Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • E.ノルデの宗教画
    ドイツ表現主義と言えばエミール・ノルデを語らないわけにはいきません。ノルデも昨日や一昨日ブログに書いたバルラッハやキルヒナーと同様、自分が滞欧生活中に知り得た画家です。ノルデは重くて鮮やかな色彩がイメージされる画家です。重くて鮮やかというのは純色に近い色を使っていながら純色ではなく、配色によって鮮やかさが際立っているように見えるから、そんな言い回しをしました。強烈な色彩によって象徴的な画面を作っているのがノルデの特徴です。ノルデはキリスト教をテーマにしていて、当時の斬新な抽象傾向やそれに近い流行とは縁のない人だったようです。でもその表現するものは原初的で根源的な生きる力を秘めています。宗教画として訴えるものが強く存在感を感じます。                     Yutaka Aihara.com
    表現主義の彫刻家
    昨年の5月5日のブログにE・バルラッハのことについて書いてあります。上野の美術館でバルラッハの展覧会をやっていたので、期待に胸をふくらませて出かけたのでした。期待は裏切られず、自分の滞欧時代に見たバルラッハのどっしりした具象彫刻を再び脳裏に刻むことができました。バルラッハもまた昨日のブログに書いたキルヒナー同様に滞欧生活中に知り得た芸術家です。戯曲も作っていたバルラッハは多才な人だったようですが、彫刻家としても単純化した面や量によって存在を語りかけてくる人物を作り、公共の場や教会に収めています。自分はウィーンの美術館でしか見ていませんが、次にヨーロッパに渡るときは、バルラッハの彫刻を見る旅をしたいと願っています。                              Yutaka Aihara.com
    キルヒナーの肖像木版画
    手許にE・W・コンフェールド著「エルンスト・ルードヴィッヒ・キルヒナー」という分厚い画集があります。DAVOSというところから出版されています。滞欧中にキルヒナーの風景を刻んだ木版画を見て感銘を受けたので、その当時この画集を購入したものと記憶しています。自分の生活費の中からどうしてこんな画集が買えたのか不思議ですが、なけなしのお金をはたいたものだろうと思いかえしています。いづれこの画集のドイツ語を読破しようとしたことは記憶にありますが、今はそんな時間的な余裕も気力もありません。ただこの画集に掲載されている様々な人物の肖像を刻んだ木版画は秀逸です。風景画より心に迫る何かがあります。デフォルメが心理を描写しているようで、まさにドイツ表現主義の面目躍如たるものがあると感じます。その頃は自分も日本で制作してきた木版画をもう一度彼の地でやってみたいと思っていました。なかなかうまくいかず、結局はアカデミーの彫刻クラスに籍をおきましたが、キルヒナーの影響がずっと続いていました。
    画家E.L.キルヒナー
    ドイツ表現主義を調べていくとベルリンの「ブリュッケ」とミュンヘンの「青騎士」という2つの芸術家集団に出会います。「青騎士」は年刊誌が発行され、カンデインスキーの理論が核になった集団であるのはよく理解できます。「ブリュッケ」は数人の画家が共同制作をして始まったようで、そのリーダーがよくわかりません。最後まで「ブリュッケ」という集団にこだわり続けて年代記まで出そうとしたキルヒナーがその役割だったのかもしれません。カンデインスキーは昔から名が知られた画家です。モンドリアンと並んで中学校や高校の美術の教科書に掲載されています。しかしながらキルヒナーは日本では馴染みの無い画家です。自分も実際に絵画を見たのはドイツに渡ってからで、とくにモノクロの木版画で風景を描いた作品には感銘を受けました。画家の性格もなかなか好戦的だったようで、画風にも挑みかけてくるような雰囲気が伝わります。ただ当時まだ共産圏だった東ドイツのドレスデンにも陸の孤島だったベルリンにも行かず、キルヒナーの興味はそこで尽きてしまったことが残念です。
    ドイツ表現派「ブリュッケ」
    「デイ ブリュッケ」はドイツ語で「橋」を意味します。ドイツ表現主義の中で重要なグループだった「ブリュッケ」は、自分が渡欧するまで日本でほとんど作品が紹介されることがなかったように思います。キルヒナーやヘッケルの作品は、フランス印象派やアメリカ現代美術に比べると、かなりマニアックな存在でした。自分も当時影響を受けたコルヴィッツの版画以外にも何かそのような作品があるのではないかと調べていくうちに、「ブリュッケ」の画家による大胆な木版画に出会ったのでした。数少ない文献を漁ると「ブリュッケ」の画家たちは、1910年頃ドレスデンからベルリンへ活動の場を移しているようです。自分は滞欧中に終ぞ行くことのなかった都市です。そのためか自分の中で「ブリュッケ」の芸術運動としての存在がやや希薄なのかもしれません。しかし「ブリュッケ」の画家たちの大胆な画面は、今も相変わらず自分を魅了し続けています。