Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 6月の制作計画
    6月になりました。梅雨の時季を迎えますが、じめじめして湿気の多い毎日は好きになれません。でもこの季節が陶芸には最適で、土がゆっくり乾燥するので、ひび割れが少ないのです。今月は来年に向けて新作を進める予定です。今年7月にギャラリーせいほうで発表する「構築~瓦礫~」の相対する作品を今考えていて、今月中にその新作が多少でもカタチになってくれればと思っています。「構築~瓦礫~」と同じように木彫した柱を陶彫部品で支える作品になりますが、柱を放射状にするところが「構築~瓦礫~」とは違います。相対する作品というのはそういう理由です。柱は今月中に荒彫りが終わる予定です。陶彫部品も数点作れればいいと考えていますが、あまり欲張っても計画通りにはいかないものです。今月は休日出勤が多く、作業時間があまり確保されないことがわかっています。本当は工房や自宅アトリエの整理整頓もしたいところですが、絵空事になること間違いありません。今月も時間に追われる羽目になりそうですが、身体を気遣いながらやっていこうと思います。
    豆好きのマメな性格
    自分は母親譲りで、豆類が大好物です。朝の納豆は欠いたことがありません。パンでも豆パンが好き、というよりパンはドライフルーツがどっさり入った密度のある硬いパンが好きなのです。和食ではやはり豆料理。豆腐も木綿ごしがいいのです。口当たりのよい食物は、あまり好んで食べたりはしないので、ファーストフード店は余程の空腹でないと入りません。こんな嗜好が性格に表れることがあるのでしょうか。このブログも毎日欠かさず書いていますし、週末はきちんと創作活動をしています。豆好きでマメな性格という語呂合わせが、自分にはぴったりです。大豆、小豆、落花生、アーモンド、えんどう豆…すべての豆を愛する同好会を始めてみたいものです。
    週末 作業場の変化
    朝から夕方まで工房で作業をしていると、さまざまな思いが浮かんできます。単純な木彫作業をやっているせいもあるのでしょうが、10数年も前に当時借りていた作業場で、ギリシャやトルコに現存するローマ時代の円形劇場や遺跡を発想の下敷きにして陶彫を作っていたこと、傍らで一緒に制作をしていた人たちのこと等、過ぎた時間を手繰り寄せながら、一日中鑿を振るっていました。今でも発想の下敷きは変わりませんが、ただ自分の置かれている状況、つまり自分の工房で制作していることが不思議でならないのです。地に足がついていることを実感できるのは、浮き草だった当時にしてみれば信じられないことです。自分の工房であればこそ、2年後や3年後の制作予定の材料を置いておくことができます。自分の制作環境を自分の手で作り出すことができます。ただ制作時間だけは、当時より少なくなっていることは事実です。いつでも制作できる環境ならば、放っておいても大丈夫という考えがまずいと思うこの頃です。
    週末 木彫に捧げる時間
    新作の木彫を始めています。今日一日は木彫を精一杯やりました。まだ荒彫りですが、彫り跡の美しさを感じながら、木との対話を楽しんでいます。作品はまず構想があって、その具現化に取り組むのですが、部分を作っている時が何より楽しくて、いわば職人的な充足感があるのです。それは木彫に限らず陶彫も同じです。全体が見えてきた時も別の面白さが湧いてきますが、そこでは最初のイメージとの葛藤があるので厳しさがでてきます。今はただ木を彫る作業に没頭できるので、図面通りにすればよいという楽しさがあります。木材は良質のものではなく、節や裂け目が数多くあります。鑿を研ぎながら、大きな節をどう攻略しようか思案します。裂け目はどの程度なら許せるだろうか、作品の効果を考えながら、ありのままの姿をどう生かしていこうか、どこをきちんと彫って、どこを荒彫りで留めるか、そこが図面通りにはいかないところではあります。木工職人とは異質なところでもあります。木との対話はそんなところにあって、全部きちんと作りたいところを我慢して鑿を置くタイミングを考えながら、一日を過ごしました。
    猫に纏わるエトセトラ
    我が家に住みついてしまった野良猫「トラ吉」は、家内がよく面倒を見ています。家内はウサギが好きで、ウサギを飼った経験はありますが、猫は初めてで、子猫のアクティヴな行動に面食らっています。自分は子どもの頃、ほとんど野良と化した猫「タマ」を実家で飼っていました。「タマ」は家の軒下を住処にしていて、餌は残飯ばかりでした。「タマ」が普段どんな行動をしているのか皆目見当がつかず、食事の時だけ顔を出す放任状態でした。もう40年以上も前の話で、農家だった実家には家畜もいて、猫は現在のようなペットとしての扱いはしていなかったのです。今でも鮮明に覚えているのは、屍になって硬直した「タマ」を庭先で見つけ、裏山の竹林の中に手厚く葬ったことです。埋めてやらないとカラスの餌食になってしまうのがわかっていたからです。我が家にいる「トラ吉」もやがて死を迎えます。自分たちがあえて動物をペットショップで求めたことがないのは、こんな理由からです。でもウサギの「ウサ吉」といい、猫の「トラ吉」といい、何の因果かわかりませんが、今まで捨てられていた動物を引き取って飼っているのです。近くに「命」が存在する以上、全うさせてやりたいと思う心が働いてしまいます。