2021.10.22 Friday
先日、江戸東京博物館で開催中の「縄文2021」展に行き、図録「東京に生きた縄文人」を購入してきました。その中に同博物館館長の藤森照信氏と都立大名誉教授の山田昌久氏の対談記事の掲載がありました。展示を見た後で、これを読んで縄文時代に思いを馳せる時間を持ちました。対談は着る、食べる、祈る、住むという衣食住に纏わることがテーマになっていて、私が面白いと感じた箇所をピックアップしたいと思います。まず衣服に関する談話です。「縄文人は植物の繊維をいち早く利用して、布を作り、それをまとっていたと考える方が自然です。そういった証拠が圧倒的に多いんです。だから裸に毛皮をまとっていたのではなくて、繊維を編み込んだ布をまとわせていたんじゃないでしょうか。」次は食料に関する談話です。「弓を使っていたとしても、かなり近づかなくては倒せない。何人かで協力して追い込むか、人間のにおいを気づかせない落とし穴のような方法が必要なわけです。~略~(根菜類とか雑穀に関して)縄文人はいろいろな食料をシチューのようなごった煮にして食べていたようなんですが、最近の研究で、酸素とか窒素の同位体と呼ばれるものを頼りに、その内容物を調べ出したんですね。土器の内部についた付着物を調べることによって、これは木の実だとか、芋だとかといったことが、大枠で理解できるようになったんです。」次に祈りに関する談話です。「大がかりな作業をしてまでも、石組を作ってそこで祭祀を行なっていた例が、東京の多摩地区には残っています。~略~(耳飾に関して)民族誌から考えると若いうちに耳に穴を開けて、そこに付けていたようです。あるいは、歯を抜いたり傷をつけたりする抜歯のような慣習もそうなんですが、たとえば大人になった証だとか、子どもを妊娠した際の通過儀礼として、そのようなことを行っていたんでしょうね。」最後に住居に関する談話です。「縄文時代の住居の建て替えは耐用年数とは別の原理、たとえば縄文人の成人に伴う新築が考えられることになります。一方ではなぜ、そんな強度が必要だったのか。ひとつ考えられるのは、縄文時代の住居は1.6mとか身長に近いサイズで作っているから、小屋組みそのものが構築時には足場にもなるわけです。縄文の住居って実は、数人で共同で作り上げていく規模の構造体なので、この強度というのは、建物の強度ということだけではなくて、作り上げるときの強度も考えているのかもしれません。つまり縄文人は、構造にとどまらず、構築、施工についても理解していたんじゃないかと思うんです。」
2021.10.21 Thursday
今回、ホームページにアップした3ヶ月分のRECORDは、先日撮影した年間RECORDではなく、その前に撮影した昨年のRECORDになります。2020年9月分までが昨年撮影したもので、2020年10月分から2021年の9月分までは先日カメラマンに撮影をしていただきました。それも順次アップしていきたいと思います。2020年は年間テーマを色彩にしていて、7月を「朱」、8月を「苔」、9月を「紫」にしていました。ホームページにアップする際に、私はコトバを添えています。色彩から発想するイメージを視覚画像ではなく、コトバで表現しているのです。色彩はフォルムとは無関係に私たちの脳がアートとして反応することを、現在読んでいる脳科学の書籍によって教えられました。色彩に対する考え方が脳科学的にも裏付けられたわけで、まさにアートとしては色彩独自な世界観として認識できているわけです。私はそうした色彩のバリエーションを、日本製による色見本を使うことにしました。それは西洋とは異なる詩情を含んだ語彙で表現されていて、私にはしっくりくるのです。私は自ら紡ぐコトバが拙いと感じていますが、それでもなお日本的にアレンジされた色彩は、私に詩情を与えてくれます。「朱」は神社にある鳥居に塗られた色彩として頭に浮かびました。朱は霊験灼かな色彩かも知れません。「苔」は枯山水の庭園に見られる古石にイメージされるように幾星霜も経た無言の時間が物語るように思います。「紫」は高貴な色彩と感じていて、醤油のことを紫と言うのはどういうことなんだろうと思っています。私にとってコトバを考えるのは困難を伴いますが、それでもコトバにしてみたい欲求があるのです。今回アップしたRECORDをご覧になっていただけるなら、ホームページの扉からRECORDの頁に入れるようにしてあります。ご高覧いただければ幸いです。
