2022.02.12 Saturday
三連休の中日です。今日は土曜日なので今週の振り返りをします。今週は毎日工房に通っていました。私自身が望んだように毎朝9時に工房にやってきて、ほぼ夕方まで工房で制作に邁進するのが日課になっています。近隣のスポーツ施設に昼ごろに出かけていき、水泳をやってくることも習慣になりました。毎日同じスケジュールをこなしていますが、創作活動は毎日同じではなく、その日ごとに新鮮な感覚を持って制作に励んでいるのが不思議です。昨年まで勤めていた校長職も日によっては異なる課題に取り組むことがありましたが、創作活動ほど新たな気持ちの芽生えはなかったと思っています。慣れた素材である陶土が毎日違う表情を見せてくれるのです。無から何かを作り出す喜びとは、こんなものなのかもしれないと思っています。今週の月曜日から実家の解体工事が始まりました。それに関しては業者任せですが、実家が足場に覆われているのを毎日通りがかりに見ています。木曜日は珍しく横浜にも雪が降りました。工房の周囲も白い雪で覆われ、ちょっと幻想的な気分になりました。ただし、工房内は寒くて手が凍えそうでした。そんな中でも夕方まで工房にいて作業をやっていました。自分は身体の芯から彫刻制作が大好きなんだなぁと改めて気づきました。かれこれ40年もやっている彫刻制作です。しかも食えないのにどうしてこんなことをしているのか、尋常ではないなぁとさえ思っています。今日は雪がなくなったので、夕方自家用車で家内と買い物に出ました。明日はいつもの高校生がデッサンをやりにやってきます。明日も制作は継続です。
2022.02.11 Friday
昨日は雪が降り、朝になって路面が凍結している心配がありましたが、今日から三連休が始まり、通勤時の事故等はかなり免れたのではないかと察します。教職に就いていた時は、降雪の次の朝の道路状況を気にしていました。現在の私は自由の身になっているので、そうした心配はなくなりましたが、雪が完全に溶けるまでは自家用車を出すことは控えています。近隣のスポーツ施設に行くときも、買い物に出るときも、私は車に頼っている生活をしているので、慎重になってしまうのです。工房には自宅から歩いて数分なので、天候に関係なく通い続けられます。今日も工房に行って陶彫制作に朝から夕方まで励んでいました。アーカイブを見ると、毎年建国記念の日は創作活動に邁進しているようで、教職との二足の草鞋生活を送っていた昨年までは、これは貴重な時間だったはずです。NOTE(ブログ)を読んでいると、休日に制作に打ち込んでいた姿が見えて、少しの時間でも無駄に出来ない焦りも感じていました。同時に毎年のように建国記念の日のことをNOTE(ブログ)にまとめていて、建国というものに私は結構関心があるんだなぁと改めて思います。日本は不思議な国です。他国からの侵略が一度も無かったことで、脈々と続いてきた独自な歴史のせいか、建国の起源が神話から始まっているところが摩訶不思議です。初代天皇とされる神武天皇の即位日を建国記念の日と決めたそうですが、神武天皇は古事記や日本書紀に登場していて、果たして実在の人物かどうか分からないのです。2月11日は明治時代に入ってグレゴリオ暦に照らして決めたそうですが、その後の段取りはともかく、起源に日本神話を用いているところが、実は私が一番気に入っているところで、想像逞しくて素敵な記念日ではないかと私は思っています。そんな記念日だからこそ創作活動に邁進できると考えます。明日も神話という創作の源を心に据えて制作を頑張っていきます。
2022.02.10 Thursday
今年になって2回目の雪が横浜に降りました。前回は1月6日で積雪もありました。雪国にとってはどうと言うこともない雪ですが、雪に慣れていない首都圏では道路状況や交通網を含めて大変な事態になっています。昨日は晴れていて、気温もそんなに低くなかったので、翌日に雪が降るという天気予報は俄かに信じ難いものを感じましたが、今日の午後になって霙から雪に変わり、周囲が白くなりました。雪が降っている中で工房に篭って作業をするのはなかなか大変です。今日はいつも通り朝9時から夕方3時までの6時間を陶彫制作に没頭しました。ただし、あまりに寒いので、少し作業をしたら手をストーブで温め、また作業に戻ることを繰り返していたので、快く制作に集中することは出来ませんでした。毎回NOTE(ブログ)に書いていますが、工房の室内温度はほとんど外と変わらず、厳しいものがありますが、彫刻制作は若い頃より厳しい条件でやってきているので、この環境も含めて全てが彫刻制作なのだと思っています。たとえば石材や木材を扱うときは野外で作業することもあるからです。彫刻家は人一倍体力がないと出来ない職種なのでしょうか。いつまでも80代の師匠が元気なのは、そのせいかも知れず、私もそうありたいと常々願っています。夜になって自宅で風呂に浸かると疲れが出てきて、暫し動けない状態になりますが、食卓ではRECORDのことやこのNOTE(ブログ)のこと、今読んでいる仮面に纏わる書籍のことがあって、創作活動一本になっても一向に暇にならない生活を送っています。外では雪がしんしんと降っているようで、暖かい室内で出来る活動にホッとしているところです。
2022.02.09 Wednesday
