2021.11.26 Friday
現在読んでいる「白光」(朝井まかて著 文藝春秋)には、ロシアに留学し西洋絵画を学ぼうとする女性画家の姿が描かれています。日本人としては初の女性留学生ですが、やがて聖像画家となる山下りんのことです。彼女は東京の工部美術学校に入学しますが、育った環境や時代背景からして、西洋画を西欧で学ぶことが許されず、東京神田にあったニコライ堂で見た西洋絵画に感銘を受けて、ロシアに聖像画の修業に出かけることになるのです。絵画の修業が契機になってキリスト教の洗礼を受けました。そうした状況でも山下りんは、サンクトペテルブルグ(レニングラード州)の女子修道院に寄宿しながらエルミタージュ美術館に通い、西洋絵画に触れていました。勿論ロシア聖像画の修業もやっていたのですが、本人の求めるものはロシア聖像画の模写だけではなく、あくまでもイタリアのルネサンスあたりの活力に満ち溢れた世界であったようです。決して裕福ではなかった山下りんが辿った行程は、凄まじいものがあり、明治時代の曙期に西洋絵画を極めようとした女性画家の胆の据わり方には驚かされます。「死なば死ね。生きなば、生きよ。」という言葉に見られるように山下りんにとって命懸けの渡航だったようですが、さすがに芯の強い山下りんも、精神的な面もあって体調を崩しがちになり、5年間の留学を2年半にして帰国したのでした。明治時代の海外留学は今の時代とは異なり、文化の違いを強烈に感じられるものではなかったかと想像しています。私も1980年から5年間海外にいましたが、もはや時代が変わり、国際化が進んでいたので、他国に学ぶ留学ではなく、己の存在を外国の風土で確認していく時間の使い方だったように思っています。現在では通信手段が豊富なので、さらに留学に対する意識が違うものになっているのでしょう。「白光」に描かれた山下りんは、異なる文化に身を捧げようとする鬼気迫る情熱に貫かれた一人の人間の姿です。今の私にとってそれが新鮮なのです。人間はどのくらい求めるものに真摯になれるのか、多少の犠牲を払ってもやりたいことを遂げることとは何だろうか、果たしてそこまで打ち込めるものが自分にはあるのだろうか、自分に問いかける重要な主題がそこにあると私は思っています。
2021.11.25 Thursday
「白光」(朝井まかて著 文藝春秋)の「三章 絵筆を持つ尼僧たち」の前半部分をまとめます。いずれ聖像画家になる山下りんはついにロシアに留学することになりました。前半ではペテルブルグに到着するまでの航路や陸路が描かれています。女性であり、最初の留学生でもあったりんの旅路は決して楽なものではなかったことが窺い知れました。「りんが乗るはずの船はメレザレイ号という蒸気船で、途方もなく巨きな黒だ。聳える大煙突も黒く、吐く煙が太い。煙突の左右に並ぶ帆柱からは綱が放射状に伸び、朝空に斜線を刻んでいる。こんな立派な船に乗るのかと思えば胸が躍る。~略~『五年の間、しっかり学んできなされ』日本国とロシア領事館への手続きは教会の事務方が取り計らってくれるらしく、修道院では衣食住の心配も要らないという。」この時、りんはアナトーリイ司祭と、彼の弟で歌の教師であるチハイ師とその妻、子供も一緒の船旅でした。船が出港してりんが気づいたことは、船内にりんが泊まる部屋も食事もなかったことでした。「『お前、金がない。切手、最下等』つくづくと冷淡な目をしてりんを見下ろし、そして(司祭は)立ち去った。金がない。そういうことかと、力が抜けた。部屋も賄いもついていない、つまり船艙での起き臥しだけを許された最下等、それがりんのために用意された切手ということだ。」さらにりんを苦業が襲います。「日本から遠ざかるにつれ、海が荒くなった。横に上下に船は揺れ、胃の腑にはほとんど何もないのに、吐き通しに吐いた。もはやこれまでかと思うほどの苦しさで、立つことも坐ることもできない。」チハイ師から子守も命ぜられます。「『守り、せよ』あの男児を連れており、りんの前に押し出してくる。子供は途端に耳障りな声を立てて泣く。~略~アナトーリイ司祭は今もりんを一顧だにせず、チハイ師夫妻にはイワンの子守りとしか扱われていない。けれど、いかほどの苦渋を嘗めさせられようとも船は進む。行く所まで行き着いてしまえば、あとはどうとでもなるではないか。やっと肚を括っていた。死なば死ね。生きなば、生きよ。~略~明治14年正月30日、とうとうロシアの土を踏んだ。」司祭に洋服を買ってもらい、りんはあちらこちらの家に挨拶に出向きました。ついにペテルブルグに到着しました。「かほどに壮麗な町の景色は、ホンタネジー先生の見せてくれた西洋画にもなかった。胸が高鳴る。