2022.02.27 Sunday
週末にはいつも制作のことに触れたNOTE(ブログ)を書いていますが、今日の話題は新聞記事より選びました。昨日の朝日新聞夕刊に掲載されていた詩人谷川俊太郎氏のインタビュー記事に目が留まってしまい、自らの考えを巡らす結果になりました。90歳を迎えた詩人谷川俊太郎氏を私は常々羨ましく感じていました。記事にもあった通り「教職など副業を持たずにきた谷川さんにとって詩作は生業。」とあって創作活動一本で生きてきた詩人は、日本では稀な人だろうと思います。おまけに90歳、これも長寿を詩作のみで生きてきた幸運もあって、私は羨望の眼差しで見ているのです。谷川ワールドに触れた最初は、高校の現代文の教科書に載っていた詩で、ひらがなだけで訥々と書かれていた単純そうなものでした。しかしながら読み込んでいくうちに心が深遠に投げ込まれていく感覚を持ち、さらりと書かれた言葉に心が震える体験をいたしました。言葉の力は凄いものだと実感した私は、美術専門の道に行く前にひたすら詩らしきものを作っていましたが、自分の納得は得られず、言葉の向こう側にある彫刻の世界に身を捧げることになりました。新聞記事より抜粋いたします。「谷川さんはなぜ詩作で自分自身を素材にしてきたのか。そう問うと、心理学者ユングの用語で、民族や人類が持つ無意識である『集合的無意識』という言葉を使ってこう説明した。『自分の中の無意識を掘り下げていくことで、集合的無意識へと達する。《私》が希薄化し、最後は消えていく』~略~地球環境の異変から国際社会での軍事的緊張関係、新型コロナウイルスによる感染拡大まで世界の動向を気にかけてきた。一方、年齢を重ねることで、死はより身近になった。同世代の友人の多くは鬼籍に入った。~略~『死は生の延長で、生と死の間には境目がない。死は人間の中に内蔵されている』この感覚こそ集合的無意識の一つなのだろう。」インタビューは現在の谷川俊太郎氏の立ち位置の在り処を示していましたが、私自身の死生観を考える上で、参考になることが多いと感じました。死を受け入れるとはどういうことか、現在の私にはまだ素直になれない我執があるのも事実です。
2022.02.26 Saturday
週末になりました。今日は今週を振り返って新作の制作状況を書いていきます。今週は今夏、東京銀座のギャラリーせいほうで発表する新作の土台作りを継続していました。新作は床に置かれる厚板材を加工して、大地から陶彫による集合体が顔を出しているような風景を作ります。これは今回発表する作品の中では大規模作品になり、土台はかなり大きなものになる予定です。まず陶彫部品が収まる4つの直方体を今週は作っていました。4つの直方体はどれも離れて置いて、その隙間をすべて厚板材で埋めていくのです。一層目は床置きになるのでかなり大きく面積を取っても問題はありません。二層目と三層目は厚板材を宙に浮かせるので重量を計算しながら作らねばならず、直方体の内側と外側に重量を分けてバランスを取るつもりです。まずは簡単な一層目から始めていきます。今週は厚板の切断やら接合をやっていて、工房内が木屑や埃に覆われて大変でしたが、これはどこかの場面でやらなければならず、今週は思い切って作業を決行しました。工房へは相変わらず毎日通っていて、それこそ身体に鞭を打って頑張っていた感じがしています。制作以外では私の税金確定申告があり、両親の頃からお世話になっている税理士が自宅に見えて、申告の依頼をしました。母から引き継いだ不動産があり、私だけでは処理が出来ないのです。家内が役所等から送られてきた資料を整理してくれていたおかげで、スムーズに話が運びました。現在実家を解体しているところに建てる集合住宅の融資も始まり、その書類を作りに銀行に足を運びました。3回目のワクチン接種券が届いたので、家内とネットで予約をしました。来週、東京の大手町にある自衛隊大規模接種会場に家内と行ってきます。ニュースではウクライナにロシアがやってきて戦争になっている報道を知り、21世紀の現代にあってもこんな信じ難いことが起こるのかと啞然としています。現代は決して平和な時代ではないと改めて感じているこの頃です。
2022.02.25 Friday
「仮面ーそのパワーとメッセージ」(佐原真監修 勝又洋子編 里文出版)を読み終えました。仮面は私が昔から収集しているものですが、自分で被ることはなく、壁にはりつけてその造形を楽しんでいます。原初的なパワーが漲った朴訥な仮面を見ていると、私は創作意欲が漲ってきます。とくにアフリカやアジア各地の仮面が大好きで、アジアの仮面は現地調達で、アフリカの仮面は日本の雑貨店に行って購入しています。最近は新型コロナの影響で、旅行も散策もしなくなり、現地や雑貨店にも行けず寂しい限りですが、どうして自分が仮面に惹かれてきたのか、本書から解明できることがありました。「仮面は幾分とも身体と精神の乖離すなわち神と人との乖離が意識されるようになった頃に、その乖離を補正するために生まれたものである。顔が、その表情が身体の様々な有り様ー原初の素顔ーを自然に表現できなくなったとき、仮面は原初の素顔を象って登場してきた。」(石塚正英著)と文中にあるように仮面の源泉は身体と精神の乖離であり、「演技=芸術=非日常」という図式が示されている通り、私が仮面によって創作意欲を湧き出しているのは、こんな理由によるものではないかと考えられます。シュルレアリスムの芸術家たちも特にアフリカ系の仮面を愛していました。ピカソやモディリアーニはこの原始的なパワーを自作に取り込み、革新的な造形表現をモノにしました。