2022.03.06 Sunday
週末は制作のことについてNOTE(ブログ)に書いていきます。昨年と違い、創作活動一本になったおかげで作品の制作工程は進んでいます。中規模作品「発掘~灰壁~」は陶彫部分と木彫部分が終わっていて、残りは木彫部分に砂マチエールを施し、油絵の具を滲み込ませていく工程が控えています。大規模作品の陶彫部分は終わりました。木彫部分は現在制作中です。これを土台加工と称していますが、厚板材に三角形文様を刳り貫く作業です。この厚板材は三層になります。お菓子で言えばミルフィーユのような按配ですが、この構造にするためにいろいろ工夫をしています。3月の制作目標として、この大規模作品の土台加工を終わらせたいと考えています。この大規模作品にも砂マチエールを施し、油絵の具を滲み込ませていくのですが、その工程は「発掘~灰壁~」も含めて来月に回そうかと思っています。というのは砂マチエールや油絵の具塗装の作業は絵画的な作業で、気持ちの入れ替えが必要だからです。厚板材を三層にするのは新しい試みで、これが新作の見栄えを左右するかもしれないと思っています。現在、刳り抜きをやっている厚板材も三層になると複雑な見え方をするだろうと思っています。しかも厚板材それぞれの周囲は不定形で、崩壊されたイメージで作ろうと思っています。崩壊となると現在進行しているウクライナ侵攻のことが頭を過ぎるのですが、これは考えすぎでしょうか。2011年にも制作中に東日本大震災があってイメージを部分的に変えました。私の彫刻制作は1年間を要するので、制作中に世界情勢を揺るがすことがあるとイメージに迷いが生じます。一日でも早く平和が訪れることを祈って、日々制作していこうと思っています。毎年数点の小品を個展に出品していますが、今回に関しては既に6点の作品を作り終えています。
2022.03.05 Saturday
3月に入って最初の週末を迎えました。今日は気温が上昇し春一番が吹きました。工房周辺は終日風の音がしていました。昨日は新型コロナウイルス感染症の3回目の接種日で、家内と私は東京の大手町まで出かけました。私はワクチンを打った腕が痛かったのですが、家内は発熱こそないものの体調を崩しました。3回目のワクチンでも副反応が出るのかなぁと実感しました。マスコミは連日、ロシアのウクライナ侵攻を伝え、避難している家族や子供たちの様子を流しています。信じられないことが目の前で行われていることに私は動揺を隠せません。また、北京パラリンピックも今週開幕しました。パラリンピアンの活躍をじっくり観たいところですが、ウクライナの現地報道が余りにも壮絶で、スポーツの祭典は二の次になっています。本当に何が起こるか分からない世界情勢に、私も何か役に立てないだろうかと考える1週間になりました。今日は土曜日なので、今週の制作状況を記していきます。接種に行った金曜日以外は、ずっと工房に通い、大規模作品の土台部分を作っていました。厚板材に三角形文様の刳り貫きを始めていて、月曜日には厚板材を追加購入してきました。接種に行った金曜日は、接種のついでに三菱一号館美術館で開催中の「上野リチ展」を見て来ました。リチはウィーン生まれということもあって、私が数十年前に住んでいたウィーンのことを思い出しました。今週は充実した1週間だったのですが、正直なところ陶彫によるRECORD立体版と大規模作品の土台作りの兼ね合いが難しく、一日のうちでどちらかに腰が入ってしまい、バランスよく双方を作ることができていません。木彫と陶彫という技法の違いからくる仕事の段取りが上手くいかない理由です。それと発表を考えた時に、今夏個展をする大規模作品に気持ちが引きずられているのも確かです。焦る気持ちはありませんが、もう少しどうにかならないか検討中です。
2022.03.04 Friday
新型コロナウイルス感染症の3回目の接種券が届いたので、1・2回目と同じ自衛隊東京大規模接種センターに予約を入れ、今日ワクチンの接種に行ってきました。前回は家内と別々の日程にして出かけたのですが、副反応の様子がわかったので、今日は家内と一緒に出かけました。以前は接種当日より寧ろ翌日に副反応があったので、今日のところは東京駅近くの美術館へ鑑賞にも出かけても大丈夫と判断しました。自衛隊東京大規模接種センターは3回目なので、流れをよく理解していました。東京駅丸の内から送迎バスに乗って、会場に到着するとすぐに受付に案内され、そのままあっという間に接種場所に通されました。12時の予約でしたが、終わったのは12時20分。拍子抜けするほど簡単でスピーディーでもありました。東京駅で昼食を取ってから、駅に隣接している三菱一号館美術館で開催している「上野リチ展」を見てきました。上野リチは本名をフェリーツェ・リックスといい、リチというのは愛称です。1893年にウィーンに生まれて、ウィーン工芸学校で学び、同校を卒業後はウィーン工房でテキスタイルを中心としたデザイナーとして働いていました。ウィーンの建築事務所に勤務していた建築家上野伊三郎と知り合い、結婚に至ります。夫妻はその後、京都に住んで、リチは京都とウイーンを往来することになり、まさに洋の東西の橋渡しをデザインを通して行う位置に置かれたのでした。