Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 新しい作業台が来た日
    今日は工房に新しい作業台が4台届きました。工房は前にブログに書いた通り農業用倉庫として建てられたもので、今まで木を彫るにしても、土を練るにしても、最小のスペースでやっていました。今日届いた作業台によって、ようやく仕事の効率が上がり、制作にも弾みがつきます。作業台は木製ですが、既製品ではありません。知り合いの人が製材所から木材を手に入れて、さらに今日工房で組み立ててくれたものです。数人が手伝いをしてくれました。テーブルは厚い合板で、最後にボランティアの子と私で表面を仕上げました。午前中、工房は人で溢れて賑やかに活気づきました。自分の創作活動に協力者がいてくれることを幸せに感じます。自分がきちんとした作業台を持ったのも実は初めてのことだと気がつきました。今までは代用のモノばかりで済ませてきました。実家にあった机だったり、不必要になった事務用品だったりで、まともな作業台ではありませんでした。徐々に揃ってくる備品が嬉しくて、明日も制作三昧になりそうです。             Yutaka Aihara.com

    静岡県のロダン館
    大学で彫刻を学び始めた頃、自分にとってロダン、ブールデル、マイヨールの3大巨匠は避けて通れないほど存在感がありました。最初に自分に影響を及ぼしたのはロダンで、勢いのある量感と動きに圧倒されていました。ロダンを師と仰いだ荻原守衛にもその片鱗が見られ、そうしたことからロダンより身近に感じた荻原守衛に憧れたのでした。静岡県立美術館にロダン館が併設されているのを知っていたので、今夏静岡県立美術館を訪ねた折、ロダン館も見てきました。有名な「地獄門」は室内に設えてありました。東京の西洋美術館では野外にあるので、若干印象が異なって見えました。今見ると中には過剰と思えるほど動きのある塑造に不自然さを感じながら、それでも若々しい息吹を感じる作品が多く、それらを通して自分が彫刻の醍醐味を感じた最初の気持ちに戻れたことが何よりの収穫でした。日本人はロダンが好きなのか結構観客が入っていて、彫刻専門の美術館としては珍しいなぁと思っていました。
    フォンタナのアトリエ
    フォンタナは画布にナイフで穴を開けた作品で世界的に知られたイタリア人芸術家です。日本では中学校・高等学校の美術の教科書に、現代美術の旗手として掲載されています。今読んでいる「瀧口修造全集1」にフォンタナのアトリエに関する随想があって、前にブログに書いたダリに次いで興味津々になりました。「私の印象につよく残ったのはその地下室であった。ちょっと防空壕を想いださせるような、部屋の隅の床板をおこすと、急な木製の階段があって(略)裸電球のスイッチをひねると、かなり広い地下倉庫である。たぶん昔は酒倉だったところかもしれない。壁に沿って夥しい作品が立てかけてある。(略)ともかく私がこの穴倉に案内されたときの印象は、フォンタナという作家の内部をにわかに覗いて見たような強烈な衝撃であった。外に出てみると、窓は相変わらず眼にしみるようなみどりで、フォンタナはまた穏やかな会話にもどるのである。たしかにフォンタナは空間主義宣言などから想像していたよりも、意外に柔和な人であったが、話していると烈しい熱情がちらっとのぞくのが感じられる。」という箇所でフォンタナの人柄をイメージして、もう一度フォンタナの作品をあれこれ調べなおした次第です。
    膝の傷に追い討ち
    ブログは万人に公開している自分の日記です。公開していることを知っていながら、自分なりのメモとして書いてしまうことがあります。昨年や一昨年は何があったのかブログを読んで振り返ってみることをよくやっています。というわけで今日の内容はメモそのものです。2週間前に階段から落ちて脚の両膝を擦りむきました。どうも傷が深かったらしく、なかなか治らずにいましたが、最近ようやくカサブタが出来てきました。そこへ再び追い討ちをかける事件が勃発。朝通勤で利用しているバスの座席の角に右膝を思い切りぶつけてしまいました。息が詰まるほど激痛が走りました。それでも我慢して電車に乗っていたら、ズボンが湿っているではありませんか。確認もせず職場に着いたら、脚から血が滴りおちてズボンにこびりついていました。黒っぽいズボンだったので目立つことはなく、自分で応急処置をして、そのまま仕事へ。来年このブログを自分は読むのでしょうか。そういえばあんなことがあったっけ、と思い出すであろう手痛い一日でした。        Yutaka Aihara.com
    P・クレーに纏わること
    愛読している「瀧口修造全集1」の中に、パウル・クレーに纏わることが出てきます。瀧口修造がパウル・クレーのご子息に会いに行き、そこで出会った様々なことが述べられていて、それらをとつおいつ読んでいるとその情景が広がります。自分もオーストリアに5年間住んでいたので、欧州の生活ぶりが実感としてわかります。クレーの作品はデッサンも水彩も油彩も他の画家のように区別できない旨が書かれていて、自分も同じように思っていました。クレーには、大きなタブロー(油彩)が少ないというのもありますが、特異な世界を持つこの画家にとって、デッサンが習作で油彩が実作という定義が当てはまりません。すべてが心象を表す媒体になり、それぞれが感情の昂りを伝えているからです。自分にはいつも脳裏から離れない画家が2人いて、それがクレーとカンディンスキーなのです。これは20代から変わりません。それでついクレーに纏わることが書かれていたりすると、再び頭の中はクレーでいっぱいになってしまうのです。