Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 加藤正展によせて
    昨日の中島さんの個展に続き、もう一人大学の先輩が銀座で個展をしています。加藤さんは中島さんや池田先生のような師匠としての存在ではなく、年齢も近いので、むしろ気が通じ合った先輩といったところでしょうか。自分のウィーン滞在中にやはり彼の地に住んで、工芸美大のフッター教室で学んでいました。加藤さんはエッチング技法を駆使した心象風景を得意としていて、とくに樹木の表現は秀逸しています。自分も何点か所望してコレクションに加えました。最近はますます磨きがかかり、ビュランのような緻密さが出てきました。かと思えば水流のようなカタチの定まらない表現に挑戦していて、この方向も表現を広げる有効な手段だと思います。立ち止まることのない意欲に見習うところが多い人です。
    中島修展によせて
    自分が4月に個展をした銀座の「ギャラリーせいほう」で、中島さんが個展を開催しています。自分が滞欧中にお世話になった中島さんは大学の先輩にあたり、当時彫刻の手ほどきをしてくださった池田宗弘先生と同期です。池田先生は真鍮を素材にした詩的な風景を作っている、いわば具象。一方中島さんは黒御影石や大理石を素材に鋭利で簡潔な幾何形体を作っている抽象作家です。この2人が自分にとって圧倒的な影響力をもっている対極の師匠です。久しぶりに中島さんのまとまった作品を見て、カタチが白い空間の中にスクっと立つ緊張感に感動してしまいました。ギャラリーが広く見える、空気が張り詰めている、でも妙に心地よい空間。自分の個展の時、池田先生は中島さんの作品が頭にあったからこそ、お前はもっとカタチを削ぎ落として空間を練り上げろ、と自分に言ったのではないかと思い起こしました。この命がけで常軌を逸した仕事をしている人を自分は乗り越えられるだろうか、静かに緻密な位相空間を鬼気迫るように創出する師匠の前で、身震いした一日でした。
    陶壁の無作為を装う作為
    風雨にさらされた土壁の美しさを昨日のブログに書きました。これが自分の造形要素として取り入れられないかを以前から考え始め、実際に陶板を使って自然がもたらせた風合いを出そうと苦心したことがあります。いかに嫌味なく自然に見せるか。あらかじめ風化した状態を作る試みです。すでに亡くなった人で有元利夫さんという画家がいます。油絵やテンペラを古く見せるため絵を描き終えた後、木枠から画布をはずし、もみくちゃにして絵の具を所々剥がして作品を完成させたそうです。陶で風化した状態を作って壁にしたら、剥がれ落ちた絵の具と同じ効果が得られるのではないかと思います。西洋絵画でも修復前は消えゆく美があって、表現された内容とは別の面白さがあります。もちろん修復しなければ名画は失われてしまうのですが。
    土壁の表情
    昨日の落ち葉のカタチに続いて、自然が作り出すもので注目してしまうのは壁です。本来壁は人が作ったものですが、雨にうたれ風にふかれるうちに崩れたり朽ち果てたりしていきます。その過程に大変美しく見える時があります。とくに土壁は剥がれ落ちた部分であったり、ヒビであったり、蔦が絡まったりして、人の手が及ばないところで美しい世界を見せてくれます。横浜ではなかなか見られない伝統的な土壁が、地方に行くとよく見られることがあるので、地方に行った時は必ず街をうろつくことにしています。とくに奈良の東大寺戒壇院に行く途中の土壁は何とも言えない美しさです。また、板塀も美しいものです。愛知県常滑の黒く塗られた板塀が、陶芸登り窯のレンガの煙突と絶妙なコントラストを作っていて、美しい風景のひとつだと思います。
    落ち葉のカタチ
    仕事に追われていると、なかなか周囲が見えず心に余裕が持てません。ましてや車で職場まで通勤しているとなおさらです。職場でもコンピュータに向かっていたりして、外の空気や光を感じることなく日々が過ぎてしまいます。このブログに20年以上も前に暮らしたウィーンのことや当時よく観ていたオペラのことなどをつい書いてしまうのは、今の状況に満足出来ず心がバランスを取ろうとしているのかもしれません。そんなことを考えながら車を止めた折、ふと足元を見たら落ち葉が所々にあって、そのカタチの美しさにハッとしました。褐色になった数十枚の落ち葉が駐車場に模様を描いていました。まさに場を創出するオブジェのようで、木々と風で出来た作品でした。