2021.10.20 Wednesday
今日は工房に行かず、久しぶりに東京の博物館を訪れました。出かけたのは東京両国にある江戸東京博物館で、「縄文2021」展をどうしても見たかったのでした。家内が用事があるため今日は私一人で行きましたが、予めコンビニで入場券を購入していました。展覧会の副題に「東京に生きた縄文人」とあって、都内で発掘された縄文土器が展示の中心になっていました。私は縄文と名がつく展覧会にはつい惹かれてしまい、今まで何度も出かけました。新潟県や群馬県にも足を運んでいます。新潟県六日町の博物館には岡本太郎著の「縄文土器論」を携えていました。何故そんなに私は縄文土器に惹かれるのか、自ら制作している陶彫は焼き締めで、しかも彫り込み加飾と私が称しているのは、紛れもなく縄文の文様に通じるものがあるからです。自作のイメージは海外の遺跡にあったとしても、脈々と受け継がれる日本人の造形遺伝子が縄文にあると私は信じたいのです。しかも縄文の遺物は世界に類を見ない豊かな世界観を有していて、日本人の自尊心を満足させてくれるからとも思っています。今回の展示内容は土器と土偶に限らず、縄文人の日常生活に迫る多角的な視点があって面白いと感じました。建築家として私が憧れる藤森照信氏が同博物館の館長を務めているので、図録にその執筆があり、その一部を引用させていただきます。「日本列島の新石器時代(縄文時代)にあっては、新石器、土器、定住の3つは世界(ユーラシア大陸)と一致するのに、農業が未発達だった。農業が未発達なのに、人びとは定住して集落を成し、世界一の美しさを誇る土器や土偶を作っていた。~略~多様な気候と多様な地形、これが豊富な海の幸と山の幸をもたらし、縄文人たちの日々の暮らしと表現行為を支えていた。~略~博物館を訪れる日本の人びとは、自分たちの村の祖先の暮らしを見るように見ているのではないか。いろんな時代に人びとの大移動と盛衰が絶えなかった世界では、現在その地に住む人びとが、新石器時代のあれこれを遠い昔の先祖の話として眺めることは少ないに違いない。」日本は島国で、他民族が交わる歴史的背景がなかったことにも関係していて、私も縄文人が自分と繋がりがあると信じているのです。とりわけ私の「発掘シリーズ」の遺伝子は縄文時代にあると言ってしまいたいと思うくらいです。勿論弥生時代になれば大陸から渡来した人びとによって稲作(農業)が齎され、純粋な日本人にも大陸の血が混入されていったとは思いますが、縄文時代の土器・土偶の美しさに私は魅了され続けているのです。
2021.10.19 Tuesday
「なぜ脳はアートがわかるのか」(エリック・R・カンデル著 高橋洋訳 青土社)の「第10章 色と脳」をまとめます。「フォルムによって色が決定されないとなると、特定の具象的文脈のもとでは『妥当ではない』ように思われた色が、『実のところ妥当である』と見なされるようになる。というのも色は、特定の物体を表現するためでなく、アーティストの内的なビジョンを伝えるために用いられるようになったからである。さらにフォルムと色の分離は、霊長類の持つ視覚システムの構造や生理的特徴に関する知見、すなわち『フォルム、色、動き、奥行きは大脳皮質で個別に分析される』という知見とも合致する。」冒頭の文章が示す通り、本章では色覚等が脳に作用するところを扱っています。