私は20代の頃にウィーンにいましたが、その頃上野リチのことは全く知りませんでした。工芸学校(現在のウィーン応用芸術大学)は環状道路(リング)に面して応用芸術博物館の隣にありました。私たちの間ではクリムトが学んだ学校として知られていました。ウィーン工房は19世紀の折衷的歴史主義を克服し、20世紀に相応しい新たな美学の創造を目指していました。私の捉えとしては、ドイツのバウハウスより一時代前の革新的なデザインを担った集団ではないかと思っています。当時の建築家オットー・ワーグナーの仕事も含めて、ウィーン工房は心地よい象徴的な形態を持つスタイルだなぁと私は感じていて、20代の頃なけなしのお金を出して、ウィーン工房に関する書籍を何冊か手に入れました。今ではドイツ語で書かれた原書を読むことは出来ませんが、同美術館のアートショップでウィーン工房に関する書籍を見つけました。いずれこれを読んでいこうと思います。「上野リチ展」の詳しい感想は別の機会に改めます。
2022.03.03 Thursday
今夏、東京銀座の個展で発表する中規模作品の題名を「発掘~灰壁~」にしました。「発掘~灰壁~」は2009年に発表した「発掘~赤壁~」に続くもので、立体の形態としては同じものです。直方体を横長に立てて、上部に陶彫部品置いて、それを複数個連結させます。NOTE(ブログ)のアーカイブから長い引用をいたします。「新作陶彫の土台に砂マチエールを貼りつけて、ようやく油絵の具で砂に色彩を施すところまできました。土台は直方体を立てたような形態で、それを崖に見立てて、その上に陶彫を置き、ちょうど街が連なるようなイメージにしました。崖の壁の部分は厚板を彫ってレリーフ状にしたものです。砂が貼ってあるので木目は消えています。崩れかけた壁といった最初のイメージに従い、色彩をばら撒いてシミのような斑点を作りました。何度も色彩を重ねて重厚さを出しました。それは彫刻的な作業ではなく、絵画的な要素をもった作業でした。」これは2009年の「発掘~赤壁~」制作時に記されたもので、当時この作品は連作になるだろうと書いています。あれから13年も経ってしまいましたが、漸く次の連作が出来上がってきたと言えます。崖の上に街が連なるイメージがまだ自分の中で眠っていたことが不思議ですが、壁には格子状の文様が彫り込まれ、その文様を陶彫部品にも施しています。この文様は大規模作品にもあって、今回の個展のコンセプトが以前の作品とは少しばかり異なっていると自分は考えています。個展に展示する2点の作品に共通する文様を施すのは、私にとって新しい試みで、この2点でひとつの世界観を表すように考えたのです。作品は一つひとつが独立したものですが、作者の中では鎖のように繋がっていて、その展開の中から新作が生まれてくるものではないかと私なりに思っています。
2022.03.02 Wednesday
「九州の民俗仮面」(高見剛 写真・高見乾司 文 鉱脈社)を読み始めました。本書をどこで手に入れたものか記憶がありません。昔、九州を旅していた頃に湯布院にあった旧・由布院空想の森美術館を訪れて、壁面に掛けられた多くの土俗的な仮面に感銘を受けたことがあり、そこで購入したものか、それとも東京の日本民藝館で「九州の民俗仮面展」を見に行った時に購入したものか忘れてしまいましたが、私の家の書棚に長く眠っていました。先日まで読んでいた「仮面ーそのパワーとメッセージ」(佐原真監修 勝又洋子編 里文出版)の関連で、今回は本書を手に取りました。もともと私は仮面好きで、とりわけ九州の高千穂に行ったときに夜神楽を見て、仮面が生き生きとして活躍している様子を拝見しました。夜神楽とは何か、これを調べてみると、里ごとに氏神(うじがみ)様を神楽宿と呼ばれる民家や公民館にお招きし、 夜を徹して三十三番の神楽を一晩かけて奉納する、昔からの神事ということが記されていました。九州にはさまざまな仮面が残されていて、日本の伝承文化の一端を知ることが出来ます。本書のはじめに高見乾司氏のこんな文章がありました。「九州は、民間に分布する神楽面や、呪術や祈祷などの民間祭祀に使われた種々の信仰仮面などが数多く分布し、さまざまな芸能や民間信仰、神話・伝説などと混交しながら伝承される、いわゆる『民俗仮面』の宝庫であり、『仮面文化の十字路』と形容される。~略~『民俗仮面』は、庶民の生活、信仰とともに生まれ、伝えられてきたものである。そしてそれは様式化されることなく、多種多様の相貌をみせる。縄文時代の土面文化とどこかでつながっているのではないかと思わせるものさえ存在する。民俗仮面の多くは、村や神社、家などに『神』として伝承される例が多いことも古型を保ち続けてきた重要な要素である。世界の仮面文化を俯瞰すると、仮面は悪霊が宿ると考えられ、祭りや祈祷・呪術などに使用された後は火で浄化され(つまり焼却され)たり、再生儀礼として塗り直されたりするため、残存する例がきわめて少ない。村の神や神楽に登場する神々、家の守り神などとして伝えられてきた日本の民俗仮面は、貴重な資料であり文化遺産であるということができる。」