Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 週末 GW最終日
    ゴールデンウィークの最終日を迎えました。一昨年までは校長職との二足の草鞋生活だったので、ゴールデンウィークが終われば、創作活動に一応のケジメをつけて仕事に戻らざるを得ない感情を抱いていました。昨年からゴールデンウィークは日常と変わらない生活になり、長期休暇の有難味はなくなりました。それでも長年続いた慣習で、ゴールデンウィーク期間中は創作活動をいつもより頑張っていて、その成果を出そうと考えていました。新作がどこまで進んだのかは、昨日のNOTE(ブログ)に詳しく書いているので、今日は繰り返しませんが、今後のやるべき課題について取り上げてみたいと思います。まず、陶彫部品について。罅割れ等の修整が必要な部分もありますが、私の作品が集合彫刻のため、それぞれの陶彫部品の見えないところに番号をつける必要があります。そのために毎年新しい印を彫り、それを和紙に押して、その和紙に番号をつけて陶彫部品に貼り付けています。新しい印を毎回作るのは旧作と新作を区別するためです。これから「発掘~崩層~」と「発掘~灰壁~」の2点の印を彫る予定です。そして木材加工について。砂マチエール施工の後に行なう作業は油絵の具を滲み込ませる塗装作業です。これは単一の色彩ではなく、絵の具を散らせたり、滴らせたりして、時間を経たように見せる絵画的な仕事です。陶彫部品との色調の組み合わせを考えながら、色彩を決めていきます。「発掘~灰壁~」は灰色を基調として色彩計画を立てていきます。「発掘~崩層~」は黒錆を基調にしようと考えています。これから先は絵画の世界です。来週は制作以外の用事があるため、砂マチエールや油絵の具の乾燥時間を考慮しながら、制作を進めていこうと思っています。
    週末 土台三層目の刳り貫き完了
    週末になりました。週末というよりゴールデンウィークが終盤を迎えたと言った方が相応しいかもしれません。先週から始まったゴールデンウィークですが、毎日工房に通っていました。その間、美大生や美大受験生、後輩の木彫家が入れ替わり工房に現れて、それぞれの課題をやっていました。こうした人たちが工房にやってくるのもゴールデンウィークならではのことですが、美大生と美大受験生は4日に横浜中華街に遊びに行って、その混雑ぶりを見て啞然とし、また辟易してしまったようです。私はゴールデンウィークはどこへも出かけず、工房に籠って制作一辺倒で過ごしました。いつもの日常より少々頑張ったつもりですが、特別な気分にはなっていません。おかげで新作「発掘~崩層~」の土台になる木材加工の三層目の刳り貫き作業が昨日完了しました。また今日は家内に手伝ってもらって、残りの砂マチエール施工もやりました。砂マチエールは完全に乾燥させるまで2日ほどかかるので、工房の床は砂マチエールを貼り付けた厚板材が所狭しと置いてあります。砂マチエール施工はほぼ出来上がりましたが、二層目の補強をしてから、そこだけもう一度作業をする予定です。いよいよ新作の全体像が見えてきて、身が引き締まる思いがしています。今回の新作では制作工程全体を通して、陶彫制作と土台の刳り貫き作業に多くの時間を費やしたように感じています。昨年4月から創作活動一本になり、ほぼ毎日、昔のように職場に出勤するつもりになって、決まった時間に工房に通っていたわけですが、旧作より手間のかかる新作に取り組んでいた自覚がここにきて漸く芽生えてきました。今回の新作はきっと見応えのある作品になるだろうと期待しています。これは今年の限ったことではありませんが、毎年全力で打ち込み、また身を削るような勢いで制作している自分は、彫刻という表現手段に出会って、本当に良かったと思っています。
    「新様式の探求」のまとめ
