Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 工房に籠もり放し
    三連休2日目。今日はボランティアの助っ人が来ないので、工房には自分ひとりです。朝6時半に工房に行って、昨日のうちに原形モデルが出来ている陶彫土台の石膏取りを行いました。9時に自宅から電話があって朝食に一旦帰り、また工房へ。次に木彫の荒彫り。杉の柱8本のうち今日まで荒彫りが終わっているのが4本。今日は2本彫って残りを2本としました。そんなことをしているうちに気づいたら夕方になっていました。それからRECORDの制作。一日一枚のペースで作っているRECORDですが、彩色や落款を押すのをまとめてやってるので、それから2時間作業をしました。そろそろ眼がつらくなって、今日はここまでにしようと筆をおいたのが午後5時過ぎ。結果、朝から10時間以上も工房に籠もって作業していることになりました。昼食をとるのも忘れていました。週末の貴重な時間をフルに使ってノルマを果たすことに集中して、制作を楽しむ余裕やあれこれ考える暇もなく今日が過ぎていきました。充実していたという思いはありますが…。   Yutaka Aihara.com
    木彫・陶彫 2つの工程
    今日から三連休で工房に籠もって制作三昧の予定です。木彫は荒彫りを進めています。陶彫は石膏型を作ってから成形する作業に移ります。木彫は鋸を挽き、鑿を振るって大まかにカタチを彫り上げていきます。今日もボランティアの子が来て、石膏型の原形モデルを作ってくれました。自分が木彫、ボランティアの子が陶彫の基礎部分をやっているわけです。木彫と陶彫の作業を同じ空間で同時にやるのは初めてのことです。つまり、この木彫と陶彫が組み合わさり「構築〜瓦礫〜A」になるのです。木材の香りと石膏の匂い。何とも心地いい雰囲気です。こうした制作の現場に立ち込める匂いや音やその他諸々のことと自分はずっと付き合ってきました。考えてみれば彫刻を学び始めた学生時代と同じことを今でもやっているのです。初志貫徹。これは幸せなことかもしれません。20歳代に願ったことが、人生の輪郭として実現できているのですが、ただし中身については未だ実現できず、つまり求める彫刻が未だにできていないのです。だからこそ制作が継続していけるのだと今は考えるようにしています。                   Yutaka Aihara.com
    芸術家の生きざま
    瀧口修造著「幻想画家論」に出てくる芸術家は、幻想的な作風を確立した人ばかりなので、その生きざまも常軌を逸しているようです。昨日ブログに書いたピエロ・ディ・コジモは「かれは人間よりも動物に近い生活をしていた…決して室内を掃除させず、食事も飢じいときにとる…葡萄はのび放題で、地を這うままにうちすてて置いた…しばしば動物や植物などの畸形のものを見に出かけ…病人が唾を吐きかけたしみだらけの壁を立ちどまって凝視しながら、そこに騎馬戦争の場面や見たこともない幻想的な都市が見え…かれはゆで卵を常食のようにして…50も煮て置いて、籠のなかから一つずつ取り出して食べる…」といった生活ぶりが、常人ではない偏狭ぶりをよく表しています。また、ゴーギャンは「散歩しているところを…水兵と大喧嘩になり踝を砕かれた…パリで最後の夜、影のように寄り添ってきた街の女から有毒の接吻をうけた…くじいた足は僕を極度にくるしめ、二つの傷は口を開けたまま医者も閉じる術を知らない(於タヒチ)…パリの最後の夜にうけた梅毒に加えて、湿疹は脚の半分を侵し、夜も眠れなかった。」という記述があります。そんな生活のあれこれが作品と共に印象に残って、それでも芸術を求めて生きた彼らは、凄まじい孤独と戦った生涯と言えるでしょう。  Yutaka Aihara.com
    ピエロ・ディ・コジモ
    ピエロ・ディ・コジモ。実は最近知りえた画家です。学生時代ばかりではなく、滞欧時代を通してもピエロ・ディ・コジモについて意識したことはありませんでした。ウィーンで暮らしていた頃に、フィレンツェを訪れていて、ピエロ・ディ・コジモの絵画にどこかで出会っているはずですが、数多いイタリア絵画に圧倒され、さらに旅の疲れも加わって、見逃してしまっているのです。当時在籍していたウィーン国立美術アカデミーの併設美術館で出会ったボッスにも当時の自分は無知でしたが、やはり生活の場で出会ったボッスと、旅先で出会ったはずのピエロ・ディ・コジモとの間には、自分の中に占める存在が違ってきていました。ピエロ・ディ・コジモは、A・ブルトン著「魔術的芸術」の中で大きく紙面を割いていて、さらに今読んでいる瀧口修造著「幻想絵画論」でもルネサンス期の特異な画家として取り上げられています。現代のシュルレアリスムにも通じる摩訶不思議な怪物が登場するピエロ・ディ・コジモの本物の絵画を、きちんと見てみたいと願っています。フィレンツェで生まれ、彼の地で活動していたにも関わらず、権力者であったメディチ家とは疎遠であったことが、ピエロ・ディ・コジモをいち早く発見出来なかった所以でしょう。自分の滞欧時代にルネサンスの巨匠たちの作品はじっくりと鑑賞していて、いまだに印象強く思い出されます。次にイタリアに行く機会があるとすれば、ピエロ・ディ・コジモをじっくり見たいと思っています。                           Yutaka Aihara.com
    幻想画家論
    ボッス、グリューネウァルト、ピエロ・ディ・コジモ、ラ・トゥール、ルドン、ゴーギャン、アンソール、ムンク、スーティン、クレー、エルンスト、デュシャン…「瀧口修造全集1」に収められている幻想画家論で取り上げている芸術家です。今夏読んでいたA・ブルトン著「魔術的芸術」と重なる芸術家が多いのは、瀧口修造が同じシュルレアリスム論者としてブルトンと似た趣向があるのかもしれません。自分も上記の芸術家は大好きで、展覧会があれば必ず見に出かけています。自分は学生時代にゴーギャン、ムンク、クレー、エルンスト、デュシャンに心酔していました。上記の他の芸術家は滞欧時代に知りました。とくにボッスは、当時自分が在籍していたウィーン国立美術アカデミーの併設美術館が所蔵していて、いきなりボッスの絵画に遭遇して、病にかかったようにその不思議な世界の虜になってしまいました。ボッス・ワールドのもつ謎の解明は、帰国してから日本語で書かれた論文によって知ることができました。それでもオーストリアで原書を買って帰り、そのまま自宅の書棚に埋もれたままにしてあります。「瀧口修造全集1」の幻想画家論を読んでいると、そうした幻想絵画との出会いが思い出されてきます。20代の鬱々とした滞欧生活の中で、自分の心の襞に入り込んできた幻想絵画は、鬱積した青春の匂いがします。