Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • カラオケ社交術
    最近、妹の家族と会食するたび、二次会はカラオケへ行っています。母親同士がカラオケが大好きで、それに付き添う形で大勢で出かけていくのです。思えばカラオケという娯楽を知ったのはヨーロッパで暮らしていた1980年代のことです。在外日本人でカラオケ機器を持っている人が開いた宴会が自分にとってのカラオケ初体験でした。初めは伴奏に翻弄され、歌になっていませんでした。帰国後、横浜市の公務員になりましたが、世はカラオケブームで、職場でもよく歌いに行きました。組織の人間として仕事を円滑に行うために社交上これはやらねばならないと決意し、尻込みするのはやめて積極的に歌うことにしました。何とか気持ちよく歌えるようになったら、同伴の人たちは自分の歌など聴いてはいず、次に何を歌おうか本をめくっている始末。そうか、カラオケは自分で満足できればいいのかと感じた瞬間から肩の力が抜けて、ストレス発散の場となりました。            Yutaka Aihara.com
    墓参りの墓地巡り
    彼岸の中日を迎え、母親と家内からさっそく墓参りの誘いがありました。自宅近くの浄性院に昨年亡くなった父親の眠る墓があります。まず朝はそこに出かけ、それから横浜に古くからある久保山墓地に。そこには母の実家の墓があります。さらに同じ久保山墓地内に家内の両親が眠る墓もあります。義母は今年亡くなったばかりです。3ヶ所の墓参りを終えて、それぞれに花を添え、線香を焚いてきました。おだやかに晴れた一日だったので、車が渋滞して一時は久保山にたどり着けないかと思いましたが、何とか墓参りができました。夕方は妹の家族と夕食をともにしました。仕事の残務整理も創作も休んで、こんな過ごし方をする一日があってもよいと思いましたが、日頃の疲れが出て、ぼんやりとした一日でした。               Yutaka Aihara.com
    公務に追われ…
    三連休で創作三昧といきたいところですが、仕事の持ち帰りが多く、なかなか彫刻に取りかかれません。おまけに彼岸で墓参りもあって思うように作業が進まない連休になりそうです。何の野暮用もなく制作できる日々は幸せだと思います。制作に全てを費やすといっても、雑事に縛られ、社会との関わりの中で生きなければならない自分はどんなものでしょう。芸術のために世捨て人にはまだなれそうになく、時間を作っては作業をする生活は続きそうです。横浜市の公務員の定年を迎えても、何かしら社会との関わりがあるのかしらと思いつつ、今日もわずかに時間を作って木を彫りました。    Yutaka Aihara.com
    花巻の思い出
    何年か前に岩手県に行きました。高村光太郎が智恵子と住んだ山小屋を見たり、柳田國男の遠野物語に出てくる場所を訪ねてみたりしましたが、一番の目的は花巻の宮沢賢治の足跡を辿ることでした。賢治がやっていた畑の近くに記念館があって、雑木林に囲まれたとてもいい所でした。花巻農業高等学校には木造の賢治ゆかりの建物が保存されていました。それは羅須地人協会で、当時としてはモダンな生活を送っていた様子が窺えました。物語のイメージを育んだ場所に立って、ユニークな賢治の世界を味わった旅行でした。Yutaka Aihara.com
    宮沢賢治「銀河鉄道の夜」
    高校時代に現代詩を読み解きながら、何か不思議な世界にホッとため息をつく童話にも夢中になっていました。宮沢賢治の文学に触れたのは童話が最初でした。それもまずタイトルの不思議さに魅かれました。無国籍な、それでいて民話のようなタイトル。後に宮沢賢治に関する評論を読んで仏教思想が根底にあったり、教師の傍ら農業をしていたことや幅広い知識があって、宮沢賢治がこうした童話を書いていたことを知りました。でも初めて気持ちに飛び込んできたのは思想的なものではなく映像的なイメージでした。とくに「銀河鉄道の夜」は絵画を見るような情景が浮かんできて、そこに夏の、しかも少し肌寒い乾いた夏の夜の気配が感じられ、ずっとそのイメージを勝手に抱いたまま今に至っています。その最初の印象があるので何を読んでも、宮沢賢治はまず絵画世界ありき、というすり込まれたイメージから離れられません。作家の中でも特異な人という自分の中の位置づけは当時から間違っていないと思っています。                      Yutaka Aihara.com