2022.03.19 Saturday
今日から三連休になります。私は朝から工房に篭って、新作の厚板刳り貫き作業をやっていました。厚板に三角形文様を刳り貫いていくのですが、作業自体は淡々としています。文様の下書きを描くときは創作行為もあるのですが、それを実践するときは職人仕事になり、切断する刃先を見つめ続ける近視眼的な作業になります。彫刻にはこうした工程があり、実材との対話が生まれるのも彫刻の特徴とも言えます。厚板刳り貫き作業は明日も明後日も続くので、三連休は彫刻家というより木工職人のような按配です。さて、今日はいつも来ている高校生2人が工房にやって来ていて、それぞれの課題をやっていました。午後は後輩の彫刻家の木彫作品をロフトに上げる作業を予定していたので、朝から高校生2人を呼んでいたのでした。後輩の彫刻家というのは二科展に所属する私の教え子で、このところエネルギッシュな木彫作品を発表している新進気鋭の作家です。来月から彼の作業場がなくなるので、私の工房を使うことになり、彼の作業場に置いていた旧作を先日運び込んできたのでした。工房には作品を保管するロフトがあり、そこに荷を持ち上げるためのリフトを設置しています。彼の大きな作品はリフトを使ってロフトに運び入れました。ロフトには高校生2人がいて、階下で操縦するリフトに指示を出してくれました。箱詰めした私の作品と分解が不可能な彼の作品が混在し、ロフトにどうコンパクトに収めるかが今後の課題になりそうです。とにかく彫刻家には旧作を保管する場所が必要で、このロフトもそのうち狭くなるのかなぁと先行きのことが心配になりました。明日は一日中木工作業になります。明日も頑張ります。
2022.03.18 Friday
私の生まれ育った実家は、相原の分家であるにも関わらず、先代たちの努力で広い土地を有する旧家として存在していました。裏山には先祖が据えた稲荷の祠があり、実家は昭和の頃まで「池の谷戸」と呼ばれていたのでした。私が生まれた頃は、祖父母や両親、叔母たちがいて昔ながらの大家族でしたが、叔母2人が嫁ぎ、祖父母や両親が他界した今は、誰も住んでいない家となり、その持続費用も大変になったために、実家を解体することにしました。そこに賃貸による集合住宅を建てることで、私たちの生活費を捻出する予定ですが、融資をしてもらうため、現役で働いていた頃の給与ほどには収入はありません。それでも売れない彫刻家には有難い不動産による所得です。今日はさら地になった土地に愈々建築を始めるので、簡単な地鎮祭を行いました。これはセルフ地鎮祭を呼んだらいいのか、神主も呼ばず、こちらで用意した洗米、粗塩、日本酒を、建設予定地の四方と井戸を埋めたてた箇所に撒きました。同席したのは建築業者くらいで、実に質素なものでしたが、旧家が建っていた来歴のある土地のため、カタチはどうであれ「まつりごと」はやろうと決めていました。その後、相原の先祖の眠る菩提寺に墓参りに行きました。これは今日から彼岸になるので、先祖への報告を兼ねて供養をしてきたのでした。家内の実家の墓参りにも行ってきました。家内の両親は横浜の中心にある久保山墓地に眠っています。私は久しぶりに歴史のある久保山墓地を訪れました。古い墓石を新しくしている墓地もあり、少し見ないうちに様変わりしたところもありました。因みに彼岸とは何でしょうか。彼岸は苦しみから解放された世界や、煩悩からの解脱を目的とした仏教用語だったようですが、今日では先祖の墓参りをする期間として多くの人に認知されています。「春分の日」を中日として前後3日間が彼岸になっていますが、私はだからと言って信心深いわけではなく、ただ先祖を敬っているに過ぎません。明日から三連休です。工房で制作する日々が待っています。
2022.03.17 Thursday
「九州の民俗仮面」(高見剛 写真・高見乾司 文 鉱脈社)の「猿田彦と鼻高面の系譜」をまとめます。日本の民俗仮面の中で鼻高を強調した猿田彦の仮面は有名で、この猿田彦について私は予てから関心がありました。猿田彦とは何者か、分かり易く説いた箇所を引用いたします。「猿田彦は親しみ深いけれども謎も多く、怖そうだけれども異性の魅力には弱く、争いを好まず、天と地あるいは国と国との境界を守りながらも新しい文化・人脈を自身の勢力圏内へと案内し、土着の信仰と渡来の文化を混交させ、日本列島の文化の古層を残しながら現代に至るまでさまざまに変容を繰り返しながら分布する愛すべき神様ーすなわち『国つ神=先住民族の代表』であるということがわかった。」猿田彦は全国に分布しているようで、日本の仮面の中では一番存在感があると言えそうです。私も祭りを先導する猿田彦を見たことがあり、また棒に括り付けられた猿田彦の仮面も見ました。猿田彦の仮面が登場する時代のことが書かれている箇所を見つけたので引用いたします。