Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • 11月最初の週末に…
    4月から創作活動一本になって現在に至っていますが、時間が経つのは早いなぁと感じます。もう11月かぁと思っているうちに、すぐに年の暮れがやってきそうです。11月最初の週末に、今週はどんなことがあったのかを振り返って見たいと思います。今週は実家の解体工事の打ち合わせがあり、それに伴って大ゴミ処理も必要になり、ついでに自宅の断捨離をやっていました。断捨離で家内も私もホトホト疲れてしまいましたが、仕事を退職した私は、いずれやらねばならないことなので、今週思い切って実行したのでした。創作活動も週に3日間はやっていて、中規模作品の陶彫部品を作っていました。工房に行っていると元気になれるのは有難いことだなぁと思っています。中規模作品の成形や彫り込み加飾も順調で、今日は中規模作品最後の陶彫部品を乾燥棚に運びました。いよいよ大規模作品も中規模作品も全体構成を考えながら、厚板材に造形をする段階にきたと思っています。厚板材を購入する前に、陶彫による小品も手掛けてしまおうと考えていて、まず小品は何点くらい用意しようか、「陶紋」シリーズでやるとしたら、どんな形態にしていこうか、いろいろ頭を過ぎりました。実際には小品は明日から制作しようと思っています。今日は美大受験生2人が工房にやってきました。2人のうち一人はデッサンを、もう一人は平面構成をやっていました。高校に通いながら美大受験の準備をするのは大変なことですが、自分が主体的にやりたいことが決まっているなら、彼女たちは他の子たちより幸せなのかもしれません。私も高校時代から美術の専門家への道を志してきました。そのおかげで仕事を退職した後も工房で彫刻を作っていられる幸せを噛み締めています。夕方、彼女たちを車で家に送り届けてきました。制作は明日も継続です。
    「白光」を読み始める
    キリスト教の聖像画(イコン)を描いた画家山下りんを知ったのはいつ頃か、私は教職にあった頃に北海道を旅行して、道内のどこかのハリストス正教会に辿り着き、そこで初めて山下りんによるイコンを見たのでした。それまではそんな画家が日本にいたことなど知る由もなく、しかも明治時代の封建的な風土の中にいた女流画家なんて、周囲との摩擦が想像されるだけに俄かに信じられなかったのでした。それでも女流画家山下りんは確かに存在し、数々のイコンを残していました。山下りんとはどんな人物だったのか、どんな生い立ちをしているのか、私が北海道で見たイコンのことを思い出したのは、新聞記事で山下りんの生涯を著した新書が発売されることを知ってからでした。横浜の大手書店にはその書籍を置いていなかったので、そこで予約注文し、漸く手元に「白光」(朝井まかて著 文藝春秋)が届きました。本書には一章に入る前に序章「紅茶と酒とタマートゥ」があり、年老いた山下本人が独白する場面が描かれていました。タマートゥとは赤茄子と書いてあるので、トマトのことだろうと思います。私の亡くなった祖父母もトマトのことを赤茄子と呼んでいました。「近所の者らは誰も知らないけれど、わたしはかつてロシアのペテルブルクに留学していたことがある。女子修道院の聖像画工房にいた。そこには、前掛けをつけて絵筆を揮う修道女たちがいた。死なば死ね、生きなば生きよ。そう心に決めてロシアに渡ったのだ。あやまちばかりの、吹雪のような青春だった。けれど胸の中には高々と燈火を掲げていた。芸術の道を求めてやまなかったのだ。我を忘れるほどに描き、一日、一週、一年、そして一生を過ぎ越した。乳香の匂いがして、夥しいほどの蝋燭の灯が揺れる。聖堂の鐘が鳴り、祈りの声が高く低く響き、やがて空から光が降ってくる。わたしはかつて、日本でただ一人の聖像画師であった。」山下りんの晩年は絵筆を持たず、信仰も芸術のことも口にしなくなっていたようです。これからこの類稀な人物を描いた「白光」を読んでいきます。ただし、ドキュメンタリーではなく、これは取材を重ねた小説なので、そこは多少のドラマを創り出していることはあるだろうと思います。その分、読む楽しさは倍増するはずです。
    「世界甲虫大図鑑」について
    先日、東京上野にある国立科学博物館に行った折、ギャラリーショップに立ち寄り、「世界甲虫大図鑑」(パトリス・ブシャー総編集 東京書籍)を購入してきました。かなり重い書籍で、リュックに入れて背負って帰りました。私はとりわけ虫が好きというわけではなく、虫の種類によっては苦手なものもありますが、創作上のカタチのアイデアを虫の構造からいただくことがあります。陶彫部品に虫のような形態を取り入れているものがあり、とくに甲虫類は参考になります。図鑑の解説の中から気に留めた文章を引用いたします。「甲虫目に含まれる昆虫を甲虫といい、現在約40万種が記載されている。地球上で最も多様で重要な動物群のひとつである。~略~成長著しい生体模倣科学(バイオミティクス)の分野では、近年、甲虫の体の構造や機能から着想を得て、玉虫色の車用塗料や繰り返し脱着できる面ファスナー、紙幣の偽造防止技術など新素材や新製品が開発されている。」