Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 富士山を眺めながら…
    今日は眼前に広がる雄大な富士山を眺めながら過ごしました。富士山は画家が好んで描くモチーフのひとつで、古今の画家が秀作をかなり残しています。若い頃の自分の鑑賞体験では、富士山といえば横山大観でした。非の打ちどころがない富士山の雄姿が描かれ、横山大観によって自分は富士山の美しさを認識したと言っても過言ではありません。ドイツ表現主義に影響されていた大学生の頃は、片岡球子の描く破天荒な富士山が面白くて仕方がなく、絵画は心象によって描くものだと決めていました。それによって非具象になっても構わないと思っていました。クレーやカンディンスキーが富士山を描いたらどうなるだろうと想像すると楽しくなりました。日本の象徴のような富士山。ところで、自分は富士山を描いたことがありません。富士山は眺めるものという自分の決めつけがあって、富士を表現するに至っていないのが正直な気持ちです。
    青木ヶ原樹海を歩く
    富士山の麓に広がる青木ヶ原樹海。鳴沢村にある宿泊施設からインストラクターの誘導で樹海に入り、環境保全の研修を積みました。溶岩台地に広がるヒノキやモミ、ナラ等の木々の間を歩き回りました。鬱蒼とした緑に囲まれていると、美的なイメージに繋がるものがあらゆるところに潜んでいて、楽しい気分になりました。溶岩流に見舞われていない太古の森では、巨木に宿る不思議な生命を感じ取り、大地から湧き上がった樹木にポッカリ空いた穴や空洞が、彫刻的な造形を感じさせてくれました。しかしながら人が作るモノは何と頼りなく貧しいものか、自然の中にいるとそんなころまで思い描いてしまいます。そこかしこにある洞窟もまた然りです。大地の内側にスッポリ入り、光の無い世界に触れると、視界とは一体何なのか、脳が感じとる存在の意味を考える機会を与えられたように思いました。視界に関する自分なりの考察は次の機会にするとして、今日は歩いて立ち止まり、そして感じて思い描く貴重な一日になりました。
    県外宿泊研修へ…
    昨年は新潟県の魚沼方面に出かけました。宿泊施設で出された美味しい米飯に舌鼓を打ち、またロビーに展示してあった縄文土器の数々に驚かされました。それが契機になって、昨年夏は縄文土器を見に新潟県や群馬県に行ったのでした。今年の研修場所は山梨県になりました。毎年この時期に宿泊を伴う研修があるのです。横浜を離れて、自然の中に身を置く研修はなかなかいいものです。ましてや好天に恵まれ、富士山の裾野で雄大な富士山を眺めながらの研修は、環境を考える上で大変役立つものになりました。
    6月RECORDは「曲がる」
    紆余曲折というコトバがあります。自分の人生は紆余曲折ばかりと思い込んでいましたが、人は皆大なり小なり紆余曲折の人生を歩んでいるものでしょう。壁に当たらない人生なんてあるものかと思ったりしています。今月のRECORDは「曲がる」というテーマで、そんな人生の変化球や遠まわりを象徴した作品を作っていこうと考えています。RECORDというのは、今まで何度もブログに書いていますが、一日1点をノルマとして毎日葉書大の作品を描いていくことの総称を言います。それこそ紆余曲折しながら毎回仕上げているのです。「曲がる」ことで空間の広がりを表現することができると思います。人生に幅が出るのと同じかもしれません。今月はそんなことを思いつつ毎日作品をやっていきます。
    開港記念日によせて
    横浜に生まれて横浜で育った自分は、小学校の頃より開港記念日が定着していて、式典ではどこでも市歌を歌うものだと思っていました。他県の友人に聞くと式典の度に市歌を歌うのは珍しいらしく、これは横浜の特色ある教育の一環だったのかもしれません。今年は開港151年です。150年以上も前、自分が住んでいる一帯はどのような土地であったのでしょうか。自分の先祖はここにもう住んでいて、農家の小作人をやっていたようです。昼夜を分かたず働いて、少々の土地を譲ってもらったのが始まりだと亡くなった祖母から聞いたことがあります。二代目は大工で大酒のみで逸話の多い人物だったようです。三代目も大工、四代目は造園業、そして五代目の自分は彫刻家。150年以上も前は田畑の広がる農村で、牛馬が行き交う大山街道があって、このあたりは本宿(現在は本宿町と南本宿町)と呼ばれていたそうです。少し歩くと二俣川村があったそうなので、このあたりの地名はかなり古くからあったと言えます。開港記念日に、こんなことに思いを馳せてみました。