2022.02.14 Monday
「仮面ーそのパワーとメッセージ」(佐原真監修 勝又洋子編 里文出版)の「韓国の仮面劇ルネサンスについて」をまとめます。韓国のタルチュム(仮面劇)はどんなものでしょうか。「陽気で洒脱でありながら、やはり卑俗でもある、その自在な笑いが放つタルチュムの強烈な個性は、劇としての構造そのものが、即興的に話の内容を変えたりつけくわえたりすることができる、オムニバス形式にちかいひらかれた構成をとっていることにもあらわれている。しかしそれは劇構造などをいう以前に、音やしぐさや舞いや仮面のかたちなど、身体の感覚で直裁に感じとれるさまざまな工夫のなかに、いきいきとはたらいているのだ。」これを読むと韓国の仮面劇は、日本の静に比べて動の雰囲気を感じさせます。「ほんらい仮面劇にもちいられた面は演戯の終了後に、そのつど火に投じられたという。19世紀末より前につくられた古い面がほとんど残っていないのはそのためだ。そして、それにもかかわらずタルチュムがすたれなかったのは、演戯のたびに新たに面がつくられたからである。~略~『タル』には『面』という意味のほかに頉という字を当てて、『変事、故障、病気、祟り』などの意味がある。そこで、病や祟りが邪鬼や魔神のしわざだと信じられていた時代から、凶事を形代に負わせて火にくべて焼き払う祭儀が、仮面を使う演戯の場に残った、という説が有力である。」韓国では社会情勢が民俗文化に及ぼすことがあったようです。「独裁に抵抗し民主化へ。民衆の生存権を。南北分断を口実とする反共軍事文化に抵抗を。-大きくいってこうした方向へと人びとの努力がつみかさねられていった。そのなかで民俗文化の新生をめざす運動は、しだいに当時の支配的な社会・文化状況にたいする対抗文化運動としての意味をもっていった。」また最近の享楽追及に対する民俗文化の在り方を書いた箇所も印象に残りました。「杖鼓や小鉦や太鼓がかき鳴らすあの明るく心うきたつリズム。仮面舞のあの躍動し人を哄笑にみちびく身ぶり。そしてあの途方もないまでに戯画化された滑稽な面の色や形のあざやかさ。それらがウムをいわさず人びとの目を引きつけたように、記憶のなかの血や涙や笑いの肉感をハッと呼び覚ます。あの音や所作や色や形状ーそれらことば以前のものたちは、前近代から何代もの命を経てわたしたちの細胞のどこかに断片なりとも記憶されているはずではないか。」それは日本も同じではないかと思いました。(引用は全て愛沢革著)
2022.02.13 Sunday
三連休の最終日です。今日は朝から雨交じりで相変わらず寒い一日でした。今日は作業終了時の夕方になって窯入れをしました。今夏、東京銀座で発表する大規模作品には、全体構成の結果、4点ほど追加作品が必要になって、それを手間暇をかけて作り続けていましたが、その4点というのは下の段になる陶彫部品と上に積み重なる陶彫部品が2セット必要になったという意味でした。下の段になる大きめな陶彫部品2点は、既に焼成が終わって出来上がっています。今日は上の段になる陶彫部品2点に仕上げをし、化粧掛けを施して窯に入れました。これで新作の陶彫部品は全て出来上がるはずです。ただし、焼成は何があるか分からないので、無事に窯から出てくるまでは完了とは言えません。これがうまくいけば再度全体構成をして、陶彫の部分だけは最終確認していきたいと思っています。先日、「美の壺」というテレビ番組で庭園のことを取り上げていました。重森三玲の現代彫刻のような庭園や伝統に裏づけされた茶の湯の庭園について、心底楽しみながらテレビを見ていましたが、身近では亡父が造園を生業としていたこともあって、父に教え込まれた庭園の概念が私の頭を過ぎりました。当時、私は半端な職人気取りでいましたが、自然石や木々によって空間を演出し、そこに自然の在り方を示す独特な日本庭園の解釈を今一度思い出していました。石の姿態を見てどうして欲しいか、木はどうあって欲しいか、その自然素材の問いかけを聴き取り、それらを生かす空間演出に、日本独自の庭園美があると思います。私がやっている空間演出は、あくまでも西洋の彫刻であって、庭園とは異なる概念がありますが、素材を生かすというところは共通するものがあるのではないかと思っています。土を窯で焚くのは素材を生かす方法のひとつだろうと思います。隅々まで自らの意思で彫刻する西洋と、私の陶彫の考え方は若干違うようにも感じています。そんなことを考えながら今日は新作最後の窯入れをいたしました。
2022.02.12 Saturday
