2006.10.11 Wednesday
フンデルトワッサーや池田満寿夫の陶芸を見ていると、これはもう用途を持つ陶磁器とは異なり、むしろ陶を単なる素材として扱った立体作品と言えます。これは彫刻分野の仕事です。そこに工芸的な要素はありません。日本で初めてこうした作品が生まれたのは、イサムノグチの滞日中に作った即興的な陶芸や八木一夫らの「走泥社」が提唱したオブジェ焼からでしょうか。岡本太郎が自論の中で縄文土器の美的要素を謳ったものも影響しているのでしょうか。藤田昭子の野焼きした古代住居のようなオブジェも注目に値すると思います。自分もこの流れの末席にいて、用途を無視した造形を作り続けているのだと思っています。
2006.10.10 Tuesday
昨日、フンデルトワッサーが作った陶芸のことをブログに書いた後、ふと思い出したのが池田満寿夫の陶彫「般若心教」です。去年、三重県にあるパラミタミュージアムに行き、池田満寿夫の陶彫コレクションを見てきました。奔放な土の動きと偶然できた窯変が圧倒的なパワーをもって迫ってくるような作品群でした。刻まれた文字も作品の一部になって、文字の乱れもヘラで叩いただけの面も、ヒビ割れもすべてが自由闊達で、これでいいのだと言わんばかりの存在感でした。陶芸家の作るそれと違って、どうして表現領域の広いアーテイストが作る作品は、欠陥だらけであっても、とてつもなく面白いんだろうと感じています。
2006.10.09 Monday
陶芸がやりたくてもその手段が見つからなかった滞欧時代、ウィーンの目抜き通りであるケルントナー通りに洒落た工芸品を扱う店があって、そのウインドウにフンデルトワッサーが作った壺と深皿が飾ってありました。何度もそれを見て歩き、立方体にカラフルな意匠を施した壺と渦巻き模様の深皿になんともいえない自由で斬新な発想を感じました。立方体の壺は上面に小さな穴があって、そこに太めの枯れ枝がさしてありました。壁に掛かる深皿との絶妙な取り合わせに思わず楽しくなってしまいました。画家の作る立体の面白さ、自由さに初めて感銘したひと時でした。
2006.10.08 Sunday
フンデルトワッサーが亡くなってどのくらい経つのでしょうか。自分がウィーン国立美術アカデミーに在籍していた頃、アカデミーにはフンデルトワッサー教室があって、よくそこを見に行きました。観葉植物が所狭しと置かれて、さらに様々な浄化装置があって、その間を学生たちがイーゼルを立てて絵を描いていました。フンデルトワッサーはなかなか姿を見せなかったのですが、助手から今日フンデルトワッサーが来てると情報をもらったので、さっそく日本で作ってきた木版画を抱えて会いに行きました。フンデルトワッサーは私の版画をじっくり見て、「これはいいね。でも君の絵には色彩がない。なぜ色彩を使わないのか。」と聞いてきました。モノクロはだめだと言わんばかりの反応でした。平易なドイツ語で手振りを交えて話しかける様子は、私が外国人という配慮ではなく、まるで子供のような話しぶりだなと感じ取れました。
2006.10.07 Saturday
オーストリアのオーバーエスタライヒ州に住む彫刻家中島修さんと一緒にカール・プランテルの自宅を訪ねたのは、もう20数年前になるでしょうか。農家を改造して中世の木の家具をモダンに配置した部屋に通されて、お茶を頂きました。プランテルの彫刻はブランクーシに通じる抽象的な石彫作品で、角をなめらかに磨いた立方体や、単純なカタチに穴をつけた精神的な作品に至るまで、明快さと包み込む空間の美しさが特徴です。立方体をナイフで切り取ったようなシャープな中島さんの作品と対比すると、同じ石を扱う作家でありながら、まるで異なる個性を持った者同士がそれぞれ空間のあり方に別の解釈を提示しているようで面白さを感じました。有機質と無機質、両方の良さを感じつつ、お互いの作品が呼応しあう様子はとても刺激的でした。