2022.03.21 Monday
昨年の10月10日付のNOTE(ブログ)に同じタイトルの文章があります。後輩の彫刻家である長谷川聡さんから自作の2回目の写真撮影を相原工房でさせて欲しいというお願いがあり、今日はその撮影日でした。彼にとっては制作上の転機となるかもしれない仕事場の移転、それに加えて旧作の写真撮影とあって、私は申し出を快く引き受けました。昔から懇意にしているカメラマンにもお願いして、今日の撮影となったのですが、天気も気候も良くなって、格好な撮影日和となりました。彼の作品は幾度となくこのNOTE(ブログ)に書いていますが、技法は木彫です。当初は合板を使って造形していましたが、一木造りも始めました。木彫は奥が深く、樹木の豊富な日本では仏像に優れた木彫作品が見られます。私は運慶派の木彫が好きで、それは仏像というより西洋彫刻に近い解剖学的な人体解釈があります。長谷川さんの世界は、説明的な要素を削り取った抽象性を創作の中心に据えていますが、たとえば植物のもつ成長的な捻りや水のもつ水滴などを具現化しているため、決して冷たい抽象ではなく、自然の現象を捉えたものだろうと思います。そうした作品だからこそ野外工房での撮影が効果を生むのです。私たちの周囲にある自然をよく観察すれば、さまざまな表情が読み取れます。自然の中に存在する植物や水などの素材を一瞬切り取って造形化することは、鑑賞者に憩いを与え、また作品を取り囲む空気を感じさせる要素があると私は考えます。撮影の最後に、最近彼が挑戦したアルミニウムによる彫刻作品もありました。まだ彼は若い彫刻家であるだけに、素材への挑戦は積極的にやって欲しいと思いました。
2022.03.20 Sunday
週末はその週を振り返るのが定番になっています。制作状況のことをほとんどNOTE(ブログ)に書いていないので、まとめて週末に書いているのです。この1週間は2日間だけ工房に行かない日がありました。水曜日は神奈川県立金沢文庫に行って「春日神霊の旅」展を見てきました。同じ横浜市に住んでいながら滅多に行かない金沢文庫でしたが、以前に運慶派の仏像を見に行った記憶があります。なかなか地味で渋い美術館で、しかも事前予約が必要とあって、まさかそんなに人が訪れるのかと高を括っていましたが、結構多くの鑑賞者がいて驚きました。展覧会の話題性によるものかなぁと思いました。金曜日は実家の建て替えによる地鎮祭を行いました。その足で墓参りをして先祖に建て替えの報告をしてきました。我ながら信心深いなぁと思いましたが、土地には守護神がいるということをどこかで聞いたことがあります。それは先祖が田畑を耕していた頃の話で、僅かに残存する伝承文学の世界かもしれませんが、そうした摩訶不思議な世界観は、アートをやっている私としては嫌いではありません。科学では説明のつかない世界は、私にとって魅力的なのです。アートも意味を考えれば、魑魅魍魎が跋扈する世界とそんなに変わるものではありません。そのアートですが、工房に行った日がいつもより少なくて、新作一層目の厚板に刳り貫き作業をやっていただけでした。時間のかかる地道な作業ですが、こうしたコツコツした仕事が最終的には効果を齎すものです。明日は後輩の彫刻家が工房にやってきて、彼の作品の写真撮影を行う日です。そんなこともあって、ここ数日は制作工程的には足踏みが続いていますが、こればかりは仕方がありません。私の花粉症もピークを迎えているので、制作が滞るくらいがちょうどいいのかもしれません。
2022.03.19 Saturday
今日から三連休になります。私は朝から工房に篭って、新作の厚板刳り貫き作業をやっていました。厚板に三角形文様を刳り貫いていくのですが、作業自体は淡々としています。文様の下書きを描くときは創作行為もあるのですが、それを実践するときは職人仕事になり、切断する刃先を見つめ続ける近視眼的な作業になります。彫刻にはこうした工程があり、実材との対話が生まれるのも彫刻の特徴とも言えます。厚板刳り貫き作業は明日も明後日も続くので、三連休は彫刻家というより木工職人のような按配です。さて、今日はいつも来ている高校生2人が工房にやって来ていて、それぞれの課題をやっていました。午後は後輩の彫刻家の木彫作品をロフトに上げる作業を予定していたので、朝から高校生2人を呼んでいたのでした。後輩の彫刻家というのは二科展に所属する私の教え子で、このところエネルギッシュな木彫作品を発表している新進気鋭の作家です。来月から彼の作業場がなくなるので、私の工房を使うことになり、彼の作業場に置いていた旧作を先日運び込んできたのでした。工房には作品を保管するロフトがあり、そこに荷を持ち上げるためのリフトを設置しています。彼の大きな作品はリフトを使ってロフトに運び入れました。ロフトには高校生2人がいて、階下で操縦するリフトに指示を出してくれました。箱詰めした私の作品と分解が不可能な彼の作品が混在し、ロフトにどうコンパクトに収めるかが今後の課題になりそうです。とにかく彫刻家には旧作を保管する場所が必要で、このロフトもそのうち狭くなるのかなぁと先行きのことが心配になりました。明日は一日中木工作業になります。明日も頑張ります。
