2022.01.15 Saturday
週末になりました。今週も新作の陶彫制作に明け暮れていましたが、昨日は久しぶりに美術館へも足を運びました。新型コロナウイルス感染症のオミクロン株が爆発的な感染力を見せている中、昨日は意を決して東京に出かけていきましたが、今日は横須賀に行きました。陶彫制作は昨日、今日、明日と休む予定でいます。陶彫部品は不足分の4点が全て成形、彫り込み加飾が終わっていて、乾燥棚に置いてあります。乾燥が進み次第、仕上げと化粧掛けを施し、窯入れをしていきます。窯は後3回は焚かなければならず、勿論予断を許さない状況ですが、私はやるべきことは全てやったつもりになっていて、天命を待つ状態です。陶にはありがちな他力本願です。さて、今日は家内の従兄弟にあたる人が昔から弾き語りをやっていて、いろいろなライヴハウスに出演しています。横須賀中央駅は久しぶりにやって来ました。駅近くにある古民家で彼がライヴをやるというので、楽しみにしていました。古民家に入るとその2階の畳の部屋がライヴ会場になっていました。雑多に置かれた日用品、コントラバス、ギター、アフリカの民族楽器などがあり、その混沌とした中で演奏が始まりました。彼の他に2名の男性アーティスト。日用品を叩く音、そのうちそれがテンポになって音楽が生まれ、さまざまな楽器が登場し、時に旋律らしいものが出てきたり、またパーカッションだけに戻ったりする演奏が続きました。彼はギターと英語によって心地よい背景を醸し出す音楽を作り出し、他の2人のテンポに上手く合わせていました。私は音が音楽に変わる瞬間を感じ取り、その曖昧な世界に興味が湧きました。途中で窓を開けると町の騒音も入ってきました。サイレンも聞こえました。騒音または雑音は耳障りであるはずが、何かの拍子に音楽になる時があり、その錯覚が、感じ方を変えれば実は楽しいのではないかと思うこともありました。今日は3回の演奏があるようですが、3回とも即興で何一つ同じ演奏がないとも彼らは言っていました。まさに現代アートのようで、偶然に立ち上がり、即座に消えていく世界が、説明の出来ない静かな感動を齎せてくれました。
2022.01.14 Friday
正月早々に行っていた初詣を今日になって行くことにしました。これは新型コロナウイルス感染症の影響ですが、昨年は母が他界して喪中だったこともあって初詣には行っていません。自宅と母の実家の途中に小さな稲荷の祠があり、元旦には小さく刻んだ餅と油揚げを私は毎年捧げています。ここに奉納しているお札を2年間変えていないことがあり、また返納するお札も結構あって、今日は例年参拝している東京赤坂の豊川稲荷に出かけました。何故、豊川稲荷なのか、実は私にもよく分かりませんが、祖父母、両親の代からそこに行っていて、父が元気な時は自家用車で愛知県まで遠出をして参拝をしてきた記憶があります。祖父や父が半農半商だったために稲荷に商売繁盛を願ったのかもしれません。豊川稲荷が東京にも別院を構えていることを知り、私の代になって家内と赤坂に行くことにしたのでした。例年なら本殿で護摩を焚いてもらうのですが、今年はお札の申し込みをして郵送してもらうことにしました。参拝を済ませてから、私たちは赤坂見附駅から地下鉄で竹橋駅にやってきました。ちょうど昼食時間だったので、毎日新聞社の地下街に立ち寄りましたが、どこのレストランも会社員で溢れていました。コロナのオミクロン株が猛威を揮っている昨今ですが、テレワークが出来ない職場があるのも事実です。私が昨年3月まで働いていたところもテレワークが難しい職種でした。竹橋は東京国立近代美術館があり、そこで開催されている「民藝の100年」展に行ってみたいと常々思っていたのでした。ここはネット予約なしで入れる展覧会でした。とは言うものの鑑賞者は結構来ていて、民藝に対する関心が増えつつあることを実感しました。日本各地に残る民芸品に美を見出した柳宗悦。日常私たちが何気なく使っている器や着物に、視点を変えると素朴で斬新な美が存在し、それを再発見し評価する試みは大変素晴らしいと私は思っています。「民藝の100年」展については後日改めて詳しい感想を述べさせていただきます。
2022.01.13 Thursday
2022年になってRECORDのために新しい印を作ることになりました。印は印用に加工された石材に氏名やそれに類するものを彫っていきます。現在陶彫による集合彫刻を2点作っていますが、それにも新しい印を用意する予定です。画家は自作にサインをして自分が制作したものであるという証明をします。版画は刷った枚数全てにサインをして、これがオリジナルである証明をしています。私は書と同じように落款をしてオリジナルの証明をしていますが、陶彫の場合はひとつの作品に複数個の陶彫部品があるため、部品全てに印をつけています。その際に印は和紙に押してそこに番号をつけて陶彫の見えない部分に貼っているのです。旧作の部品が大量にあるため、混同しないように新作には新しい印をつけています。番号は集合彫刻を組立て易くするためにつけているのです。これはRECORDも同じで、RECORDには月日を印の下部に入れています。RECORDの制作を始めて10数年が経過していて、保管は年代ごとに分けていますが、万一混同した時に分かるようにその年ごとに新しい印を作っています。陶彫と違いRECORDは小さな画面なので、印も画材店で市販されている極小の石材を用います。何年か前に石材は複数購入してあるので、今回はその一つを選んで印床に固定しました。印刀を使うのも久しぶりです。RECORDの印のデザインは、氏名ではなく抽象絵画のような文様にしています。書家の中には篆刻のようにルールに沿った印を求める人もいますが、私は自由に気儘に構成しています。今回は小さな画面に抽象形態を彫りましたが、そのうち陶彫部品に貼りつける大きめな印を彫ることになります。