~略~『この地で一番、イサーキイ大聖堂。日本のおなごが足を踏み入れる、イリナ(りん)、初めて』~略~堂内は薄暗い。しかしやがて眼が慣れてくれば、壁といい柱といい、優美な金で花や草が象られていることが見てとれた。そして絵だ。どこもかしこも絵画で埋め尽くされている。豪奢な額入りの絵画も壁に掲げられ、献灯されていた。さらに広間に出れば無数の蝋燭の灯が揺れている。階上の壁にも彩色された絵が続き、巻物が繰り広げられているかのようだ。聖人や生神女、聖天使らがさざめき、唱え、歌っている。生神女とは、ハリストスをお生みまいらせたマリヤのことだ。そして遥かかなたに丸い天空があった。輪を描くように並んだ硝子窓から天光が降り注ぎ、大天使らしき姿を象った金の彫刻を柔らかく照らしている。いかにして描いたものやら、やはり大天井にも壁画が描かれていた。」今回はここまでにします。
2021.11.24 Wednesday
「白光」(朝井まかて著 文藝春秋)の「二章 工部美術学校」の後半部分をまとめます。この章では聖像画家山下りんが、西洋画の技法を学び、またキリスト教の洗礼を受けるまでの経緯が描かれていて、後半ではりんが教会で洗礼を受けるところまでが描かれています。工部美術学校の教師ホンタネジーが母国に帰ることになり、また同期生の山室政子との交流が、りんの運命を変えていきます。「ホンタネジー先生の後任は十月に入ってまもなく教場に入ってきて、フィレッチという、やはり伊太利(イタリア)人だ。しかし得意げに披露した自筆の素描や油画を一瞥するや、唖然とした。言いようのない腕前だったのだ。さらに悪いことに人品も劣る。~略~腹に据えかねるのは、ホンタネジー先生が組んだ科目の進行をまったく守らないことだ。石膏素描をやらせるかと思えば人物写生の初歩に戻り、いわば思いつきの授業で、当人は学生の描いたものをろくに見もせず椅子で居眠りだ。講義もさっぱり要領を得ない。」ついに学生が立ち上がり、学校当局に更迭を要求したが、受け入れられなかったのでした。こうした学校事情とは別にりんの交友関係で大きなことがありました。山室政子がキリスト教信者だったのが判明したのでした。「『両親が信徒だったの。つまり、まだ耶蘇が禁じられていた頃ね。大変な苦労があったわ。親戚縁者から縁を切られ、近所から謗られ、忌み嫌われる。だから迂闊に口にできない癖がついていて、美術学校でも打ち明けられなかったのよ。用心するに越したことはない。~略~わたし、駿河台の教会の女学校に寄宿しているのよ。生徒は少ないけれど、神学校には男子学生がたくさん寄宿していてよ。で、わたしの絵の腕を教師様が見込んで美術学校に入れてくださったというわけ』りんと同様、政子にも授業料の面倒をみてくれている筋があろうことは想像に難くなかったが、まさか耶蘇の教会がと、とまどいが深まるばかりだ。」それから政子に導かれ、りんは教会に足を踏み入れたのでした。「正面の左右一杯に、簡素な彫りをほどこした白い壁がある。天井に近い部分は天蓋のように弧を描き、彫りの縁には金の筋が細く巡っている。その壁面には油画だ。西洋の油画が、目前にずらりと居並んでいる。背筋が震えた。『ご本尊様がこんなにも、たくさん』『セイゾウというの』背後で政子の声がした。『聖なる像。聖像を描いた絵は聖像画、ギリシャ語でイコン』」その日からりんは教会に通い始めたのでした。やがて洗礼を受けることになりました。りんは同期の神中糸子にこんなことを言っています。「聖なる歌を自らの声で唄う日が来るなんて、想像もしないことだった。でも一連の機密、正教では神の恵みを受ける儀式を機密と呼ぶのだけれど、機密が終わった時、本当に生まれ変わったような気がしたのよ。髪をほんの少しだけ切られて桶の水の中に入れられるの。それはわたしから主への、最初の献物だそうよ。~略~西洋画の女画工になると決めたの。駿河台に通えば、真の西洋に触れられる。教会は日本の中の西洋なのよ。本物の油画や文物、風儀に触れられる。」その後、りんは美術学校の助手として任命されるが、それを断り、学校を退学することにしたのでした。一方、政子が石版印刷業の男性と駆け落ちするエピソードもありました。教会の主教より呼び出されたりんに、こんな話が持ち上がりました。「『今日は至急の相談があって、お出ってもらった。お前さん、絵の勉強をしに行きなされ』美術学校を辞めたばかりだというのに、奇異なことを申される。『いずこの学校にござりますか』『ロシアの都さ。サンクトペテルブルグに行く、よろしい』」次の章は愈々りんのロシア留学の話題に入っていきます。
2021.11.23 Tuesday
