2006.10.26 Thursday
横浜市の教員向けの研究会でオーストリアの教育システムについて講演をしたことがありました。オーストリアは日本と違い、一斉に9年間の義務教育があるわけではなく、早い時期に職業技能を身につける学校に進む方法や中高一貫教育の学校(ギムナジウム)へ進み大学を目指す方法など進路はさまざまです。つまり大学に入るにはギムナジウムを出なければならず、また受験資格(アビトウアー)を取得しなければなりません。ドイツではアビトウアーと言っていた資格はオーストリアではマトウーラーと言っていましたが同じもののようです。大学は年間2期制で冬学期(ゼメスター)と夏学期がありました。受験は冬学期前に行われます。卒業までに8ゼメスター必要で、順当にいけば4年間かかります。自分はドイツ語力不足で10ゼメスターも通ってしまいました。
2006.10.25 Wednesday
ウィーン美術アカデミーは母校です。とはいえ、やはり外国人である自分は学生同士の繋がりも希薄だったため、日本の学校のように胸を張って母校と言えないところがあります。でも1980年代に在籍していました。学校と下宿の行き帰りが生活の基本だったので、アカデミーにはよく顔を出していました。校舎の中に美術館があって、扉ひとつ隔てて別の世界が広がる環境が不思議でした。学生証を提示すると無料で入れるのでよく美術館にも行きました。ボッシュの油彩を知ったのはこの時でした。謎の多い奇妙な絵画で、たちまち魅力にとりつかれてしまいました。今回新宿の美術館に来ていた作品は、きっと当時観ているに違いないと思うのですが、まるで覚えていない作品ばかりでした。日本で見るアカデミーの所蔵作品は特別な気分でじっくり観ることが出来ました。ウィーンにいる時はかなり疎略な見方しかしていないので記憶に残っていないのだと思います。
2006.10.24 Tuesday
このところ朝晩めっきり冷え込んできました。こんな季節になるとヨーロッパに暮らしはじめて嫌気がさした長く暗い冬のことを思い出します。夕方4時になると辺りは暗くなり、釣瓶落としの如く夜の帳がおりて、翌朝は9時にならないと明るくなりません。とは言っても昼間はいつもどんよりした寒々しい日が続きます。フロイトをはじめとする心理学者や哲学者が育つ土壌はこんな長い冬にあるのかもしれません。冬は部屋に篭もることが多く、ウィーンの下宿では、一番安いラジカセを電器屋で買って日本から持参した音楽を繰り返し聴いていました。ドイツ語のニュースも街行く人々の会話もわからず、昼間は学校と下宿の行き帰りだけでした。秋から新学期が始まっていたので、すぐ冬がやってきて孤独を感じることもありました。ドイツ語を学んでいたミュンヘン近郊のムルナウは光輝く夏でしたので、ウィーンの生活が始まった初冬はつらいものがありました。
2006.10.23 Monday
アルテピナコテークを観たその日にハウス デア クンスト(芸術の家)も観ています。ここには「青騎士」を初めとするドイツ表現主義の重要な芸術家たちの作品が展示されていました。これは何かの企画展だったのかもしれません。とにかく表現主義は渡欧前に大変興味を持った流派のひとつでした。大学で彫刻を専攻しながら、せっせと木版画を作っていたのはドイツ表現主義の影響でした。キルヒナーやノルデが試みた木版画の線の強さが気に入っていました。次に行ったレンバッハ美術館ではクレーの初期の銅版画に心が揺さぶられました。子どものような線を描いたクレーですが、初期はおどろおどろしい緻密な幻想画を銅版に刻んでいたのを知りました。ヨーロッパ体験の第一歩がデューラーから始まり、フランス印象派ではなくドイツ表現主義だったことがやはりその後の自分の制作に何か影響を及ぼしていると考えています。
2006.10.22 Sunday
アルテ・ピナコテークはヨーロッパに渡って初めて観た大規模な美術館でした。パリのルーブル美術館でもなく、イタリア各地の美術館でもなく、このミュンヘンの美術館が自分の脳裏に最初にすり込まれた西洋絵画になりました。デューラーから紐解く西洋美術史というわけです。幸いと言っていいものかわかりませんが、有名な「モナリザ」ではなく、デューラーの「4人の使徒」から入った絵画は先入観がない状態で目に飛び込んできました。これには本当に驚きました。描写の迫力に圧倒されました。ルーカス・クラナッハも硬質な感じが一目で気に入ってしまいました。フランスやイタリアといった美術史では避けて通れない国々より、ドイツ美術が自分の心に鎮座してしまったことが、その後の自分の美術趣向にも造形思考にも影響していると今も思っています。