2022.05.03 Tuesday
「ウィーン工房」(角田朋子著 彩流社)の「第七章 1920年代から終焉まで」の後半部分をまとめます。ここでは1925年にパリで開催された「現代産業装飾芸術国際博覧会」でデザインの現象となった「アール・デコ」について触れています。「一般的にアール・デコ様式の特徴として、左右対称、直線と立体、幾何学文様、ならびにプラスチック、鉄筋コンクリート、強化ガラスの使用、大量生産への適合が挙げられる。しかし、実際には左右非対称、流線型、高級素材の利用、古典主義的な貴族趣味も見られ、きわめて複雑で多様な様式概念であった。また、アール・デコは純粋芸術に格上げしようとした装飾芸術がデザイン的なるものに応答する道程にあらわれた現象であり、その契機と目的には生産者・創作者からの意図だけでなく、世界大戦の心的外傷から逃れようとする消費者の趣味や欲望が絡んでいたとも指摘されている。~略~一方、オーストリアのアール・デコの担い手となったウィーン工房では優美な趣味性が優勢であり、大都市の強烈なエネルギーと不可分のパリのアール・デコとは異質であった。」次に博覧会での状況を記した文章を引用します。「最終的にウィーンでは、オーストリア・パヴィリオンは商業面と芸術面の双方で不首尾に終わったと見なされた。~略~博覧会参加を管轄した商務省は、モダニストたちの見方と異なり、ホフマンが偏った趣味の極度にモダンな内装をした点を批判した。~略~芸術面に関する主な批判は、展示作品の手工芸的趣味性が時代に即していないというものであった。~略~記事を書いた記者は、ウィーン工房作品を中心とするオーストリアの出展作品は完全に過去の遺物であると断じている。さらに、装飾が芸術愛好家に過ぎない女性たちによる軟弱な遊戯と見なされ、批判の矛先が女性たちに向っている。」建築家ロースの批判もありました。「ロースは芸術品と日用品を明確に区別し、日用品は徹底して実用的であることが近代性の証であり、芸術との境界が曖昧な一部の金持ちのための美術工芸品は近代的でありえないと主張した。ウィーン工房の審美的な『近代工芸』の欺瞞を糾弾するロースの姿勢は、1900年代から変わっていない。~略~1920年代後半にはロースの有名な講演をはじめ、複数のメディアにウィーン工房の時代遅れの装飾性に対する批判が掲載された。この時期、外部企業との提携が増えたウィーン工房が自社の統一的イメージを維持するうえで装飾性、手工芸性という特徴を前面に出し、実際に女性メンバーがそうしたデザインを得意としたことで、批判が生まれやすい状況が生じていたといえるだろう。」そこに世界恐慌がやってきました。「一度は再建しかけたウィーン工房は、世界恐慌という社会的要因により再び経営危機に陥った。最終的に1932年に会社は解散し、29年の活動の幕を閉じた。メーダ・プリマヴェーシは、莫大な経済的損失を理由にウィーン工房を閉鎖する方が、これ以上芸術的水準が落ちるよりもよかったという趣旨の発言をしている。これは、1903年にウィーンの芸術刷新運動の一環として誕生し、国家的な大変動を経ながらも、美的なデザインを創り続けてきたウィーン工房の自負を言い表したものといえるだろう。」今回はここまでにします。
2022.05.02 Monday
「ウィーン工房」(角田朋子著 彩流社)の「第七章 1920年代から終焉まで」の前半部分をまとめます。この第七章が本書の最終章になります。ここでは敗戦を迎えたオーストリア・デザイン界の状況が述べられています。「第一次世界大戦後、オーストリアは大幅な国土縮小による原料補給地や市場の喪失のみならず、ハプスブルグ君主国という従来の国家の基盤を失った。~略~社会全体で、失業、食糧難、物資不足が人々の日常生活を圧迫した。また、1918年はスペイン風邪の流行により、ヴァーグナー、クリムト、モーザー、エゴン・シーレらウィーン・モデルネの重要人物が一斉に亡くなったオーストリア文化史上の節目の年でもあった。」