Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 道具・工具の管理
    亡祖父は宮大工でいつも鉋や鋸は木製の道具箱に入れてありました。亡父は造園職人で祖父同様に刈り込み鋏などは袋にしまっていました。一日の仕事が終わると道具を片付ける、昼休みのちょっとした時間に鋏を研いだり、鋸の目立てをやる、これがあたりまえの仕事でした。アルバイトにいって、周囲に道具を放っておくと怒られました。だからというわけではないのでしょうが、制作に使う自分の道具には気を配るようになりました。以前勤めていた所で同じように創作活動していた人が、電動工具や絵の具を出したままにしてあると、つい片付けてしまいたくなったものです。明日はまた木屑が出るし、このままにして明日一気に掃除をしようと思っても、一日の終わりにはケジメをつけてしまいます。親譲りの職人気質があるのかなと思います。
    なぜ制作を続けるのか
    なぜ制作を続けるのか、これはゴールが見えないレースのようなものです。作品が完成してギャラリーに展示してみたら、後悔と納得の危うい関係が始まり、見れば見るほど納得できず後悔に苛まれます。これで満足ということがあれば次の制作は出来なくなるのかもしれません。課題が次々に生じるからこそ制作を続けるのだと思います。自分には何が足りないのか、あの時こうすれば良かった、何もかもマイナス思考になりかねません。それでも中毒患者のように再び制作を始めます。今の結果を認めたくないし、次には素晴らしい結果が出ることを期待して、さらにステップアップできるものだと信じています。
    なぜ制作をするのか
    なぜ制作をするのか、たまに頭をよぎる素朴な疑問です。こんなもの作ってどうするの?とギャラリーに来た友人から真顔で聞かれると返答に窮します。美術作品は認められなければ巨大なゴミで、認められれば文化的な役割を担う存在になります。ところが制作している自分は先々のことなど考えていません。多くの作家は多分そうだと思います。こんなものを作って見たい、こんな風にギャラリーの空間を創出できたらいいな、くらいの考えでやっています。作品が出来た時に展示場所に置き、そこの空間が自分のイメージになる一瞬。まさにその一瞬のためにやっているのかもしれません。だから作品が完成してしまうと忽ち退屈してしまいます。制作している途中が幸せなのです。
    心の満足・身体の疲労
    労働していれば休日が楽しみです。身体をゆっくり休め、ボーと過ごす一日があってもよいと思います。でも自分のことを振り返ると、ゆっくり休んでいる日がありません。決して先を急いでいるわけではなく何かに急き立てられていることもありません。休日は制作をしているため、これが心に満足を与えているのだと思います。作品がイメージ通りできるのかというストレスはありますが、これは嫌なものではありません。身体は疲れていることがあって、拠る年波なのか疲労が取れない時があります。でも人は心の有りようで健康が左右するものだと痛感しています。多少嫌なことがあると身体は重く、逆に制作に出かける時は晴れやかです。制作あっての人生かなと思うこの頃です。
    11月は秋も深まり
    11月は秋も深まり、制作には絶好の季節となります。空気が乾燥して寒くなると、鑿を振るったり木を組み合わせたりする力仕事には汗が滴ることが少なく作業効率が上がります。美術の秋というのは観賞に限らず、制作者にとっても最適な季節なのです。さて、新作の多くの柱で構成する作品「構築〜包囲〜」も最終のカタチが見えてきました。あと6本の柱を彫れば、彫刻の工程は終わります。板材に加工を施すのは来月にするとして、今月中に柱を彫り終えることが目標です。