2010.05.27 Thursday
職場の人から山菜をいただいたので、家内が天ぷらにしました。山菜は後味が良くて大好きです。余裕があれば、山菜を採りにどこかへ出かけたい気分です。20代後半に滞欧生活をしていて、銀行口座に貯金がなくなり、住宅の中庭(ホーフと言います)にあった食べられそうな草を採って、天ぷらにした思い出が甦ります。ウイーンの森に「行者にんにく」を採りにいった思い出もあります。ビニール袋いっぱいに採った山菜で、しばらくは生活をしていました。同じウイーンにいた邦人版画家の先輩は、住宅の室内に土を持ち込み、そこでシソを育てていました。天ぷらだけではなく、おにぎりに巻いたシソが美味しかったことが忘れられません。山菜の天ぷらで、20代の頃の記憶がタイムトリップして、当時と現在の自分を比較してしまいます。時間が豊富で生活が苦しかった時代と、生活の保障がされていても多忙を極める時代。どちらの時代でも環境に逆らわずに自分は生きていたと思いを馳せながら、天ぷらを味わったひと時でした。
2010.05.26 Wednesday
展覧会へ頻繁に足を運んでいたのは20代の頃で、自分が一体何をしたいのか、美術界ではどんな表現が罷り通り、それの礎になる示唆に自分はどこまで迫れるのか、そんなことをずっと考えていた時期でした。その頃、自分にとって一番解り易かったのは具象表現で、受験時代からやっていたデッサン等をそのまま続けるのが自然の流れでした。それは決して退屈ではなく、その中で充足している自分を認識していました。それでも難解と思われる表現にいつも注目していて、自分なりに現代美術の潮流紛いの試作もしましたが、現象ばかりを追いかけた上っ面の作品であったため、気に入るはずもなく、当時の作品が見つかるたびに羞恥に耐えかねて闇に葬っているのです。滞欧生活からしばらく経って、自己表現に変化が現れました。表現したい欲求が確かなものになって、また技能も追いついてきたと言えます。表現の変遷を経る中で、表現とは意図して起こるものではなく、そこに大きな意図が働いていたとしても、時間の経過の中で緩やかに進むものなのかもしれません。作家としての個人差はあるにしても、少なくても自分には自然な成り行きとして今の表現方法があるのだと思います。
2010.05.25 Tuesday
「瀧口修造全集Ⅴ」(みすず書房)には、作家の個展や出版等に寄せる滝口の文章が掲載されています。それは通常の美術評論として書かれたものや、作品鑑賞から生まれ出た詩的なコトバも数多くあります。そうしたコトバは、実際の展覧会を見ていない自分にとって、美術作品を動機付けとした別の世界感を形作っているように思えます。詩をよく味わいイメージするところを探ると、その動機となった美術作品との間にどんな関係が結ばれているのか興味が尽きないところですが、今となっては過去の展覧会を見ることは不可能です。よく知られた作家や作品の場合には、対象となるモノと瀧口修造の関わりが多少は理解できて、それだけでも面白いと感じます。様々な表現を、あらゆる媒体を使って作品化する世界にあって、それを考察をする上で、瀧口修造の試みは自分の鑑賞力を高め、翻って自己表現を考える上でも、一助になっていると確信しています。
2010.05.24 Monday
正直言って月曜日はモチベーションが上がりません。慢性的な疲労があるのかもしれません。身体全体がだるくて、仕事はスローペースになってしまいます。それでも週末は、不思議と元気が回復して制作に励んでいるので、これは気持ちの問題だと思います。この時季は寒暖の差が大きく、体調を崩しがちになります。創作活動でも、7月の個展に出品する作品が一段落して、図録の構成を進めている最中ですから、緊張が緩む時でもあるのです。教育界で言う「早寝早起き朝ごはん」に基づく「基本的生活習慣」をしっかりやって、心身の健康を心がけたいと思います。自宅に帰って、ぼんやりソファに横たわっていると、もう何年も、いや10数年も公務や創作活動に追われてきたことを思い返し、この自転車操業がいつまで続くのか考えてしまいます。でもこれは決して苦しくなく、焦らず休まず、楽しみながらやってきているので、自分なりに二束の草鞋は充分可能な範疇なのです。定年まで週の始まりにちょっぴり首を垂れながら、このペースで生活をしていくのかなと思っています。
2010.05.23 Sunday
度々ブログに書いていますが、いつも週末になると実感することが、表題にある制作三昧です。日頃は横浜市公務員として働いている自分が、心を解放できる時間が制作をしている時間帯です。それは自分と向き合う時間であり、自分の創作意図を具現化する時間です。時々ボランティアで自分の制作の手伝いに来る学生がいます。手伝いと言っても彼らも自分の制作をしていることが多く、同じ工房の空間を共有して、お互い促進しあっている場面があります。それは幸せな瞬間でもあります。木を彫ること、土を練ること、そうした素材との対話も、自分の心を癒すものです。継続は力と言いますが、決してつらいものではありません。毎週末が楽しみでならないのです。