三連休の中日です。今日は土曜日なので今週の振り返りをします。今週は毎日工房に通っていました。私自身が望んだように毎朝9時に工房にやってきて、ほぼ夕方まで工房で制作に邁進するのが日課になっています。近隣のスポーツ施設に昼ごろに出かけていき、水泳をやってくることも習慣になりました。毎日同じスケジュールをこなしていますが、創作活動は毎日同じではなく、その日ごとに新鮮な感覚を持って制作に励んでいるのが不思議です。昨年まで勤めていた校長職も日によっては異なる課題に取り組むことがありましたが、創作活動ほど新たな気持ちの芽生えはなかったと思っています。慣れた素材である陶土が毎日違う表情を見せてくれるのです。無から何かを作り出す喜びとは、こんなものなのかもしれないと思っています。今週の月曜日から実家の解体工事が始まりました。それに関しては業者任せですが、実家が足場に覆われているのを毎日通りがかりに見ています。木曜日は珍しく横浜にも雪が降りました。工房の周囲も白い雪で覆われ、ちょっと幻想的な気分になりました。ただし、工房内は寒くて手が凍えそうでした。そんな中でも夕方まで工房にいて作業をやっていました。自分は身体の芯から彫刻制作が大好きなんだなぁと改めて気づきました。かれこれ40年もやっている彫刻制作です。しかも食えないのにどうしてこんなことをしているのか、尋常ではないなぁとさえ思っています。今日は雪がなくなったので、夕方自家用車で家内と買い物に出ました。明日はいつもの高校生がデッサンをやりにやってきます。明日も制作は継続です。
2022.02.11 Friday
昨日は雪が降り、朝になって路面が凍結している心配がありましたが、今日から三連休が始まり、通勤時の事故等はかなり免れたのではないかと察します。教職に就いていた時は、降雪の次の朝の道路状況を気にしていました。現在の私は自由の身になっているので、そうした心配はなくなりましたが、雪が完全に溶けるまでは自家用車を出すことは控えています。近隣のスポーツ施設に行くときも、買い物に出るときも、私は車に頼っている生活をしているので、慎重になってしまうのです。工房には自宅から歩いて数分なので、天候に関係なく通い続けられます。今日も工房に行って陶彫制作に朝から夕方まで励んでいました。アーカイブを見ると、毎年建国記念の日は創作活動に邁進しているようで、教職との二足の草鞋生活を送っていた昨年までは、これは貴重な時間だったはずです。NOTE(ブログ)を読んでいると、休日に制作に打ち込んでいた姿が見えて、少しの時間でも無駄に出来ない焦りも感じていました。同時に毎年のように建国記念の日のことをNOTE(ブログ)にまとめていて、建国というものに私は結構関心があるんだなぁと改めて思います。日本は不思議な国です。他国からの侵略が一度も無かったことで、脈々と続いてきた独自な歴史のせいか、建国の起源が神話から始まっているところが摩訶不思議です。初代天皇とされる神武天皇の即位日を建国記念の日と決めたそうですが、神武天皇は古事記や日本書紀に登場していて、果たして実在の人物かどうか分からないのです。2月11日は明治時代に入ってグレゴリオ暦に照らして決めたそうですが、その後の段取りはともかく、起源に日本神話を用いているところが、実は私が一番気に入っているところで、想像逞しくて素敵な記念日ではないかと私は思っています。そんな記念日だからこそ創作活動に邁進できると考えます。明日も神話という創作の源を心に据えて制作を頑張っていきます。
2022.02.10 Thursday
今年になって2回目の雪が横浜に降りました。前回は1月6日で積雪もありました。雪国にとってはどうと言うこともない雪ですが、雪に慣れていない首都圏では道路状況や交通網を含めて大変な事態になっています。昨日は晴れていて、気温もそんなに低くなかったので、翌日に雪が降るという天気予報は俄かに信じ難いものを感じましたが、今日の午後になって霙から雪に変わり、周囲が白くなりました。雪が降っている中で工房に篭って作業をするのはなかなか大変です。今日はいつも通り朝9時から夕方3時までの6時間を陶彫制作に没頭しました。ただし、あまりに寒いので、少し作業をしたら手をストーブで温め、また作業に戻ることを繰り返していたので、快く制作に集中することは出来ませんでした。毎回NOTE(ブログ)に書いていますが、工房の室内温度はほとんど外と変わらず、厳しいものがありますが、彫刻制作は若い頃より厳しい条件でやってきているので、この環境も含めて全てが彫刻制作なのだと思っています。たとえば石材や木材を扱うときは野外で作業することもあるからです。彫刻家は人一倍体力がないと出来ない職種なのでしょうか。いつまでも80代の師匠が元気なのは、そのせいかも知れず、私もそうありたいと常々願っています。夜になって自宅で風呂に浸かると疲れが出てきて、暫し動けない状態になりますが、食卓ではRECORDのことやこのNOTE(ブログ)のこと、今読んでいる仮面に纏わる書籍のことがあって、創作活動一本になっても一向に暇にならない生活を送っています。外では雪がしんしんと降っているようで、暖かい室内で出来る活動にホッとしているところです。