Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 記号化された世界
    クレーやミロの絵画に見られる象形文字のような記号は何を表そうとしているのか、それはモノの説明として書かれたものではなく、むしろモノから遊離した何かを描いたものとして理解しています。記号化された絵画です。そこに謎解きのような面白みを感じることがあります。純粋な構成要素となった記号は、記号としての約束事から解き放たれ、軽やかなメロディーを歌い始めるような気分にさせてくれます。それは楽譜のように見えることがあります。また悲しみの象徴として内面の闇のように見える時もあります。実際に詩として書かれたものを描きなおし、そこに意味を読み解く絵画があれば、意味を成さない記号による絵画も存在しています。自分は記号化された世界には惹かれるものがあるのです。感覚的な土台の上に論理的に構築された世界、文字のようでいて作者しか読み解くことの出来ない世界、たわいもない独り言を発しているように見える世界、普遍的にそこに存在する世界…記号化された世界にはさまざまな解釈が成り立ちます。自分もいづれ文字から解放された記号を造形要素として試作したい気がしています。     Yutaka Aihara.com
    アトリエと工房
    自宅には小さなアトリエがあります。公務員になった若い頃、憧れの陶彫はまだ出来ず、油絵を描いていた時期がありました。画架を立ててキャンバスを置いて、歯車のような抽象形をモチーフにした絵を何年も描いていたのです。彫刻を学んだのに環境的に彫刻を作るのが難しかったので、自分がイメージした世界を平面で表現しようとしていました。重く暗い絵でしたが、当時は気に入っていました。アトリエは油絵の具の臭いが充満していて、自分はずっとこれでいくのかなぁと思っていました。陶彫が出来るようになって環境が一変しました。現在はコンクリート打ちっぱなしの工房があり、窯が設置してあります。アトリエから当時の油絵や図録を運び出して工房に置いてあります。アトリエは別の用途を考案中で、たとえばそこで彫刻の雛型を作ったり、RECORDを作りたいと思っています。または家内の胡弓の練習場にも使えそうだとも思っています。いずれにしても内装をきちんとした上で考えていきたいと思います。                   Yutaka Aihara.com
    週末の疲労感…
    昨日の続きのようなブログの内容になってしまいますが、昨日余力を残して終わったはずの制作が、今日はどうやら疲労が溜まって全て中途半端になってしまいました。陶彫の制作はかなりの肉体労働です。それでも陶彫なら陶彫だけやっている方が疲労感は少ないように思えます。陶彫の修整やら、以前からやっている作品保管用の木箱作りやら、小品のための準備やら、日頃やらなければいけないと考えていることを見通してやっていると、あれもこれもと気が急いて結局は何も仕上がらず疲労感だけが残ってしまうのです。昨晩、職場関係の懇親会があったり、今日も昼間2時間ほど工房を抜けて職場に出かけたことも疲労感に拍車をかけているのではないかと思います。リフレッシュするはずの週末が、職場とは別な疲労感を伴って終わるのが惜しい気がします。焦らず休まず…これが自分流の生き方です。いろいろ考えすぎて、限りある週末の時間に詰め込みすぎるのはまずいと思った一日でした。                                Yutaka Aihara.com
    週末の制作リズム
    週末になると陶彫制作が待っています。既に成形が終わったものを仕上げ、さらに新たに成形するという作業の繰り返しです。2点ずつやっていきます。充実していると言えば、これほど充実している時間はありません。飽きずにずっとこんなことを続けています。工房が出来て陶彫の制作に弾みがついています。今年の春までは別の作業場でやっていましたが、木彫が中心でした。そこは窯が小さくて大きな陶彫をやるには無理がありました。大きな窯を借りてやっている時期がありましたが、現在の工房では今までより大きな窯を入れたので、思う存分イメージを広げられるのです。制作には一定のリズムがあって、ちょうど今がいい感じです。陶土を弄っていると、本当に時間が経つのが早いのです。気づかないうちに疲労が溜まってしまうこともあります。前にブログに書きましたが、ちょっと余力を残して一日の制作を終えることを今も続けています。そうしないと明日の制作が続かないのです。
    叔母を偲んで…
    母方の叔母が他界しました。母の弟である叔父と結婚したばかりの叔母は溌溂としていたことを今も思い出します。最近は病床にあって疎遠になっていましたが、叔母を偲んで母と共に弔問に出かけました。義父母、実父がここ数年の間に亡くなり、叔父叔母に関しては既に何人かが他界しています。自分の周囲にいて思い出を作ってくれた人たちがひとりずつ居なくなっていくのは寂しい限りです。自分もそんな歳になったのかと思うこともありますが、自分の中で歳はかなり前に止まっていて、親戚や身近な人の死亡通知を受けた時は戸惑いを隠せません。創作活動をしていると振り返る間もなく時が過ぎていくので、自己実現を未来に託す気持ちが強くなって、そこで精神年齢が止まってしまうのかもしれません。でも死は必ずやってくるものです。死を受け入れるにあたり自分は何をすればよいのか、自分はどう生きたらいいのか、自問自答しつつ今を精一杯生きてみようと思うこの頃です。 Yutaka Aihara.com