    「オットー・ワーグナー建築作品集」(川向正人著・関谷正昭写真 東京美術)の「第1章 新様式の探求」をまとめます。ここではテーマに沿ってワーグナーの代表的な建造物2点を取り上げることにします。まず、運河水門監視所について。「ワーグナーは、施設建築にも、ただ構造や機能の充足だけではなく新様式の表現を求めた。たとえば彼は、ドナウ川の治水事業に関連して建設されたドナウ運河に沿って、本流との分岐点にヌスドルフのドナウ運河水門・監視所(1894-98)、ウィーン旧市街のすぐ北にもう一つ、運河水門監視所(1906-07)を設計したが、これらの施設建築にも芸術的表現を与えている。前者では、水門本体は鉄構造の機械的な構造体だが、その両側には量感たっぷりの石造の台座の上に獅子の写実的彫刻が置かれている。鉄の機械と石の写実的な彫刻の統合を表しているのである。後者の場合は、彼の関心は青タイル、白い大理石、花崗岩を張った3層構成で左右対称という古典主義的なファサード造形に向けられた。」20代の頃に私も見たこの構造体は、旧態依然とした都市空間にあって、巧みに近代的な構造体を取り入れて、そのバランス感覚に私は快さを感じました。次に取り上げるのがマジョリカハウスと呼ばれている住宅で、私が毎日買い出しに行っていた青果市場から、よくその建造物を眺めていました。「38番地と40番地は、よく見ると、装飾の層である表皮(被覆)をはぎとった後の壁体は同じである。平滑な壁体に、同じ縦長の窓が、全く同じように縦横に配列されている。だが38番地は、コーロ・モーザー(1868-1918)のデザインによる乙女の横顔が彫りこまれた金色の大きな楕円レリーフなどが規則的に配列されるファサード、一方、40番地はマジョリカ焼きの陶板を張り詰めて全面に赤いバラが咲き誇る様子を生き生きと描き出すファサードと、全く異なる様式、全く対照的な印象を生み出している。表皮(被覆)全面の装飾様式の違いで、どれほど建築の印象を変え得るかと試すかのようである。」ワーグナーは古都であるウィーンの都市空間に、前時代と折り合いの良い優れた建造物を幾つも造り上げた建築家でしたが、一方で芸術に歩み寄った建築家でもあったと私は考えています。私が散歩中に飽きずに眺めたワーグナーの建築は、鉄の構造体でありながら抑制の効いたアール・ヌーボーの作品を見るような感覚に囚われます。次章ではワーグナーとアール・ヌーボーの芸術家たちとの接点が描かれているようです。楽しみに読んでいきたいと思います。
    「オットー・ワーグナー建築作品集」を読み始める
    「オットー・ワーグナー建築作品集」(川向正人著・関谷正昭写真 東京美術)を今日から読み始めます。昨日まで読んでいた「ウィーン工房」の関連として本書を選びました。ウィーンの建築家ワーグナーは、ウィーン市内に彼の建築物が点在し、その様式美に特徴があります。私は20代の頃、同地のアカデミーで彫刻を学んでいましたが、街を散策中に目にしたワーグナー建築に感性を奪われていました。本書は図版が中心の書物ですが、ワーグナーの建築動機や時代背景が知りたくて購入しました。序文に収められている文章から引用いたします。「オットー・ワーグナー(1841-1918)の建築は、19世紀の歴史主義と20世紀のモダニズムの重なりの上に成立したものだ。」という冒頭の文章があり、実際に彼は19世紀末から20世紀初頭を生きた建築家であったことが分かりました。「ワーグナーは19世紀の歴史主義が陥りがちだった観念的議論や様式言語の知的操作を一蹴して、現実の要請に自らの身体全体で取り組み、しかもできるだけ実務を体験しながら学ぶという新しい考え方を提示して、実際にウィーン造形芸術アカデミーのプロフェッサー・アーキテクトとしてこの教育システムを実践した。求められるものは、骨格、構造、配置構成、形式に支えられつつも、そこに留まらず、豊かで、生命力にあふれ、つくり手の自覚と個性と確信にしっかりと支えられた建築芸術である。~略~ワーグナーの建築が生き生きと輝き、その美と生命を保ち続けているのは、モダニズムの力だけではない。