、瀧口流に言う「牽引し合う」関係とは何か、「自発的な対位法」とは何か、コトバも図像と同じ座標にたって、図像の発想が始まる原点に立ち返って、コトバを紡ぎ出すという作業をやってみたいと思っているのです。イメージの共有化が図れれば、コトバが作品に寄り添う必要はないし、作品を意識する必要もないと思っています。ただし、「位相を異にする」という関係は、視る行為と読む行為、または直感的と知覚的と言い換えられる相対する行為があって、両領域から発せられるイメージで自分という世界の輪郭が辿れれば、伝達手段の多様性によって、さまざまな鑑賞者に自分を伝えられるのではないかと考えているのです。