あとがきにあった文章を引用いたします。「遥か古代から現代にいたるまで、形を変え、姿を変えて生き続けてきた仮面には、私たちの祖先の思いが込められている。その想いはさらなる時間と空間を超えた記憶の連鎖となって未来へと伝わってゆく。現在では、仮面の活躍は祭の場からテレビやアニメーションのキャラクターなど多様となり、スクリーンの向こう側というヴァーチャルな世界へと広がった。その様々なメッセージを読み解くために、本書では考古学的・民族学的・歴史的・演劇的な観点からのアプローチを試みた。扱った地域と分野は一部にとどまったが、日本の仮面をアジア・ヨーロッパとの位置付けで見ると、不思議な共通点が見いだされる。」(勝又洋子著)機会があれば、私はさらに多くの仮面を見てみたいし、収集したいと思っています。
2022.02.24 Thursday
「仮面ーそのパワーとメッセージ」(佐原真監修 勝又洋子編 里文出版)の「ヴェネツィアー華麗なる仮面の祝祭」をまとめます。本書はこの章が最後になります。「ヴェネツィアのカーニヴァルはローマ時代のバッコスの祭に遡るといわれる。記録に拠ると12世紀にはすでに男たちは動物の毛皮を被って変装し、髪に小枝を挿して、弦楽器を弾きながら町を行進した。それに合わせて女たちは歌を歌いながら後に従って歩いた。~略~十日間に渡って開催されるヴェネツィアのカーニヴァルは『聖灰水曜日』の前週の日曜日に始まり、『懺悔の火曜日』に花火の爆音とともに終了する。去年の罪を象徴する巨大な藁人形パグリカッチョが燃やされ、祝祭の終わりを告げる鐘楼の鐘の音が、真夜中の町に鳴り響く。」祝祭の起源に関してこんな記述がありました。「古代アテネにおいて豊饒の神ディオニュソスを称えるための祝祭は、紀元前六世紀の半ばから演劇の上演と結びつき、何日間も続いた。祝祭の場はアクロポリスの丘の南側斜面で、そこには今日もなお紀元前四世紀に完成されたディオニュソス劇場が広がっている。」仮面の意味は何でしょうか。「『マスク』ー仮面という概念は、『嘲り笑い』とか道化師を意味するアラビア語の『マスハラ』におそらく由来すると考えられている。~略~仮面は古代の宗教儀式で多く用いられた。今日でもなおこの風習は例えば南太平洋諸島の部族、チベットやインドなどの祭礼に見られるように、現代では何よりもヨーロッパ以外の諸民族のもとで、大きな役割を果たしている。仮面は宗教的および魔術的な意味を持っている。」ここで私の興味を引くイタリア喜劇が登場します。「古代ローマ喜劇の仮面を16世紀ヴェネツィアに成立した即興喜劇コンメディア・デラルテが継承したと考えられている。コンメディア・デラルテは古くから伝わる黒い皮の仮面を着けて演じるのがその特徴となっている。~略~コンメディア・デラルテの仮面はヴェネツィアのカーニヴァルにしばしば登場する。~略~なかでももっとも人気の高い人物はぺちゃんこの鼻と多彩な彩りの継ぎはぎの衣装のアルレッキーノである。 ~略~不器用なアルレッキーノはいつも殴られているが、生来の機知とユーモアで窮地を乗り切り、主人を煙に巻いてしまう。『笑い』という武器で世間を生き抜く彼のしたたかさが、庶民の抑圧された心を解きほぐしてきた。」ヴェネツィアで有名な仮面と言えば「ペストの医者の仮面」です。仮面の口の部分に薬を詰めて、ペストに罹った患者のもとに通った医者の黒い仮面がありました。「ヴェネツィアで仮面が、カーニヴァルの期間だけでなく普段の暮らしのなかで一つの『顔』となった理由は、閉塞的な都市の構造と祝祭性にあったように思う。二百年の眠りを解かれて現代に甦ったヴェネツィアの仮面カーニヴァル。仮面は私たちを濃密な祝祭の時のなかへと連れ去って行く。その一瞬に現れた空間と時間のなかで、人は遥か古代から現代へ、そして未来へと繋がる『時』の記憶を紡ぐ。」(引用は全て勝又洋子著)
2022.02.23 Wednesday
今日は第126代天皇徳仁の誕生日です。現在即位されている天皇は62歳になります。最近は皇室を巡るさまざまな情報があって、天皇陛下と言えどもお悩みが多かったのではないかと察します。現代が情報化社会になっている昨今、私たちに知らされる情報は正確であり、適正であって欲しいと願うばかりです。さて、今日は休日ですが、公務員を退職した私にとっては平日も休日も変わらない日常が待っています。今日は相変わらず工房に行って、制作三昧の生活を送っていました。幸いなことに美大受験生がやってこなかったことで、今日は新作の土台になる厚板の切断ができたことでした。大規模作品は今夏、東京銀座のギャラリーせいほうの個展で発表を予定していて、制作はまさに佳境を迎えているのです。厚板材を電動ノコギリで切断する作業は、騒音が伴い、工房内は木屑と埃で煙ってしまいます。休日は美大受験生がやってくる日が多く、彼女たちにとって私の作業は相当な迷惑になるだろうと思っていました。今日は私一人であったので、思う存分、電動ノコギリを使用することができました。切断回数は32回になり、ほとんど一日中電動ノコギリを使っていました。窓を全開にしていても埃が舞って、私自身も鼻や喉がムズムズしていました。今日のところは我慢しようと決め込んで作業に没頭しました。明日からは調整のための切断なので、今日ほど騒音と埃は出ません。むしろ全体のデザインを決めながら作業をするので楽しくなってくるのです。退屈で辛いのは今日だけと思って頑張りました。今日は多少気温が上がったので、窓を開けられてラッキーでした。