ではそんな時代のウィーン工房はどうだったのかをここで論じています。「終戦約一年にわたりオーストリア工作連盟は新たなデザイン活動の方針をめぐり混乱していた。しかし、戦前からのウィーン近代デザイン運動の主要な担い手は戦後ラディカルな創作活動へは転じず、従来の趣味性を急速に変えることはなかった。ウィーン工房は、一方では設立者たちの友人、知人、親戚を中心にウィーンの文化エリートサークルを活動基盤とし、短期間で『ウィーン趣味』を国内外に認知させた。他方で、彼らは諸外国の工芸関係者とも積極的に交流し、特にドイツのデザイン関係者との連携は全活動期間を通じて活発であった。~略~戦後ウィーン工房がドイツで活躍した前提として、戦前からドイツのデザイン関係者や市民たちがウィーンと類似の趣味性を有していたことが重要である。彼らは戦後も引き続きウィーン工房製品を受容した。もう一つ重要な点は、新共和国成立後のオーストリアにおける親ドイツ的傾向である。~略~新共和国の近代デザイン運動の方向性をめぐる対立や葛藤は、ウィーン工房ではなくむしろオーストリア工作連盟の活動において浮上した。ウィーン工房は1918年から1920年代初頭の社会的・経済的混乱期を、豊かな創造力の源となった理想主義と一企業としての現実感覚のバランスによって乗り越えた。」文章としては前後しますが、ホフマンの建築の特徴について述べられている箇所がありました。私も実際にウィーンで目にしたホフマンのデザイン観に美しさを感じたので、引用したいと思います。「ホフマン建築の特徴の一つである空間の余白は、1900年頃の展示会場構成に見られる神秘的空間と異なり、開放的なモダニズム時代の空間感覚と一致している。即物性と身体性、合目的的フォルムと装飾の併存は、ヴァーグナーのウィーン郵便貯金局、シュタインホーフ教会をはじめとするウィーン近代建築の系譜に連なる。」私はこの空間感覚が大好きなのです。今回はここまでにします。
2022.05.01 Sunday
今日から5月です。工房は緑に囲まれているので、まさに青葉繁れる5月になったという感想を持ちます。ゴールデンウィーク前半の天候は日によって晴天と雨天が繰り返されていますが、凌ぎ易い気候になったことは確かです。さて、5月初日に、今月の創作活動についてその目標とするところを書いてみようと思います。今月は例年の通り、図録用の写真撮影を予定しています。予定では撮影日を5月22日(日)にしています。自分としてはもう少し早い日程で行いたかったのですが、現行の新作に思った以上に手間がかかっているのです。新作は現在まだ終わっていません。ゴールは見えていますが、なかなか思うようにいかないのです。昨年4月から創作活動一本になったため、もう少し余裕が持てると信じていました。ただ、今まで違うのは来年の作品に併行して取り組んでいるところです。図録用写真撮影が終われば、私は一段落して次のステップに進めると思っています。私の場合は7月個展が次へのステップではなく、まさに今月が作品の切り替わる時なのです。そういう意味では気分高揚のための鑑賞が重要になってきます。今月も美術館や博物館に出かけていこうと思います。新型コロナウイルス感染症がもう少し落ち着けば、映画館や劇場に足を運びたいと思っています。旅行はまだ望めないものの、自宅と工房を行き来するだけの閉塞感を何とか打破したいと願っています。作品の発想が内面に向うことが多い私は、精神的に雁字搦めになることがあり、空間を柔軟に捉えられなくなる嫌いがあります。外に向って溌溂とする世界観を持ちたいと常日頃から私は思っていて、若い頃にリュックサックを背負って西欧各地を気軽に旅していた時代を今も夢で見るのです。荒涼とした丘を登ったら、眼前に石造りの円形劇場が広がっていた風景に感嘆の声を上げていたあの頃に戻ってみたいのです。そんな思いに駆られながら新作の仕上げを頑張ろうと思っています。
2022.04.30 Saturday
