2022.03.29 Tuesday
「ウィーン工房」(角田朋子著 彩流社)を今日から読み始めます。本書はオーストリアで出版されたウィーン工房に関する書籍の翻訳ではなく、著者が博士論文としてまとめあげたもので、綿密に計算された骨子(章)によって展開される重厚な論文になっています。私は1980年から5年間、ウィーン国立美術アカデミーに籍を置いていたので、ウィーン工房のデザインを実際に目にしていました。美術館にはG・クリムトやE・シーレの作品があり、また街中には建築家O・ワーグナーの建造物があって、ウィーン工房を取り巻く刺激的な時代を感じることができました。それはドイツのバウハウスともロシアの構成主義とも異なるウィーン独特の感性に支えられたデザインでした。ウィーン工房に興味を持った私は、当時の生活費を工面して、私にとっては大変高価なウィーン工房に関する書籍を何冊か買い求め、拙いドイツ語でとつおいつ読んでいましたが、日本に持ち帰ってきた今となっては外国語の書籍など読む意欲はとっくに喪失し、書棚の飾り物になっています。そこにこの本書「ウィーン工房」が登場してきたので、早速読むことにしました。冒頭に「本書は、1890年代から1930年代までのオーストリア近代デザイン史研究であり、1903年にウィーンに設立された『ウィーン工房』(1903-32)の近代デザイン史上の意義を解き明かすことを目的とする。」とありました。また「近代的なデザイン概念が成立する19世紀後半から20世紀初頭を歴史的考察対象とするデザイン史研究は、従来、日常の生活世界との結びつきの中で構想され生み出された制作品を考察の中心に据えてきた。」とあり、デザイン全般史に関する考察を述べています。そこに現代では新たな視点が加わっているようです。「新たな研究動向として、近代デザイン問題を制作品の様式や機能の水準においてではなく、いわばソーシャル・デザインと呼べる水準において解明する視点が明確にされた。これは、デザインするという行為、ならびにデザインされたモノが人々に及ぼす作用に着目し、デザインを社会、共同体、文化構造そのものの変革の試みと捉えて研究する立場である。」本書を楽しみながら読んでいきたいと思います。
2022.03.28 Monday
RECORDは一日1点ずつポストカード大の平面作品を作る総称で、まさに日々のRECORD(記録)です。2007年から始めているので、もうかれこれ15年が経とうとしています。ポストカード大の小さな平面作品ですが、毎日休むことなく15年間続けてきました。昨年3月まで私は横浜市の公務員をやっていて、しかも週末には陶彫制作もあって、その中でRECORDをどう日々の生活に組み込んでいくのかを苦慮してきました。正直言えば多忙過ぎて、精神的にも辛くなったこともありましたが、工夫を凝らしつつ継続することに強い意思をもってやっていました。工夫の一つは5日間で展開するデザインです。もう一つは年毎や月毎にテーマを設けることでした。2020年は月毎に色彩を一つ取り上げていました。今回ホームページにアップしたのは10月「茶」、11月「黄」、12月「錆」で、それぞれにコトバを添えています。コトバは造形とは無関係で、作品の解説ではありません。その色彩からイメージされる情景をコトバとして具現化していくのですが、私にとって難しい表現方法で、単に憧れだけで創作するのは至難の技と言わざるを得ません。15年も続けているRECORDさえ、簡単に出来るものではなく、カタチや色彩でも苦心した記憶が甦ります。何はともあれ、2020年のRECORD10月分から12月分までをホームページにアップしました。今回アップしたRECORDをご覧になっていただけるなら、ホームページの扉からRECORDの頁に入れるようにしてあります。ご高覧いただければ幸いです。
2022.03.27 Sunday
母が亡くなって2年経ち、父が亡くなって16年が経ちました。今日は菩提寺である浄性院で母の三回忌・父の十七回忌法要を行いました。妹夫妻や甥や姪が家族を連れて集まりましたが、昨晩雨を降らせていた天気が朝には曇り空に変わり、法要には相応しい日和になりました。私は若い頃ならこうした法事が大嫌いで、参加にも腰が引けていましたが、年齢なのか、それとも両親が亡くなったためなのか、供養に正面から向き合い、念仏や法話にも不思議なくらい素直な気持ちを持って参加することが出来ています。家内は昔からこうしたイベントが好きで、事前準備もしっかり行っていました。私は家内に背中を押されていると言った方がいいかもしれませんが、それだからと言って、私はとりわけ信心深くなったわけではありません。私には釈迦の教えも分からず、先祖代々浄土宗を拝んでいるので、私もそれに従っているに過ぎません。仏像は一連の法要とは別の視点で私が個人的に研究を始めていて、それは彫刻的な知識と並行して勉強しているのです。名のある寺院が所蔵する仏像や障壁画は、歳を重ねるごとに私は好きになっていて、美術的興味が尽きることがありません。20代の頃に私はヨーロッパに5年間住んでいて、多くの教会を訪ねましたが、そこで見たキリストの磔刑像やフレスコ画、またステンドグラスの素晴らしさに目を見張っていました。それでも宗教美術と宗教の教えとは別物と私は考えていて、キリスト教に入信しようと思ったことはありませんでした。日本の寺院は先祖代々の古臭い匂いがするものの、私にとっては安らぐ場所なのかもしれず、そうしたことで仏教美術にも関心が向いているのだろうと思います。母の三回忌・父の十七回忌法要で、私は自らの最終の居場所を考えていました。仏教に疎い自分にすれば、もう少し仏教的な死生観を培う必要もあるのかなぁと思っているところです。