「仮面ーそのパワーとメッセージ」(佐原真監修 勝又洋子編 里文出版)の「東洋のマスクロード」をまとめます。日本最古の仮面劇「伎楽」とは何か、導入としてこんなことが述べられていました。「伎楽とは、別名『呉歌舞』とも呼ばれ、六世紀から七世紀にかけて大陸から日本にもたらされた仏教芸能で、我が国最古の仮面劇というのが定説になっている。鎌倉時代に書かれた狛近眞の『教訓抄』によれば、612(推古20)年に百済国の味摩之によって伎楽が伝えられたということになっているが、それ以前の550年代の欽明朝の史料に、伎楽科一式が日本にもたらされたと記されていることからも、伎楽はもっと以前の538(宣化1)年、百済の扶余から仏教が伝来したときには、すでに何らかの形で伝来していたものと私は推測している。」大きく捉えれば伎楽は「はるか新石器時代頃から、ユーラシア大陸に住んでいた我々人類に共通して信じられていた神話や思想、自然との共生といった智恵が起源となっているようである。」ここで伎楽面の種類について書かれていました。まず治道。「鼻高面は、道の先頭を歩き、道を清める役割を担っている。現代的に言えば、治道の長い鼻はファイバースコープのようなもので、目に見えない悪魔を誘き出す役目を持っている。」次に獅子。「獅子は治道と同じように辟邪の役目を担っている。そのため治道が目に見えない悪い悪魔を見つけると、獅子が即座に噛みついて、退治するという意味にあてられていたのだろう。」次に獅子児。「実は子供は澄んだ心を持っているため、悪魔を見つけ出す役目があると考えられていた。それゆえ子供にも辟邪の効果があるとされた。」次に呉公と呉女。「『教訓抄』で、笛を吹くと記されている呉公とは、気高い呉の王様のことであろう。そして呉女は呉公の妻であったと思われる。」次に金剛と力士。「伎楽が仏教芸能として中国で編集された折に、仏を加護する金剛と力士になったのであろう。」次に崑崙。「崑崙の仮面は伎楽面のなかでも一際大きく、牙があり、蛮族をあらわしている。」次に迦楼羅。「迦楼羅は仏教を守護する八部衆のひとりであるが、元はヒンドゥー教の神ヴィシュヌの使い、ガルーダである。」次に婆羅門。「インドのカーストの一番高い地位にある婆羅門は、『教訓抄』では襁褓洗い、オムツを洗っている人と揶揄されている。」次に太狐父・太狐児。「伎楽でも太狐父と太狐児は五体投地をしたといわれている。」最後に酔胡王と酔胡従。「ペルシャの酔っ払った王様とその家来たちが酔胡王と酔胡従。」狂言面のルーツに触れた箇所もありました。「狂言面のルーツは、黒式尉、三番叟と呼ばれる黒い切り顎の仮面である。これは東大寺二月堂のお水取り(修二会)で行われていた六十六番からなる法会のうち、三つの儀式を猿楽が受け持ったことに端を発する。」(引用は全て野村万之丞著)
2022.02.08 Tuesday
「仮面ーそのパワーとメッセージ」(佐原真監修 勝又洋子編 里文出版)の「日本中世の能面について」をまとめます。「現在はまったく芸術性のみで評価されているが、芸術性の高い、そして能楽の芸術性の大きな部分を占める能面には長い仮面史の前史があり、神の依代としてのそれであった。」と冒頭の文章があり、近江と美濃の境の山奥にある甲津原には古い能面が祭られているようです。「甲津原の天満神社には、現在も十面の能面と二つの鼓の胴が残されており、出すと雨が降るという言い伝えがあった。」雨乞いの面は佐渡を初め、各地に残っています。「雨乞いの鬼面で思い合わされるのは、阿波祖谷山の奥の『神代踊り』である。私も十年ほど前に見に行ったが、竹で叩く大太鼓の三つの音を伴奏に、まずは天狗様の先達の男に続き、大わらじを付けた若い男の跳躍乱舞、女や女児の花笠踊り、男の子の筑子踊りと実に多彩であった。この先達の天狗が着けている面が悪尉系のものである。」降り面伝説の話にも興味が湧きました。「近江では敏満寺の座がもっとも古い由緒のある座となっているが、その娘と結婚した伜侍(武士に仕える卑しい従者)であった山科座(山階座)の始祖の伝説である。彼が申楽師になるかどうかを山科の明神(春日神)に祈っていると、烏が社檀の上から翁面を落としたので、これは神慮だと思い、決心をつけて申楽師になり、その子供たち三人が、近江の上三座といわれた山階・下坂・比叡となったというのである。」またこんな記述もありました。「能面にまつわる伝説は、『翁面』にとどまらず、悪尉系の面にもある。演能に用いない鬼神系の面を悪霊退散や雨乞いのために用いたことは既にのべたが、それが能面にも波及したものであろう。」能楽について述べた箇所にも注目しました。「ところで能楽は、もちろん女猿楽もあったが、男が女面をつけることによって、若い女から老女まで演じる事ができるところに独自性を発揮した。能楽の芸術としての真髄は鬘物といわれる女物にあるとまでいわれる。~略~着面ということによって、男が若い女の面を着て、鬘物を演じるように、一人の役者が、老若男女を演じることができた。いわば、身体的限界を乗り越え、面の効力によって越境する事が出来たのである。そればかりではなく、人間界を超越して、霊的な存在に成り代わることができた。否、まずは面を着けることによって超人間的な存在である神や鬼神の示現として、成り代わることができた猿楽師は、次にこの世の現実の人々、そしてその人々の幽霊、さらに動物・植物の霊にまで、そのレパートリーを増やしていったのである。」(引用は全て脇田晴子著)