2010.03.08 Monday
近隣を散策していると、かつて自分が小学校に通った小道が変貌していて、昔の見慣れた風景が思い出せなくなっているのに気づきます。住宅が密集し、かつての小道より大きな通りが横に出来ていて、ここまで変わってしまうと自分の記憶に自信が持てません。そういえばこのあたりに小川があった、このあたりは田畑が続いていて、ここは土手になっていた、と記憶を辿りながら歩くと、郷愁に誘われることもあります。横浜に生まれ、横浜に育った自分ですら、そんな思いをしているので、遠いところに故郷を持っている人はなおさらだろうと思います。自分の脳裏にすり込まれた記憶の断片は、それが通学路だったり、自宅の裏山だったり、亡父が生業にしていた造園だったりするのです。とりわけ造園は、自分が中学生の頃から父の仕事を手伝っていたので、庭園は人のサイズで見渡せることができる自然を網羅した小宇宙だという認識があります。それが今になって別のカタチとなってあらわれているように思います。現在自分が試みている集合体による彫刻は、あるいは自分の中で血肉化した造園が基本になっていると思います。これは風景の再構築とも言えます。土や木という材質に魅力を感じ、そこに可能性を求めている自分は、幼い頃から接していた家業と因果関係があるように思えてなりません。
2010.03.07 Sunday
昨日、土練りをしたので今日はそれを使ってタタラを作り、成形の準備をしました。今日も相変わらず工房は寒く、身体が縮こまっています。先日工房での冬を乗り切れたと思ったら、まだまだ寒い日が続きます。FMラジオを流して、陶土を弄ったり、RECORDの彩色をして過ごしました。窯入れの準備もしました。化粧土をかけて、3点の陶彫パーツとボランティアの子が作っている仮面を窯に入れました。照明等すべての電気を消して、窯のスイッチを入れます。そうしないと窯焚きの途中でブレーカーが落ちてしまうのです。業者に容量を変えてもらおうかとも思ったのですが、月曜日から当分工房は使わないので、ぎりぎりの容量でやっていこうと決めました。とくに陶彫は釉薬を使わないので、窯の温度上昇にあまり神経を使いません。また水曜日あたりに窯出しをする予定です。
2010.03.06 Saturday
昨日と打って変って寒い一日でした。今日はボランティアの子がやってきて、土錬機を回して土練りをやってくれました。陶土は1包みが20キログラムで、それを4つほど練っていきます。1ヶ月に1度くらいの割合で、80キログラムの陶土を作るのです。自分の作品に使う陶土ですが、今までどのくらいの土練りをしてきたのでしょうか。自分は先週タタラにしておいた陶土で成形を始めましたが、今日はうまくいかず、結局ボランティアの子がやっている土練りを手伝うことにしました。数歩進むと一歩後退。陶彫とは難しいものです。また明日に希望を託します。成形の合間にRECORDをやりました。今回のRECORDはペンによるデッサンが主流で、最近はよく具象的な絵を描いています。工房で過ごす時間は相変わらず密度が濃くて、あっという間に夕方を迎えます。
2010.03.05 Friday
今日はようやく春らしい一日が訪れたように感じました。室内で仕事をしている身には季節感がまるでないのですが、通勤途中に肌に触れる空気は、柔らかく暖かな感じを持ちました。工房の周囲には梅が咲いています。風景の中に花が咲き始めるのは、何ともいいものです。季節が確実に動いていくのがわかります。朝の通勤が楽に感じられるようになるのは、こんなふうに咲いている花々に見送られているお陰ではないかと思っています。真冬は真っ暗だった朝のバス停も、今では明るくなって見通しがよくなりました。明日からの週末に思いを馳せながら、ハナ金を過ごしました。
2010.03.04 Thursday
表題の「余白に書く」というのは、「瀧口修造全集Ⅳ」の副題です。「余白に書く」とはどういうことだろうと思って読み始めました。「余白に書く」とは展覧会や公演に寄せた文章であることがわかり、その夥しい数の文章が「瀧口修造全集Ⅳ」と「瀧口修造全集Ⅴ」にまとめて収められていることも知りました。短文あり、やや長文もあり、詩作として捧げたものまで瀧口修造の多義にわたる才能を感じます。紹介されている作品を、実際に見ていなくても、その洞察の深さによって、それがどのような意図で作られたものかを窺い知ることができ、また興味が湧き出てきます。作品に味を添える、またはそこからエスプリのあるコトバで作品に位置を与えることが、つまり「余白に書く」ということでしょうか。大上段に構えた論評ではなく、さりげないコトバで鑑賞者を惹きつけている余白に感銘を受けるのは、決して私だけではないと思います。