2022.03.26 Saturday
3月最後の週末を迎えました。昨年は公務員退職前だったので二足の草鞋生活最後の週末と謳っていましたが、今となってはウィークディも週末も変わらない日々になっています。それでも従来の習慣をすぐに変えられるものではなく、週末には特別な感じがあります。このところ週末のNOTE(ブログ)には1週間分の制作状況を書いています。今週も毎日工房に通い、相変わらず制作三昧でしたが、月曜日には後輩の彫刻家の写真撮影を工房で行いました。その日も工房で制作をしていましたが、撮影のことが気になって作業は捗りませんでした。それでも新作の大規模作品の土台加工を先に進めていました。土台は厚板を並べ、そこに三角形の文様を刳り貫いています。厚板は三層になる計画で、今週は二層目の厚板に下書きを施しました。三層とも周囲が崩れかけた状態を作っていて、昨年のような円形に並べることはしません。土台の上に置く陶彫部品も有機的な形態で崩壊した部分を作っています。欠損した部分があった方が空間を広く見せられるように感じているので、新作は大規模作品も中規模作品も、さらに小品でさえ敢えて欠損部分を作っているのです。この欠損部分をどう作るのか、どこまで崩したら形態が保てるのか、これはかなり面白い創作行為ではないかと考えるようになりました。美術館や博物館にある古代の遺物は、偶然欠損した部分があり、そこに美的価値を見出して私たちは鑑賞しているわけですが、欠損部分に広大な空間を感じ取り、完結しない美しさを味わっているのです。シンメトリックな造形に飽きてしまうと、バランスを欠いた造形に活路を見出すのが、従来の美術史であろうと私は思っていて、個人ではピカソが顕著に破壊と創造を繰り返していました。明日は法事があって、ひとまず制作は出来ませんが、来週も頑張って創作活動をやっていくつもりです。
2022.03.25 Friday
「九州の民俗仮面」(高見剛 写真・高見乾司 文 鉱脈社)の「漂泊する仮面」をまとめます。この章が本書最終章になります。「流出した仮面の里帰りに関わった事例は数例ある。その方法は、寄託、奉納、相応の金額による売却など、種々の方法によったが、それはそれでよいと思っている。さまざまな事情によって流出し、漂泊を続けていた仮面が、ひとたびは空想の森美術館の所蔵になったが、またなんらかの方法によってもとの場所へと収まるのであれば、それは仮面たちにとってもっとも安らかな帰着の仕方であろうと私は考えているのだ。」仮面のもつ伝承や背景を考えれば、収まるところに収まるのが最善の方法だと私も考えます。ただし、地方の寺社や村の自治会館に比べ、美術館では室温等が完璧に管理されていて、古いものを保存するなら美術館も有りではないかと私は思うのです。若い頃、私は九州を車で巡った経験があり、その時に立ち寄った由布院空想の森美術館の白い壁に展示されていた民俗仮面に衝撃を受けたことを思い出します。仮面は祭礼に使うものと思っていた私は、まさにアートとしての仮面の造形に原初的なパワーを感じ、ヨーロッパでシュルレアリストたちが収集していた仮面の意味を知ったのでした。私も自らの造形力を高める原初的な仮面の収集を始めていましたが、そこに拍車がかかりました。私に民俗的な思考を与えてくれたのは、仮面に関する研究書で、その後アジア各地を旅行した時も、そんな仮面の背景を考えるようになりました。本書もそれに類する書籍だと考えます。最後にアジア全体を俯瞰する文章がありましたので、引用いたします。「アジアには、インドからミャンマー、タイ、ラオス、インドネシアの一部にまたがるヒンドゥー神話系の仮面文化、ネパール、ブータンから中国西南部のチベット自治区を中心とする地域に分布するチベット密教系の仮面文化、そして中国大陸を中心とした地域の『儺戯』と『獅子』の文化、さらにバリ島などインドネシア諸島の土俗性のつよい仮面文化、そして日本の『神楽』『能・狂言』の仮面文化などが分布する。目を転じれば、はるか西域の仮面文化ともシルクロードを通じた交流がある。アジアの仮面文化は、地域・時空を越えた壮大な連環をみせるのである。~略~アジアの仮面文化の根底をなす思想は、天と地、死と再生、聖と魔などが円環し、輪廻する宇宙観である。天地創造神話、宗教説話、民族の起源伝承などが、宇宙的規模で語られ、アジア全域に通底する膨大深遠な底流となって、神事や神話的演劇・芸能となって伝承されてきたのである。」