2007.02.28 Wednesday
TBS「世界遺産」を見ていたらトルコのパムッカレが映し出されたので、思わず声を上げてしまいました。20数年前にあそこにいた、と家内に言ったら、私はあの古代都市ヒエロポリスで結婚指輪を失くしたのよ、と答えて、共有する思い出に浸りました。当時はバスを乗り継いだり、ヒッチハイクをしてトルコ全土を周っていたので、お互い痩せていました。指輪が指をスルリと滑っても不思議ではない状態でした。そういう私もどこかで指輪を失くしていました。パムッカレにいたのは夏の終わりでしたが、日照りが強く、皮膚の皮が剥けました。テレビを見ると観光客の行動がかなり制限されているようでした。私たちはあの石灰の棚に降りて流れる温泉をバシャバシャさせて、どこでも入っていけました。保存状態が悪化している解説を聞いて、この20数年の歳月を考えてしまいました。
2007.02.27 Tuesday
イスタンブールで病みつきになった料理はフイッシュバーガーでした。それも獲れたての魚をその場で揚げて、パンに挟んだ野趣あふれるものです。それはヨーロッパとアジアを繋ぐボスフォラス海峡のガラタ橋近くに舟を横付けして売っていました。長いウィーン生活で魚に飢えていたせいか、その美味しさは筆舌に尽くしがたいものがありました。日本から直接行ったのでは、あの感動はなかったと思います。フイッシュバーガーは朝夕食べていました。港の広場では魚売りの他に水売りがいたり、演歌のように聞こえるトルコ歌謡を売っていたり、面白さに溢れていました。ガラタ橋を何度も行き来して、ヨーロッパとアジアを堪能しました。アジア側にウシュクダラという地名があって、日本の歌謡曲になっていたのを思い出し、行ってみたのですが、なんでもない普通の住宅街でした。
2007.02.26 Monday
イスタンブールに着いた初日に手に入れたキリムはかなり大きくて、これを巻いてリュックの上に括りつけて行動することになりました。数ヶ月の旅を考えると重荷でした。もともとキリムは遊牧民のものなので、野宿もできると思いつつ、色彩と文様が織り成す土産に心が躍りました。買ったキリムは自然染料と化学染料が両方使われているようで、自然染料の部分が古く、そこに化学染料で修復したものです。アンテイックなものはかなり鑑定が難しくて数多く接しないと判断できません。それより自分の美意識に頼り、色彩や文様が好きになったものを買うのがいいと思います。自分が買ったキリムは紅色と黄緑の補色があって、パウル・クレーの抽象絵画のような印象です。文様も幾何的なカタチがモザイクのように続くのですが、修復のせいか途中で色彩が変わり、不思議なグラデーションがあります。完璧なものというより、継接ぎだらけの面白さに溢れています。骨董価値のある工芸品として見るより、アートとして見た方が楽しいし、生活雑貨として使ってこそ心が豊かになると思います。
2007.02.25 Sunday
1985年夏にウィーンからイスタンブールへバスで深夜に乗りつけて、閉まったホテルの玄関前に野宿した後、バザールに見物に行きました。イスタンブールは混沌とした賑やかな街でした。絨毯商は皆そろって日本語が上手なので、日本人がよく高価な絨毯を買っていくのは明白でした。例外なく私たち夫婦のところにも絨毯商が現れて、店に連れて行かれました。自分はキリムの美しさにウィーンにいた頃から魅かれていたので、これ幸いに商談に応じました。値切って買ったキリムでしたが、その時のノリで買ったようなもので、よくよく見ると気に入らない代物でした。美術をやっている者としては、どうしても許せなく後悔していると、家内が返してこようと提案しました。店に行くとチャイを飲みながら絨毯商たちが売り上げに談笑している様子でした。そこへ私たち、もう一度仕切りなおしをして欲しいと言ったものだから大騒ぎになりました。金を返せ、いや駄目だ、だったら別のものを見せろ、と散々こちらも捲くし立て、結局ランクの上のキリムを手に入れました。その後、もう一度店に行ったら、もうお前には売らないから出て行ってくれと言われました。これは一度買ったものにいちゃもんをつけたのですから、こちらのルール違反。でも混沌とした街にあって頭も心も吹っ飛んでいたので、こんなエピソードとともに満足も買うことができたのではないかと思っています。
2007.02.24 Saturday
20歳代の終わりにウィーン生活を切り上げて帰国することになり、美術アカデミー修了を待って、数ヶ月の旅にでることにしました。1985年の夏から冬にかけてのことです。当地で生活費を賄っていたので、そんなに金銭的なゆとりがなく、それで思い立ったのが外人労働者が帰省するバスを利用して他国を周ることでした。ウィーンからトルコのイスタンブールまで行くバスがあることを調べて、これに乗ることにしました。当時ソビエト連邦を中心とする東欧諸国があって、それぞれの国に入るためビザが必要でした。旧ユーゴスラビアやブルガリアを通過するので、大使館に行って面倒な手続きをしてきました。バスは満員で、しかも一日では辿り着けず、休憩のたびに2人の運転手が客全員の手に香水を振りかけ(サービス?)、車中は中東の独特な音楽が流れ、昼も夜も走り続け、真夜中にイスタンブールに到着したのでした。観光バスではないので、ホテルの営業時間などに配慮もなく、夜中の街をさまようことが旅の第一歩になりました。