2022.03.18 Friday
私の生まれ育った実家は、相原の分家であるにも関わらず、先代たちの努力で広い土地を有する旧家として存在していました。裏山には先祖が据えた稲荷の祠があり、実家は昭和の頃まで「池の谷戸」と呼ばれていたのでした。私が生まれた頃は、祖父母や両親、叔母たちがいて昔ながらの大家族でしたが、叔母2人が嫁ぎ、祖父母や両親が他界した今は、誰も住んでいない家となり、その持続費用も大変になったために、実家を解体することにしました。そこに賃貸による集合住宅を建てることで、私たちの生活費を捻出する予定ですが、融資をしてもらうため、現役で働いていた頃の給与ほどには収入はありません。それでも売れない彫刻家には有難い不動産による所得です。今日はさら地になった土地に愈々建築を始めるので、簡単な地鎮祭を行いました。これはセルフ地鎮祭を呼んだらいいのか、神主も呼ばず、こちらで用意した洗米、粗塩、日本酒を、建設予定地の四方と井戸を埋めたてた箇所に撒きました。同席したのは建築業者くらいで、実に質素なものでしたが、旧家が建っていた来歴のある土地のため、カタチはどうであれ「まつりごと」はやろうと決めていました。その後、相原の先祖の眠る菩提寺に墓参りに行きました。これは今日から彼岸になるので、先祖への報告を兼ねて供養をしてきたのでした。家内の実家の墓参りにも行ってきました。家内の両親は横浜の中心にある久保山墓地に眠っています。私は久しぶりに歴史のある久保山墓地を訪れました。古い墓石を新しくしている墓地もあり、少し見ないうちに様変わりしたところもありました。因みに彼岸とは何でしょうか。彼岸は苦しみから解放された世界や、煩悩からの解脱を目的とした仏教用語だったようですが、今日では先祖の墓参りをする期間として多くの人に認知されています。「春分の日」を中日として前後3日間が彼岸になっていますが、私はだからと言って信心深いわけではなく、ただ先祖を敬っているに過ぎません。明日から三連休です。工房で制作する日々が待っています。
2022.03.17 Thursday
「九州の民俗仮面」(高見剛 写真・高見乾司 文 鉱脈社)の「猿田彦と鼻高面の系譜」をまとめます。日本の民俗仮面の中で鼻高を強調した猿田彦の仮面は有名で、この猿田彦について私は予てから関心がありました。猿田彦とは何者か、分かり易く説いた箇所を引用いたします。「猿田彦は親しみ深いけれども謎も多く、怖そうだけれども異性の魅力には弱く、争いを好まず、天と地あるいは国と国との境界を守りながらも新しい文化・人脈を自身の勢力圏内へと案内し、土着の信仰と渡来の文化を混交させ、日本列島の文化の古層を残しながら現代に至るまでさまざまに変容を繰り返しながら分布する愛すべき神様ーすなわち『国つ神=先住民族の代表』であるということがわかった。」猿田彦は全国に分布しているようで、日本の仮面の中では一番存在感があると言えそうです。私も祭りを先導する猿田彦を見たことがあり、また棒に括り付けられた猿田彦の仮面も見ました。猿田彦の仮面が登場する時代のことが書かれている箇所を見つけたので引用いたします。「室町時代になると猿田彦の仮面が数多く登場するようになる。中世の修験者や芸能集団などが普及したと考えられる。このころ、赤い顔、高い鼻、という猿田彦面の特徴が確定する。」こうした仮面はやはり九州に多く分布していて、南九州にある伝承から一部紹介いたします。「南九州の祭りを先導する猿田彦には『弥五郎どん』及び『デオードン(大王殿)』と呼ばれる大人形がある。これは古代隼人文化圏に分布し、制圧された隼人の霊を鎮める祭りである。弥五郎どんそのものが祭りを先導する例、弥五郎どんの行列の前を猿田彦または赤・青一対の鼻高面が先導するという例もある。弥五郎どんは隼人の首長とも言われる。弥五郎どんが猿田彦であるとする説もある。」今回はここまでにします。