それはまさに芸術の力と考えるべきで、支えているものを、もしイズム・主義で言い表すならば、モダニズムではなく自由主義であろう。しかも、開かれた自由主義である。開かれた自由主義は、芸術の興隆期・開花期に、歴史上にも度々現れていたではないか。それをワーグナーは、先行する19世紀歴史主義から受け継いだのである。」こうした彼の背景と、私が既読した「ウィーン工房」の誕生が私の中で重なり合い、まさにウイーンはハプスブルク君主国としての最後の栄華に包まれていく運命を辿りました。「開かれた自由主義ゆえにハプスブルク帝国の各地から異なる民族の俊英たちがウィーンに集まり、しのぎを削って、建築を含む世紀末文化に大輪の花を咲かせた。開かれた自由主義は第2世代の時代となり、19世紀が末に近づき、さらに20世紀に変わっても、まだ維持されていた。」序文からの引用はここまでにしますが、本書は第1章から第3章まであって、ワーグナーのそれぞれの建築物の考察とその意味するところが述べられています。ひとつずつNOTE(ブログ)にまとめを掲載していくつもりです。
    「ウィーン工房・結論」のまとめ&読後感
    「ウィーン工房」(角田朋子著 彩流社)を読み終えました。20代の5年間をウィーンで過ごした私にとって本書には特別な思いがありました。国立応用芸術博物館に展示されていたウィーン工房の製品の数々やウィーン分離派の活動に興味を覚え、クリムトの絵画をはじめ街中に点在するヴァーグナーの建築物を、私はよく眺めていました。美術書を扱う専門の書店で何冊か関連の書籍を購入したものの、当時からドイツ語を読むのが苦手で、私は図版を見ているだけでした。そんな私に「ウィーン工房」(角田朋子著 彩流社)は有難い書籍で、少しずつ内容を噛み締めながら本書を読ませていただきました。私は元来、過剰な装飾を好まず、ホフマンが製作した抑制の効いたデザインにしっくりきていて、ウィーン趣味は全て許容できるものではなかったと思っています。私はそんな構成の妙を己の感性に委ねているところがあるため、本書を読んで、自己感覚へ問いかけることもしてみました。本書のまとめとしてウィーン工房の振り返りの文章を引用いたします。「ウィーン工房には企業としての統一的なイメージが必要であり、その核となったのが、1907年以降、特に1910年代に発展した装飾的デザインであった。これらのデザインにはウィーンのクンストゲヴェルベシューレでのホフマン、チゼックのデザイン教育が重要な基盤となっており、さらに彼らの教育メゾットの根拠は1900年のウィーン分離派による学校改革にあった。このように、ウィーン工房デザインの最大の特徴である装飾性は世紀転換期の芸術刷新運動に遡り、ウィーン工房の誕生と変遷に結びついたアイデンティティであった。」さらにウィーン工房の今日性について触れたところを最後にしたいと思います。「ハプスブルグ君主国の最後の栄華にふさわしいウィーン工房の装飾的造形、そして分離派やオーストリア工作連盟と連携した創作・展示活動は領内の中央ヨーロッパ広域に圧倒的な影響を及ぼし、多くの場所でウィーンを介してヨーロッパのデザイン動向が伝播した。その意味で、帝都のデザイン運動は中欧全体の文化的遺産である。それは今日、共産主義時代を経てEU入りした諸国で政治・経済面に限らず、文化財保護と継承の観点からも地域的アイデンティティ再考の気運が高まる中、彼らの歴史的な共通地盤解明の糸口となる。また、ウィーン工房の幾何学様式から装飾的デザインへの変化はウィーンやパリの装飾文化を大いに発展させた。~略~しかし、装飾が実際には、過去や同時代の芸術的要素の応用による豊かな創造性の発露となったことを認めるべきだろう。装飾の肯定が女性メンバーの躍進を導き、職業としての女性デザイナーの誕生につながった点もウィーン工房の重要な功績である。さらに、装飾と感性的デザインの関係はポストモダンのデザイン手法の先駆として注目される。」