2010.05.22 Saturday
朝から工房に行って、木彫に取り組みました。いろいろ用事があって、途中で中断も余儀なくされましたが、木を彫っている瞬間の楽しさを改めて認識しました。いつぞやのブログにも同じ内容を掲載しましたが、木を彫る行為は精神が安定します。鑿の先を見つめながら、木槌で彫っていく行為は、木と対話しながら木目に逆らわず、カタチを探り当てていく行為です。これが無我の境地になって、精神安定に繋がるのだと思います。ひとつのモノだけ見つめて単純な作業を繰り返すことは、日頃の公務にはないことで、それだけでも新鮮であり、コトバを介在することなく視覚または触覚だけが頼りの世界です。彫りながら思考していることがあるかもしれませんが、ほとんど意識はせず、彫る行為に集中しています。そんな瞬間が訪れることが至福を感じる時なのです。
2010.05.21 Friday
亡父の残してくれた植木畑に捨てられていた野良猫「トラ吉」が、我が家に居候して三週間が経ちました。日に日に成長して、今ではすっかり我が家の住民になっています。ケージから出すとリビングを走り回り、家内や私の膝に乗り移り、やんちゃぶりを発揮しています。表情が面白くて、よく見つめ合ってしまいます。なるほど漱石が著した「我輩は猫である」のイメージ通り、思慮深い表情をする時があって、本当はこちらの心理を読み取って行動しているのではないかと思うことがあります。ワザと可愛い仕草をしたり、鳴き声で人を挑発したりしているのではないかと思うことさえあります。忍び足になってみたり、じゃれついてみたり、妙に人間臭いところがあって愉快です。画家藤田嗣治がよく猫を描いていますが、ポーズをとった「トラ吉」を見ていると、藤田流に描いてみたくなります。師匠の彫刻家池田宗弘はガリガリにやせ細った猫を真鍮直付けで作っています。これも「トラ吉」を見ていると納得できます。猫の動作が彫刻的で、何かドラマを秘めているように思えます。
2010.05.20 Thursday
石彫や木彫は、まず素材の持つ美しさがあって、その美しさを引き出すために、彫刻家が腕を振るうものだという認識が私にはあります。それは西欧的な彫刻の考え方とは異なるものです。ヨーロッパの街には、いたるところに彫刻があり、それは建物の一部だったり、広場の記念碑だったりします。そうした彫刻は石は何かを表すための素材であり、石そのものの在るがままの姿を表してはいないのです。たとえばヘレニズムの時代から脈々と続く肉体賛歌は、西欧的な彫刻の礎であり、そうした人体彫刻にあっては、未完はこれから完成していくであろう工程を想像させる途中でしかないと思います。前述した私の考え方は、西欧的な考え方と異なり、たとえ未完であっても完成された姿なのです。石そのものでも配置によって完成とすることができるというものです。これは日本庭園にも繋がる空間解釈です。石彫や木彫で何かを表現するのであれば、未完の美しさに完成を見る彫刻でありたいと願っています。
2010.05.19 Wednesday
連日思い立ったように、かつて訪れた香川県牟礼のイサムノグチ庭園美術館のことを取り上げています。何故かと言えば、先日完成した野外工房のことが念頭にあるからです。イサムノグチ庭園美術館の彫刻庭園に大変な刺激を受けたことは、昨日のブログに書きました。石材の点在する空間、そこにある未完の作品の美しさは自分の脳裏に焼きついて忘れらません。次第に自分もこんな場所があったらいいなと思うようになり、羨望と僅かな期待を胸に秘めていました。自分の野外工房が出来上がり、それを見た途端、羨望は願望に変わり、やがて確かな欲求となって、自分にも彫刻庭園と称する場所が作れるのではないかと思いました。自分の野外工房にも2本の樹木をそのままにして、根の部分を円形にコンクリートを刳り貫いた箇所があります。全てをコンクリートの床にしなかったのが、彫刻庭園を意識しての計画だと言っても過言ではありません。まず野外工房は作業場として活用していきますが、将来的には彫刻を点在させてみたいと考えています。
2010.05.18 Tuesday
昨日書いたイサムノグチ庭園美術館について再び取り上げます。庭園美術館にある石材が林立する空間に、自分は刺激を受けただけではなく、自分のその後の人生設計を変えさせられたといっても過言ではありません。彫刻庭園にある石材は全て未完に終わっている彫刻作品です。イサムノグチは晩年の20年もの間、ここで制作をしました。石材を点在させておいて、作品の周囲を回りながら彫っていたと聞いています。未完の美しさを知りえた老彫刻家だけが許される世界です。自分はそんな彫刻庭園とその作者に羨望を抱きました。晩年はこうでありたいと願ってやみません。未完の美しさは余裕の成せる業で、未完作品の林立する空間は未完のままではないのです。作り過ぎない微妙なバランス。空間全体を見据えた大きな造形感覚。いつ作者が鏨をおいても鑑賞に値する作品群。そうしたセンスはどこから生まれるものなのでしょうか。彫刻の置かれる空間の奥深さに彷徨いながら、自分もやってみたい意欲に駆られています。これが人生の最後の到着点でありたいと思います。