Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • 週末 大規模作品土台のイメージ
    朝から工房に篭りました。今日は曇り空の一日で工房内は寒くて、作業の手を度々止めてストーブで温めていました。水を扱う陶彫は寒い日には厳しいなぁと思いつつ、今日も昨日に続いてRECORD立体版をやっていました。1体作るのに半日はかかり、今夏発表する大規模作品と並行して作るのは大変です。大規模作品の陶彫部品は既に終わっていて、乾燥を待っているところですが、そのうち1点に仕上げを施し、化粧掛けをして今日の夕方窯に入れました。明日は電気の関係で工房は使えないため、明日は大規模作品の土台になる厚板材を購入してこようと考えています。大規模作品は床を這う作品で、土台となる厚板材のデザインは重要な役割があります。作品の半分は厚板材による造形で決まると言っても過言ではありません。床を這うように設置する厚板材ですが、床から土台をすこし高めに上げて隙間を取ろうと思っています。今のところ厚板材は三層構造にしようかと思案しています。厚板材で作り出すデザインは不定形で三角形の穴をたくさん刳り貫き、穴だらけにするイメージがあります。床を這っていく先端は崩れかけていて、無限の広がりを感じさせられたら空間的には成功かなぁと思っています。果たしてイメージ通りになるかどうか、来週くらいから土台の設計をしていくつもりです。イメージは常に原初のイメージに戻って、そこから技巧を考えるようにしています。実は頭の中で幾度かイメージの更新をしてきましたが、原初の捉えはブレずにやっています。そこが作品の生命線だからです。今日は土台のイメージにはまだ手を使わず、頭の中で考えているだけでしたが、RECORD立体版を作りながら、頭は別の作品を考えている状態は、寒さばかりではなく精神的にも疲れが出てしまいました。今日も高校生がデッサンに来ていました。夕方彼女を家の近くまで車で送りながら、運転中もイメージトレーニングをしていました。
    週末 陶彫制作の継続
    週末になりました。今日は今週の制作状況を書いていきます。今週は水曜日に美術館へ出かけたため、この日は工房に行かなかったのですが、その以外の日は工房に通っていました。新作の大規模作品の陶彫部品がほぼ出来上がり、土台となる木材加工を残すだけになりましたが、陶彫制作は継続しています。例年の制作工程なら、ここでひとまず陶彫制作は終わるのですが、来年に向けた制作が始まっていて、今年の夏に発表する作品と並行して、来年の夏に発表を予定している作品を同時に作っているのです。来年の陶彫作品は1月1日から12月31日まで毎日作っていかなくてはならないコンセプトでやっています。つまり一日1点ずつポストカード大の平面作品を作っているRECORDの立体版なのです。RECORD立体版は陶彫による立方体です。そこにさまざまな彫り込み加飾を施します。言うなれば私の小品シリーズ「陶紋」の延長上にあるものです。私には「焦らず休まず」という制作姿勢があり、それを具現化するための陶彫制作です。しかも平面作品のRECORDとの関連でやっている仕事なので、陶彫による日記または記録とも呼べるものです。実はこれがなかなか厳しい制作で、RECORD平面版のように1時間から2時間程度では終わらない作業量です。これを今年の夏までは新作と並行してやっていくとなると、今年の前半は結構大変なのではないかと思っています。今日は美大受験生が2人工房に来ていました。先週、美大の卒業制作展に行って刺激を受けたようで、今日は頑張ってデッサンをやっていました。私も卒業制作展では刺激を受けました。明日も継続です。
    「デッサウのバウハウス 造形大学へ」のまとめ
    「バウハウス-歴史と理念」(利光功著 株マイブックサービス)の「第五章 デッサウのバウハウス その一 造形大学へ」をまとめます。ヴァイマルからデッサウへ移転することになったバウハウス。「ここにグロピウスを始めとしてカンディンスキー、クレー、モホリ=ナギ、ムッフェ、シュレンマーらの親方が、ヴァイマルでの残務整理を済ませて次々に引っ越してきた。躊躇していたファイニンガーも授業を直接担当しない約束のもとに移ってきた。~略~グロピウスはヘッセ市長との協議の下に新しく定款を制定し、これがアンハルト邦内閣により承認され、1926年10月末バウハウスは造形大学として認可されたのであった。つまり市立の大学として、設備はデッサウ市に所属しながら、アンハルト邦政府教育局の監督下に置かれたのである。」新生バウハウスでは校舎や親方用住宅の建設が始まり、落成式を迎えました。「この日はバウハウス人にとり、なかんずくグロピウスにとり恐らく生涯における最良の日であったに違いない。理想的な活動と生活の場を創り得て、今までの長い悪戦苦闘の日々も一挙に雲散霧消する思いがしたことであろう。当日のベルリンの『フォシィシェ・ツァイトゥング』紙には美術批評家マックス・オズボンが『単にドイツのみならず全世界から、芸術に関心のある人士が、今後この友好的な都市デッサウへ、バウハウスの新しい建築群に示されている今日の芸術意志の感嘆すべきドキュメントを知るために、巡礼するであろう』という書き出しで、この校舎と教員住宅の建築につき詳細に報じていたが、この言葉は決して誇張ではなかった。」その活動を記した出版活動があります。