「室町時代になると猿田彦の仮面が数多く登場するようになる。中世の修験者や芸能集団などが普及したと考えられる。このころ、赤い顔、高い鼻、という猿田彦面の特徴が確定する。」こうした仮面はやはり九州に多く分布していて、南九州にある伝承から一部紹介いたします。「南九州の祭りを先導する猿田彦には『弥五郎どん』及び『デオードン(大王殿)』と呼ばれる大人形がある。これは古代隼人文化圏に分布し、制圧された隼人の霊を鎮める祭りである。弥五郎どんそのものが祭りを先導する例、弥五郎どんの行列の前を猿田彦または赤・青一対の鼻高面が先導するという例もある。弥五郎どんは隼人の首長とも言われる。弥五郎どんが猿田彦であるとする説もある。」今回はここまでにします。
2022.03.16 Wednesday
今日は工房での作業を休んで、横浜市金沢区にある神奈川県立金沢文庫で開催している「春日神霊の旅」展に家内と行ってきました。副題に「杉本博司 常陸から大和へ」とあって現代美術家の杉本博司氏が企画した展覧会であることが分かっていました。以前、杉本氏が東京都写真美術館で大掛かりな個展をやっていて、それを見た私は大変な感銘を受けました。それ以来、杉本氏の現代美術の考え方に注目してきました。今回の企画は神護景雲二年(768)に造営された春日大社の遺物に現代的な補作を加えた作品が展示されていて、その解釈に目を見張りました。面白かったのは「油注(春日型)」と「春日神鹿像」2点、いずれも木彫家須田悦弘氏による精密な木彫植物が加えられていて、そのコラボレーションに杉本氏のセンスが光っていました。同展の主旨は、平城宮鎮護の守護神ながら、春日大社は東国とも深い所縁があり、そうした春日信仰を紹介するものです。その中に杉本氏のコレクションもあり、彼自身の言葉で春日神霊の旅を語っているものがありました。「私は古美術収集の過程で、30代に春日鹿曼荼羅を入手し得たことによって、そしてその畫を毎日見続けることによって、その畫の精髄を我が身に浸透させることができたような気がした。~略~今私は、私の遺作と位置付ける『小田原文化財団江之浦測候所』に春日社を招魂するにあたり、神護景雲二年、常陸から大和への旅の途次、神霊がこの地をお通りになった故事に思いを馳せ、この展覧会を企画することで、私の心の旅路をも辿れるのではないかと思う。」同展の詳しい図録は予約販売になっていて、それぞれの展示作品に対する考察は図録到着時に改めますが、私が校長職にあった頃に、修学旅行で毎年のように訪れた奈良公園にあった春日大社を懐かしく感じています。春日大社に伝わる遺産がこのようなカタチで、自分の目に入ってくるとはちょっと驚きました。私は森の中から赤い柱が見えてくると、俄かに興奮するほど春日大社が好きでした。図録を楽しみに待ちたいと思います。
2022.03.15 Tuesday
「九州の民俗仮面」(高見剛 写真・高見乾司 文 鉱脈社)の「女面」をまとめます。「『変身』とは一体、何だろう。『仮面』が、人間が神に変身する重要な装置であることはあきらかであるが、『ウズメ』に象徴される古代の女性シャーマンは、どうやら仮面をつけていなかったようだ。ところが、ある時代(祭祀を男性シャーマンが司るようになった時代)を境に、女性の役を男性が仮面をつけて演じるようになる。これはアジアの仮面祭祀に共通するという。王や女性シャーマンが祭祀を行った時代は、祭祀そのものが『まつりごと』であった。それは、天候を占い、農事を占い、さらに軍事を占う、厳格な神事であった。その際、女性シャーマンははげしく神懸かりし、天の声=神の声を伝えた。『王』もまた天の声を聞き、決断を下す男性シャーマンであった。」男性が女面をつけて祭祀を行うという歴史観は、日本の古代史を紐解けば私にも納得がいきます。そもそも神楽とは何か、それをまとめた文章がありました。「神楽は、神社本殿での神事から始まる。猿田彦が行列を先導し、山門脇にある小さな猿田彦神社の境内に設けられた神屋に到着、そこで終夜舞い継がれるのである。まず、『一番舞』という少年二人による舞に始まり、『神帥』という四人舞の剣舞に続いて、『飛出』という剽軽な舞、赤い紐を使った二人舞『地割』、さらに『弓の舞』、『金山』と続いて、『志目』という女面が登場するのである。志目は、白い能面型の女面で巫女舞と思われる舞を舞う。」こんな流れが神楽にはありますが、私が九州で見た神楽はその一部でした。「考えてみれば、女性シャーマンとは、アマテラスやウズメに代表される渡来系のシャーマンばかりではなく、その土地の先住民を代表する女巫がいたことのほうが自然である。日本列島の縄文時代は、女性シャーマンを中心とした母系社会であったと考えられているし、東北のイタコや沖縄のノロ・ツカサなど、現代に至るまでその系譜は引き継がれているとみていい。」今回はここまでにします。