2007.07.15 Sunday
故ドイツ文学者の重厚な評論を読んで、20数年前暮らしていたウィーンに思いを馳せている時に、やはりウィーンで知り合ったエッセイストのみやこうせいさんから軽妙洒脱な手紙が届きました。太めのペンで書かれた手紙はパソコン全盛の時代にあって新鮮な感じがします。「(ルーマニアに)インド人が目下たくさん移住しています。インド人は乾いた牛糞の燃料をジャンボ機や貨物船で運び、これを燃やしてカレーをつくり、カレー屋がオラデアだけで5軒。インド人はカレーが好き。つまりカレーのルウを毎日つくる、ありゃ、ルーマニア。こりゃ、ルーマニア。となりの国に匂うカレーの香り。ハンガリーはハングリーとなり、二つの国はムンカチョスとなる。大食漢ですね。〜」といった具合の手紙です。いったいどこまで本当なのか、2ヶ月ほどルーマニア滞在して帰ってくると、みやさんの頭は飛んでしまっているのかなと察します。また、みやさんのコトバが聞きたいと思うこの頃です。
2007.07.14 Saturday
昨日は何故ホルスト・ヤンセン展の回想を書いたかと言えば、今読んでいる種村季弘著「断片からの世界」にヤンセンの評論が掲載されていて、20数年前にウィーンで知った卓越した素描画家の様々な面を知ることができたからです。著書にはヤンセンが好んで古今東西の巨匠を模写して自作を作り上げていることが論じられています。「先師から弟子へと伝承されてゆく模写の過程にあって重要なのは、巨匠たちのお手本を通じておこなわれる師との対話である。この対話の緊張が模写された作品のリアリテイーを支えており、もしもその緊張が一瞬たりとも弛緩すれば、模写はたちどころにたんなる機械的再製、石膏鋳型鋳出へと堕してしまう。」と述べられた後、ヤンセンの模写が「当意即妙の機智に導かれた模写」であり、「彼一人がコレクターであるところの独力の空想美術館を描き上げてしまう。」と結んでいます。どこかで見たことのある情景、でもどこにもないヤンセン独特な画風という印象を20数年前に持ったことは、こんなところに所以があったのかと改めて思い知った次第です。
2007.07.13 Friday
ドイツの現代画家ホルスト・ヤンセンを知ったのは、自分がウィーンに滞在していた頃でした。当時手に入れた図録を見ると、1982年4月1日から5月2日までウィーンのアルベルテイーナ美術館でヤンセンの個展があって、そこで印象が脳裏に焼きついたようです。その記憶は定かではありませんが、ある地点からずっとヤンセンの版画や素描に親しんできたので、個展にいつごろ行ったものやらすっかり忘れてしまっているのです。ただドイツ語の図録を読むことはしなかったので、ヤンセンの生い立ちや絵を取り巻く評論等には頓着せずに今まできました。ヤンセンの数多い自画像が醜くもあり、シャープなようでもあり、何故か心を捉えて離さない魅力があって、以来ずっと注目しています。むしろヤンセンその人を知らずに、いきなり絵を見たことで、より強烈に心に響いた画家と言った方がいいかもしれません。鉛筆による素描がE・シーレにも似て、また構成が北斎にも似て、昔から慣れ親しんでいるようでもあり、新しくもあり、ともかく不思議な表現の虜になってしまうのです。
Yutaka Aihara.com
2007.07.12 Thursday
昨日に引き続き、種村季弘著「断片からの世界」に収められている美術評論で、今回はE・フックスに関するものです。ウィーン幻想派画家として国際的な名声をもつフックスは、ウィーンの多く画廊で銅版画を展示していました。これはハウズナーと前後して半年前のブログ(07.1.17)に書いています。この評論の中で興味をもったのは、ハウズナーとの比較です。ハウズナーの絵は「あくまでも自我への偏執から出発」していますが、フックスは「個性的自我を最初から厳密に排除して」いると書かれています。また、ハウズナーが「主観的象徴体系を展開してきた」のに対し、フックスは「客観的に祖述され、普遍的にすでになじまれている」象徴体系をもっていると比較しています。それはフックスの絵が聖書に基づき、とりわけ黙示録の象徴体系があるということです。風貌もハウズナーと違い、「ユダヤの家父長か預言者のような顔立ち」をしています。E・フックスとはウィーン滞在中にお会いできずにいましたが、郊外にあるO・ワーグナー設計によるアトリエは何度も見ています。恥を忍んで一度訪ねればよかったと今では後悔しています。
2007.07.11 Wednesday
表題は種村季弘著「断片からの世界」に収められているR・ハウズナーに関する評論です。R・ハウズナーに関しては、今年初めのブログ(07.1.19)にご本人を美術アカデミーでお見かけした時のことや絵の印象などを自分なりに書いてみました。あれからかれこれ20数年が経っています。ここでもう一度例の摩訶不思議な自画像の評論に出くわすとは思ってもみませんでした。著書の中で「きちんとした目立たない服装をして市民生活の無名性の中にあらゆる個性を消去してしまった一人の男」がハウズナーで「タブローにおける執拗な自我への固執は、そのまさに任意のウィーン市民というほかない、実生活上の非個性的な外見とあまりに際立った対照をなしているのだ」と綴られています。特異な仮面性をもった画風で知られるハウズナーは、外見は一般的な市民で、まるで画業とは無縁であるかのようにしているという見解です。自分もウィーン美術アカデミーでハウズナー教授をお見かけした時には確かに普通の人という感じをもちました。この人のどこにあんな幻想的世界が潜んでいるのかと思い、むしろ外見そのものが芸術家然としている人より、隠された深い世界を感じて、これもハウズナーの演出なのではないかと勘ぐったほどです。また別の機会に取り上げてみたい画家の一人です。