「バウハウス叢書はグロピウスとモホリ=ナギの共同編集により、ミュンヒェンのアルベルト・ランゲン社から刊行されたが、その意図するところは、1927年のものと思われる案内パンフレットによるならば、あらゆる造形領域は相互に密接に連関しているという認識に基づき、芸術的・科学的・技術的諸問題を扱うことにより、専門分野に拘束された現代人に各種の造形領域で問題設定と研究法とその所産を闡明し、これによって個別的知識の比較の基準と他の分科における進展を作り出そうとするものであった。」軌道に乗ったバウハウスでしたが、やがてグロピウスの辞意表明がありました。「グロピウスが苦心惨憺して育ててきたバウハウスから突然去ることになった真因は何であったのであろうか。先の書翰にみる限りでは、建築家本来の仕事に専心したいという欲求と、バウハウスが一人立できるという判断から引退を決意したのであり、我々はこれをそのまま素直に受け取るべきかもしれない。しかしまさにそのような引退を望むに至った理由となると、そう簡単ではない。~略~恐らくドイツでバウハウスほど毛嫌いされ迫害された学校は見当たらないのであって、グロピウスみずから仕事の九割は対外的防衛線であったと言うのも、あながち誇張ではなかったと察せられ、彼がこのような時間の浪費と思われる仕事にふと嫌気がさしたとしても不思議はない。」
    作家が収集する民藝品
    昨日、東京立川にあるPLAY!MUSEUMで開催中の「柚木沙弥郎life・LIFE」展に行って来て、本職の染色作品の他に、作家が集めた各国の民藝品が同じ空間に展示してあり、興味関心を持ちました。作家が収集する民藝品には、創作の源になっているモノがあり、造形した作品よりも作家らしい雰囲気が窺い知れるコレクションがあると言っても過言ではありません。染色家柚木沙弥郎氏のアトリエがテレビで撮影されたときに、各国で収集した民藝品や玩具が所狭しと置いてあって、その雑然とした部屋のなかで作家が渋紙から型紙を作っている場面が映し出されていました。とくにメキシコの玩具のデザインに作家が惹かれているようで、その収集の楽しさが伝わりました。それは形のみならず色彩にも独特な感性があって、玩具を見ているだけで創作意欲が湧くものかもしれません。私もそうした収集癖が理解できます。私はヨーロッパにいたときにルーマニア正教の聖像画やトルコの平織り絨毯に興味が湧き、貯めたお金を全部つぎ込んで購入した記憶が甦ります。イタリアのベニスでは陶製の仮面を購入してきました。帰国後に社会人になった私は、アフリカの仮面に惹かれて、時折民藝店を巡ってはそのコレクションを始めています。東南アジアに旅行したときにもインドネシアやタイで仮面を手に入れてきました。仮面は精霊なのか悪魔なのか魑魅魍魎か、人間ではない奇怪な生命を持ったものだろうと思います。その始原的な造形には民族的な逞しさを感じています。作家が収集するモノは、自らの創作意欲を高めてくれるモノであり、自らの世界観に近いモノなのかもしれません。非日常に浸っているからこそ興味関心があるのです。「柚木沙弥郎life・LIFE」展では、作品の他に面白いモノを発見して、とても楽しくなりました。
    立川の「柚木沙弥郎」展
    今日は工房での作業を休んで、東京立川で開催されている「柚木沙弥郎life・LIFE」展に行ってきました。美術館は立川駅周辺に2020年6月にオープンした「PLAY!MUSEUM」で、子どもの遊び場と一緒になったような新しい感覚の複合施設でした。そうした雰囲気に染色家柚木沙弥郎の作品群はよく合っていて、楽しさに溢れていました。私は新聞記事で本展を知り、家内を誘って自家用車で立川に向いました。染色家柚木沙弥郎の作品は2018年に私は日本民藝館で見て、その自由闊達なデザインに魅了されました。作家は現在99歳で、もうすぐ100歳を迎えます。私が羨ましく感じているのはその年齢で、創作活動に携わってこられた長い経歴にあります。しかも年齢を感じさせない溌溂として大胆な染色の世界は、どうして培われたのか、図録のインタビュー記事で知ることが出来ました。聞き手はキュレイターの林綾野氏です。「ぼくの作品は、アートでもなければ、工芸品というわけでもなくて、その間にあるようなもの。元々は生活の中にあるものなんです。暮らし(life)と繋がっているものだと思いますよ。~略~自分が何かしたかったというものがあれば、それを果たすべく努力をするわけだから、そういう人生(LIFE)であって欲しいと思いますね。」作家にとって美とは何か、そんな質問もありました。「ぼくは模様が『美』だと思いますね。自然はそのままだと荒々しいけど、人間が手を加えて整えるととても美しくもなる。人がものの本質、そのいきいきとした部分を掴んで、表すのが模様だと思います。そういう意味ではとても抽象的で、なんというかとても本質的なものです。でも、それを生み出すのは簡単なことではありません。毎日、毎日考えて、何日かして朝7時くらい、目が覚める頃に大抵ふっと浮かんできたりしますね。」今という時代についても作家はこんな主張をしています。「戦後70年以上の歳月が経って、毎日の暮らしには自由がある。この自由を手放してはいけないという覚悟を持って欲しいと思います。ワクワクしたり、自分のやってみたいことをやるには、社会全体が自由であることが基本です。戦争が起こればそれはなくなります。自由の大切さを自分たち一人一人が認識して、決して手放さない、そういうことを自覚して欲しいなと思います。」