2022.01.12 Wednesday
「バウハウス-歴史と理念」(利光功著 株マイブックサービス)の「第四章 ヴァイマルのバウハウス その三 飛躍から閉鎖まで」の後半部分をまとめます。ここでモホリ=ナギがバウハウスに雇われます。「当時モホリ=ナギは構成主義の画家とみられていたが、すでに彼独自の造形思想を抱いていた。内的関係を明らかにする抽象絵画を志向した点ではカンディンスキーと共通していたが、カンディンスキーには詩的形而上学的な態度がみられるのに対し、モホリ=ナギは合理的化学的な意図を基にしていた。モホリ=ナギによれば『色彩の生物学的機能、その精神物理学的作用はまだ研究されていない。しかし一つのことは確かである。色彩を甘受すること、色彩を獲得することは、人間の基本的生物学的必然である。我々はすべての人間にとって共通の、我々の生理的器官によって規定された色彩・明暗・形態・位置・方向の相互関係と緊張関係が成立するということを、認めなければならない。』そしてこの相互関係と緊張関係を利用し作り出し伝達することから絶対絵画の概念が生ずると言うのである。」やっとバウハウスが軌道に乗りかけた時期に暗雲が垂れ込め、やがてバウハウスに対する弾圧が始まるのでした。その非難を摘記するならば「グロピウスは新しくもないしまた現実的ですらない。哲学の名に価しない抽象的神秘的な芸術把握によって全く現実を逸脱していることこそ問題であり、こういう抽象的芸術作業の結果は悲しむべきものがある。材料が適正で精神的内容のある必要に適った芸術の代りに、構成とか習作と呼ぶ、練炭・靴下留め・古びた椅子・空罐のような雑多な『材料』からなる素人の手細工、未来派の展覧会で十年前から嘲笑われている無内容のなぐり書きに出会う。」という芸術観の相違による見解が寄せられていたのでした。また会計面でも難しい面がありました。「会計記録に種々の不備な点があり、財政上も危険な状態にあることが指摘された。これは結局バウハウスが本来国立の学校として公共の教育事業体であるのに加えて、生産販売活動を行う私的な企業でもあり、その財政が複雑なことに起因したと考えられる。」結果、ヴァイマルのバウハウスは閉鎖に追い込まれたのでした。「直接的には右派政党の策謀によるのであるが、その背景にはバウハウスがヴァイマルの穏健保守的な地元工業人の支持を得られず、危険視されたことがあると言える。バウハウスの閉鎖は新聞紙上に報ぜられ、識者の間で大いに惜しまれたのであったが、しかし何が幸いするか分からない、デッサウに移転することによってバウハウスはみずからの校舎を建て一層の発展をとげることになる。」今回はここまでにします。
2022.01.11 Tuesday
「バウハウス-歴史と理念」(利光功著 株マイブックサービス)の「第四章 ヴァイマルのバウハウス その三 飛躍から閉鎖まで」の前半部分をまとめます。「工作教育は集団的な建築作業のための重要な前提である。だが手工作教育の目的は手と技術的能力の多面的訓練であって、特異な手工芸家を養成することではない。手工作教育は手段であって自己目的ではないのだ。しかも『バウハウスは機械を造形の近代的手段として肯定し、それとの協調を求める』が、学生に手工訓練を課さずに工業界に送り込む訳にはいかない。手工作業と大工場作業との相違は、原始的な手工道具と、技術的に改良された機械の相違に帰せられるのではなく、手工的なるものの統一作業と、工場的製作過程の分割作業にあるのだ。」また建築に関してはこんな文章がありました。「バウハウスの教育計画で特に注目されるのは、初めて建築教育が具体的に組み込まれたことである。グロピウスの説明によれば、建築の実践にはさまざまな綜合的能力が要求されるのは当然であるが、一層重要なのは機械・電信・高速輸送機関の時代を肯定する新しい建築思想を把握することである。建築は生きた有機体でなければならず、我々は建築の意味と目的がその建築量塊相互の緊張を通しておのずから明瞭な無駄のない建築を創りたい。」という理想がありました。バウハウスは大掛かりな展覧会を開催しました。「学生との討論も行なわれたが、結局外に向ってこれまでの業績を示し、我々が工業家に勝つことができぬと、バウハウスの存続が危うくなるのではないかという危惧の念が、バウハウスをしてこの展覧会を試みることにさせたのである。~略~ドイツ国内はもとよりヨーロッパ各地から、会期中約1万5千人の人々が観覧に訪れ、各種の新聞、雑誌がその模様を報じ論評を加え、一躍バウハウスの存在と特色を世間に知らしめたのであった。」これを読んで高校時代に工業デザイナーを目指していた私は、バウハウスの時代に生まれていたなら、どうしても入学したいと希望していたはずです。「グロピウスが提唱したこの新テーゼによって、バウハウスは機械時代の大量生産工業時代の新しい学校へと脱皮した。これまでのバウハウスはどちらかと言えば旧来の美術学校や工芸学校の延長上にあった。しかるにこの時期からバウハウスは、現代の流行語で言えばデザイン、特にインダストリアル・デザインの教育および実践の機関としてユニークな展開を示すのである。」