祝日法では「勤労を尊び、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」日と言うのが勤労感謝の日です。昨年度まで私は教職と彫刻家の二足の草鞋生活を送っていたため、休日は創作活動に従事できる貴重な一日となり、文字通り日頃の勤労を感謝しながら溌溂とした一日を過ごしていました。しかしながら思い出すのは教職に就いたばかりの若かった頃のことです。この時期は定期テストの作問や成績処理に追われ、授業がない日だからこそ事務的な仕事が捗ると思っていたのです。この日は朝から夕方まで職員室に篭って仕事をしていました。勤労感謝の日をしっかり休めるようになったのは管理職になってからで、今でも教科指導をやっている教員は、勤労を尊ぶことなく過ごしているのではないかと察しています。退職をした今では毎日が休日なので、多忙だった頃を忘れがちになりますが、こんな日は教職員全員が休める環境を提供してほしいと願うばかりです。さて、今日は高校生が工房にやってきました。先日の日曜日は美術館散策に出かけてしまったので、今日はその代わりに課題制作を工房でやっているのです。今日来た高校生は美大に進学を決めた子で、美大から早速課題が送られてきていて、受験準備の時のように彼女は一所懸命に課題に取り組んでいました。根が真面目なのか、それを見取って大学は合格を出したのか、その双方とも言えますが、大学に入っても課題に追われ、社会に出てもデザイン業界はなかなか大変なので、今は遊んでいてもいいのではないかと私は思っています。私は小品制作をやっていました。私も毎日制作をしているので、遊ぶ暇もなく過ごしています。創作活動を仕事と考えるなら、工房に出勤して余暇を楽しむこともなく、今日も制作に精を出していることになります。それでもそういうことが出来てしまうのは、決して人から強制されるものではなく、自ら生きがいを感じられるものだからと思っています。課題を頑張っている高校生も、類は友を呼ぶと言ったらいいのか、この師匠にしてこの弟子と言ったらいいのか、彼女の気持ちはよく分かりませんが、嬉々として課題に取り組んでいることは確かなようです。
2021.11.22 Monday
昨日、平塚市美術館で開催している「物語る 遠藤彰子展」に行って来ました。画家遠藤彰子氏には500号以上の大作が30点ほどあり、それだけでも破天荒なスケールを持った画家と言うことができます。絵はいずれも具象絵画ですが、決して写実的ではなく、夥しい数の人物や動植物が絡み合い、それらが渦巻きあっている動勢があり、画面全体から受ける吸引力に、鑑賞しているこちら側が吸い込まれてしまいそうな凄みを感じます。私が遠藤ワールドを最初に見たのは「街シリーズ」で、構築された都市空間を湾曲させた画面に魅力を感じていました。私の「発掘シリーズ」と何か通じるものを感じましたが、遠藤ワールドはその後次第に大作になっていき、展覧会の表題の通り「物語る」要素が詰め込まれた中世西洋絵画の雰囲気が現れています。もちろん宗教絵画ではなく幻想世界が広がる現代社会がテーマになっていますが、嘗て「古くささの新しさ」と評された所以はこんなところにあるのでしょう。遠藤ワールドを評するのに美術ジャーナリストの森山明子氏は「一作一冊」という方法を取りました。現在3冊が発刊されており、今回の展示で私も感銘を受けた「鐘」という大作を論じた一冊から文章を引用させていただきます。まずは画家の言葉です。「私の絵は、どちらかというと〈読む絵〉の意味が強いと思います。と同時に、絵というのは具象を描きながらも、いかに抽象性を感じさせるかということが重要です。~略~画面の動きの気配をたえず発生させていること。大きく単純化した構成が望ましい。描かれた物事の律動感の必要性。変容が画面の主要素。特定の描かれた人や物が見る者の眼を連続的に円状に誘導する。」次に著書を出した森山明子氏の論考です。「遠藤は現代具象画の旗手ですが、超絶技巧による写実を誇ることはなく、抽象の大切さを強調してきました。その抽象はいわゆる『アブストラクト・アート』に限定されません。一例を挙げるなら、岸田劉生の有名な『二人麗子図』(1922)について、『古典絵画を手がかりに、写実を超え、現実を超えた空間を生み出した、この一作に羨望を覚える』と言うのです。~略~根源的な生命感、精神に宿る怪物、強靭な理性ー抽象性、つまりは具象を超えた普遍性を獲得するための驚くべき要素です。それらは、朝になると近所の養鶏場に通って何百羽もの鶏が餌をついばむ様子を観察した若き日の遠藤の実体験あってのことでしょう。抽象と生の実感とは遠藤の絵においては対立しないのです。」