「私たちの脳は、おのおのの色を独自の情動的特徴を持つものとして処理するが、色に対する私たちの反応は、それを見る文脈やそのときの気分に応じて変わってくる。文脈に関係なく情動的な意義を帯びやすい話し言葉とは異なり、色は、トップダウン処理の影響をはるかに受けやすい。そのため同じ色が、人によって、あるいは同じ人でも文脈が異なれば違った意味を帯びうるのである。」次は色と情動に関しての論考になります。「芸術作品に対する情動反応に色彩が及ぼす深甚な効果の生物学的基盤は、視覚システムと他の脳領域の結合にある。」これに関する偏桃体の説明があり、私は次の文章に目が留まりました。「色は物体の重要な構成要素ではあるが、孤立した属性ではなく、明るさ、フォルム、動きなどの他の属性とも不可分に結びついている。その結果色覚は、二つの機能を果たしている。明るさとともに色は、特定の物体が、輪郭づける境界のどちら側に帰属するのかを画策することを支援し、陰影や一群の物体の構成要素をめぐるあいまいさを解消する。かくしてたとえば、色は花束のなかから一本の花を見つけられるようにする。」なるほど、脳の働きが日常生活の中で取捨選択に役立っている状況が分かりました。つまり、「私たちは晴れか曇りか、あるいは明け方か真昼か夕方かなどといった日照条件の違いにもかかわらず、たとえば木の葉を見るときにはいつもそれを緑色の葉として認識している。」ことになるのです。それは「色覚恒常」と呼ばれるものだそうです。次は光に焦点をあてた論考が登場してきます。今回はここまでにします。
2021.10.18 Monday
「なぜ脳はアートがわかるのか」(エリック・R・カンデル著 高橋洋訳 青土社)の「第9章 具象から色の抽象へ」をまとめます。本章では2人の画家が登場します。マーク・ロスコとモーリス・ルイスです。2人の作品に共通しているのは色彩による還元が成されているところです。「高度に単純化され、色彩の深さに焦点を置いた還元主義的な視覚言語と、ロスコがそれを用いて生み出した驚くべき多様さと美は、以後の生涯を通じて彼の作品を特徴づけることになる。ロスコは、その種の還元主義的アプローチを不可欠と考えていた。彼は次のように言う。『ますます私たちの社会は、環境のあらゆる側面を限られた関連づけで包囲するようになってきたが、それを破壊するために、事物の馴染みの側面を粉砕しなければならない』。彼の主張によれば、アーティストは色、抽象、還元を極限まで突き詰めることによってのみ、色やフォルムに対する慣例的な関連づけから鑑賞者を解放して、鑑賞者の脳に新たな思考、関連づけ、関係、そしてそれらに対する情動反応を生み出すイメージを創造することができるのである。」一方、ルイスの表現はこんなふうに書かれていました。「ルイスはアクリル絵具を希釈して、完成品ではない未延伸の大きなカンバスに直接注いだ。そうすることで絵具は自然に垂れ、カンバスの素材に直接染み込んだ。その結果、奥行きの錯覚は生じなくなり、色彩がカンバス表面の必須の構成要素になった。ブラシやスティックを用いずに絵具を垂れるままにまかせるこの技法は、アクション・ペインティングと大きく袂を分かつ。」まとめとして次の文章を引用いたします。「ともに抽象表現主義の分派であるアクション・ペインティングとカラーフィールド・ペインティングは、いずれもフォルムと色の分離を巧みに利用し、線と色を強調するために意図的にフォルムを放棄した。ポロックとデ・クーニングは柔和な外形とあいまいな輪郭を描くことで、脳の持つ限られた注意力をより強くパターンに向けられるようにした。ロスコ、ルイスらカラーフィールド画家は、色そのものを強調することで、さらにはっきりと注意力に焦点を合わせた。~略~具象的要素を欠く抽象画は、具象画とは非常に異なるあり方で脳を活性化させることがあげられる。つまりカラーフィールド・ペインティングは、色に関する関連づけを鑑賞者の脳に引き起こすことで、知覚や情動に影響を及ぼすのだ。」今回はここまでにします。