約40万種ということは、未だ全部の種類が発見できておらず、誰にでも新種発見の機会が与えられているということでしょうか。そもそも甲虫とはどんな特徴があるのか、これも図録の解説より引用いたします。「甲虫にとりわけ特徴的な適応形態は、咀嚼型の口器、発音器としてはたらく硬くなった上翅、上翅の下に縦方向に織り畳まれた下翅、そして完全変態である。完全変態をする昆虫は卵、幼虫、蛹から成虫という、まったく異なる4つの発育段階を経る。幼虫と成虫はしばしば習性も生息地も異なり、まるで別々の種がそれぞれの環境の中で生活しているようである。」甲虫の一生は、別の生命が乗り移って変容していくような按配で、甲虫類の導入部分だけでも興味関心が尽きません。ただし、私は昆虫学者になるほど虫好きではないので、甲虫の形態を彫刻作りの参考にする程度に留めたいと思います。ただ、身近にこんなにも多種多様な生命体が存在していることを知るべきで、とくに科学の分野では虫から学ぶことが多いのではないか、たとえばロボット工学やら新素材開発にも生かせるような研究が今後益々進んでいくように思われます。小さな虫と言えども決して侮れない凄さを感じつつ、「世界甲虫大図鑑」を眺めています。
    文化の日は衣類の断捨離
    今日は文化の日です。教職に就いていた頃は、創作活動に勤しめる大切な一日でしたが、退職した後は平日と休日の差がなくなって創作活動が常時可能な状態になりました。私にとっては幸せな日々が続いていますが、今日は自宅に溜め込んだ衣類を整理しようと家内と決めていました。今月、実家の解体工事が入る関係で、実家に残っているモノを処分することにしました。解体業者の他に大ゴミ処理業者とも近々打合せを持つので、実家の大ゴミに加えて、自宅の衣類も運んでもらおうと思っているのです。そのため今日は工房には行かず、家内と自宅に篭って衣類の整理を行ないました。いわゆる断捨離ですが、今日全ての断捨離が出来たわけではありません。一昨年大型台風の影響で屋根が一部壊れ、壁に水漏れが生じた時に、自宅内を大幅にリフォームしました。その時に一時的に衣類等を移動していましたが、それによって一つの部屋が使えなくなり、ずっと不便を感じていました。この際、空間を確保するために思い切り衣類を捨て去る覚悟を決めて、朝から晩まで家内と不要になった衣類をビニール袋に詰めていました。ここでも家内の作業に関する粘り強さが発揮され、私は大いに助かりました。先日、実家の片付けに行った時も家内は長い時間をかけて整理をしていました。リフォームの時の日用品や衣類の移動の際にも、家内は夜遅くまで取り組んでいました。私は好きな創作活動では黙々と頑張れるのに、こうした作業はどうにも苦手で、取り組み始めの勢いが徐々に失われてしまうのです。明日は創作活動に戻って自分を取り戻そうと思っています。
    「グレコ・ローマン時代のミイラ作り」について
    先日、見に行った「大英博物館ミイラ展」で、浅学な私が驚きをもって発見したことを、今日はNOTE(ブログ)にまとめます。それは私はミイラ作りの文化は古代エジプトだけのものだと思っていたことです。図録によると「ギリシャ人およびローマ人によるエジプト支配は、行政機構に多くの変化をもたらせただけでなく、文化を変容させ、埋葬習慣の伝統にも影響を及ぼした。アレクサンドリアをはじめとするギリシャ人が暮らす都市では火葬が行なわれたが、死者をミイラにする古代の風習は、ローマ支配時代に入ってもエジプト各地で続けられた。ギリシャ人がエジプトを支配してからも、埋葬に関わる信仰や、遺体の処理、副葬品が大きく変化することはなかった。」とありました。展示品の中にこのグレコ・ローマン時代の若い男性のミイラがあり、さらにびっくりするようなエピソードがありました。「ミイラは、外見の見栄えを保つことに最大の配慮がなされたようだが、内臓の保存がないがしろにされたわけではない。グレコ・ローマン時代(前332~後395年頃)に入っても、それ以前のミイラ作りの伝統は一貫して継承され、脳は取り除かれていた。~略~さらにCTスキャンの結果、もう一つ驚くべき残存物があることが明らかになった。頭蓋の奥に、長さ11.7cm、直径1.4cmのかなり大きな木片が見つかったのである。この木片は鼻腔に開口部を開け、脳を突いたり掻き出したりして取り除く際に用いられたものらしい。ミイラ職人が残したこの木片は、こうした遺体処理の際にどのような道具が使われていたかを知るうえで貴重な手がかりになる。考古学調査でミイラ作りの道具が確認されたり出土することはめったにないからである。」現代の画像解析をもってすれば脳内に忘れられた掻き出しベラさえ正確な寸法で見ることができるのです。ミイラは古代エジプトの王族が生前の姿をそのまま保存し、来世で甦ることを目的にしたものでしたが、王族に限らず神官もミイラにしたことも今回の展示で分かりました。またミイラ作りのコストや時間の制約、地域ごとの工房の好みや得意技術もあったようです。ミイラは時代が新しいほどシンプルで安上がりになっているにも関わらず、保存する目的としては充分効果的だったことも分かってきました。「大英博物館ミイラ展」は、何と言ってもミイラを身近に感じられたことが、私にとって最大の驚きでした。