週末になりました。NOTE(ブログ)で恒例になっている今週の振り返りと、今日が4月の最終日なので、今月の振り返りも合わせて書いていきます。今週も相変わらず毎日工房に通っていました。新作の砂マチエール施工もやっていましたが、主な作業は「発掘~崩層~」の土台を成す三層目の厚板刳り貫き作業でした。朝から夕方まで制作をやっていると、一気呵成には作れない彫刻制作の特性を今更ながら感じてしまいます。前にもNOTE(ブログ)に書いていますが、彫刻は労働の蓄積で、日々の地道な作業が効果を生むと自覚しています。今週はそんなコツコツした作業に費やした一週間でした。今月は30日間ありましたが、そのうち28日間を工房に通って制作に充てていました。工房に行っていない2日間は美術館や博物館へ鑑賞に出かけた日でした。一日目は「メトロポリタン美術館展」(国立新美術館)、「ミロ展」(Bunkamuraザ・ミュージアム)に出かけた日、もう一日は「空也上人と六波羅蜜寺」展(東京国立博物館)に出かけました。その他では元同僚による刺し子作品展(横浜エリスマン邸)に出かけましたが、その日は午前中工房で制作をしていました。今月は展覧会だけの鑑賞に限られ、映画館や劇場へは足を運びませんでした。新型コロナウイルス感染症の影響が今も私には重く圧し掛かっていて、どこに出かけるにも心配が尽きないのです。自宅と工房を行き来していることだけが、感染の不安を取り除いてくれるので、勢い制作を頑張ってしまう結果になっているのだと思います。日々1点ずつ制作をしているRECORDは、悪癖が出てしまい、制作が滞っています。下書きが山積みになっている状態で、これを何とかしようと思っているところです。これを仕上げるにはまとまった時間が必要かもしれません。読書は「ウィーン工房」に関する書籍を読んでいて、嘗てウィーンに滞在したことのある自分にしてみれば、興味関心の尽きない内容になっています。滞欧中に現地で購入した関連書籍もありますが、ドイツ語を読むには困難なので、今回の日本語による論文が大変有難かったことがあり、また初めて知った内容もあって、願わくばもう一度ウィーンに行きたいと思っているこの頃です。
2022.04.29 Friday
今日は「昭和の日」で、今日からゴールデンウィークが始まりました。昨年は新型コロナウイルス感染症の影響で、ゴールデンウィークはどこにも出かけず、創作活動だけをやっていました。昨年から創作活動1本になったこともあって、制作に集中していたことを思い出します。今年も新型コロナウイルス感染症が高止まりをしていて、決して予断を許さない状況であるのは変わらないので、毎日制作をやっているのかなぁと思っています。「昭和の日」とは何でしょうか。私が生まれた頃には昭和天皇の誕生日として今日を認識していました。元号が平成に変わる時に「みどりの日」となり、やがて「昭和の日」となりました。今日は工房に据えてあるラジオから昭和歌謡が一日中流れていて、私には馴染み深い音楽ばかりだったので、気分が上がりました。教職に就いていた頃に、ゴールデンウィークを利用して、友人たちが出展している栃木県益子の陶器市や茨城県笠間の陶炎祭に出かけていました。校長職になってから行かなくなってしまいましたが、校長を7年間もやっていたので、もう長いこと陶器市や陶炎祭には行っていないことになります。このあたりで制作が追い込みに入る時期になり、創作活動一本になってもなかなか時間が空けられないというのが実感です。今日も新作の土台加工に終始しました。考えてみれば、二足の草鞋生活の時はゴールデンウィークと聞いただけで気分が高揚し、制作目標を立てて作業を頑張っていました。その気持ちは今も残っていて、ゴールデンウィーク期間中は頑張ろうと思っていますが、今は毎日がゴールデンウィークのようなもので、休みの実感は薄れています。それでも刳り貫き作業はこの期間中に終わらせようという目標だけは立てていて、今日も7時間ほど工房に籠っていました。明日も継続です。