Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 写生はゴッホのように…
    最近ブログに高校時代に学んだフォーヴィズムやキュービズムについて書きました。さらに遡って中学時代の話です。中学生の頃はかなり記憶が薄れているのですが、美術の授業でただひとつ覚えていることはベテランの美術科女性教師が、私の写生を見て「ゴッホのようね」と言ってくれたことです。絵画について熱く語る彼女の話につい引き込まれて、そこで美術の素晴らしさを教わった気がしています。当時はよく授業で風景を描きに外に出かけました。自分の通っていた中学校は横浜の新興住宅地に出来たマンモス校で、周囲にはまだ雑木林が残っていました。自分はうっそうとした緑の立木を、水彩絵の具を使って鉛筆で描くようにザクザク塗り重ねていました。それを「ゴッホ」と言われ、名前だけは知っている有名画家と自分をダブらせて有頂天になってしまいました。それから図書室でゴッホの画集を見ました。まだ美術の専門家になるなんて考えも及ばなかった頃の話です。      Yutaka Aihara.com
    ポストカード制作
    美術館に行くと必ずギャラリーショップに寄ります。アートの香りが漂うグッズが好きなのです。その中でも手軽なものがポストカードです。展覧会の図録に掲載されている作品がポストカードになっている場合でも、図録の他にカードだけ買い求めてしまうこともあります。それだからこそ自分の作品がポストカードになるのは昔からの憧れでした。自分も図録が2冊出来て、そのために撮影された作品も増えてきました。そこで自分の作品をポストカードにすることにしました。5種類の写真を選び、今日ポストカードが出来上がってきました。これは販売用ではありません。こちらから手紙を書いたり、また人から求められれば差し上げる目的で作りました。何とも嬉しい限りです。でも最近は手紙を書く行為がめっきり減りました。この機会に手紙を見直そうかとも思います。                     Yutaka Aihara.com
    キュービズムに対する親近感
    高校時代にフランス人画家ブラマンクを真似てフォーヴィズム紛いの油絵を描いていました。そのうち近・現代美術史に興味が出て、あれこれ調べるうち、やはりピカソの巨大さに気づかされました。自分が表現主義や抽象に興味・関心が移る前の話ですが、ピカソやブラックのキュービズムには初めから親近感を持っていました。自分にとって絵画理論が解り易かったことがキュービズムに近づきやすかった原因のひとつと思っています。構成的な作風が好きだったのでしょうか。でも自分はキュービズムを真似ることはありませんでした。その頃はもう絵画をやめていて、建築やデザインに将来の夢を描いていたのです。大学の彫刻科に入って具象彫刻を学んでいた時も、やはり初めにキュービズムに親近感を持てたことがずっと頭にあって、それを出発点にして構成主義やドイツ表現主義に近づけたのかもしれません。   Yutaka Aihara.com
    「構築〜解放〜」の柱完成
    週末になると朝から夕方まで制作三昧ですが、新作の完成予定を考えると焦ります。今日は34本の柱がようやく彫り上がりました。ただ彫り跡を整える必要があるので、よく研いだ鑿で最終的な仕上げをしなければなりません。作品はこれで完成ではなく、きちんと組み立てられるかどうか個々の部分で試します。それは次の機会。同時にテーブルになる厚板をどんな仕上げにしようか全体を予想しながら考えます。集合彫刻の場合はこれが最も難しいところです。初めに全体を考えながら作り始めても、実際に仕上がった部分を組み合わせてみないとわからないところが結構あるのです。ともあれ柱が何とか彫り上がって、集合体にする前の段階としてはまずまずの滑り出しです。
    フォーヴィズムの思い出
    高校時代に油絵を描き始め、最初に影響を受けたのが佐伯祐三でした。鋭く素早い筆致で描かれた風景画を見ながら、どうしてこんな空気を感じさせる雰囲気が出せるのだろうと思っていました。佐伯祐三画集にあったフランス人画家ブラマンクにも興味が出て、その周囲の画家グループを調べ、そこからフォーヴィズムという名称を知ったのでした。マチスの激しい色彩にも興味を持ったのですが、自分は色彩感が乏しく、何を描いても泥臭くなってしまうので、あえて色彩を表現の主流にしている画家を避けるようになりました。でも高校に通っていた当時、激しい筆致や色彩が自分の心情にあっていたようで、描けるものならこんな絵画が描きたいと思っていました。ただ画家になろうという気持ちはなく、建築家や工業デザイナーを希望していたことは確かでした。本格的にデッサンの勉強を始めてから油絵はまったく描かなくなってしまいました。デッサンはデザイナーになるための勉強と考えていて、その少し前までやっていたフォーヴィズム絵画の真似事とは結びつくことがなかったのです。アートという大きな括りの中で考えられるようになるのはもっと後のことです。