2022.07.17 Sunday
普段から工房に出入りしている若いスタッフが3人、運送業者2人、それに家内と私の合計7人で、朝10時半より個展出品の運搬作業に入りました。今年の作品は厚板材が多く、ビニールシートで包んだ量が結構ありました。それらを積んでから、陶彫部品を収めた木箱18個を積みました。横浜の工房を出発したのが11時前でした。トラックと乗用車で首都高速を飛ばし、東京銀座のギャラリーせいほうに到着したのが12時でした。梱包を解き、梱包材は運送業者に預かってもらいました。スタッフたちと昼食に出かけたのは、3年振りになる銀座ライオンの本店でしたが、昨年まではコロナウイルス感染症対策で弁当を注文していました。午後1時過ぎから彫刻の組立てを開始しました。「発掘~崩層~」の設置場所に頭を悩ませました。自分が考えていたより作品が大きかったのでした。何とか収まりの良い場所を決めて、三層構造になる組立てをしました。その次に「発掘~灰壁~」を組立てました。今回小品は6点あり、それぞれを展示台に乗せました。照明は例年やってくれている後輩の木彫家にやっていただきました。彼を含めてスタッフたちがよく動いてくれました。搬入も搬出もスタッフたちの力を借りなければ、私には何も出来ません。私は自分だけでは何も出来ない作品を作っていて、毎年彼らのおかげで個展が成り立っているのです。それを私は17年間毎年やっています。これは幸運以外に何ものではないと実感しています。首都高速を走る車の中で、私は、あぁ今年も個展が出来て良かった!と呟いてしまいました。病気や事故があれば制作はストップするし、個展が継続できる保証はありません。協力を惜しまないスタッフたちが毎年いてくれるのも奇跡だし、私の健康も奇跡だろうと思っています。明日は17回目のオープニング。懐かしい人たちに会えるのが楽しみです。
2022.07.16 Saturday
明日が個展の搬入日です。今日は既に梱包して準備が整った荷物や作品組立てに必要な道具などの最終チェックを行ないました。図録は300部くらいをケースに入れました。搬入から作品組み立てをイメージしながら、忘れ物がないように心がけました。個展は今回で17回目になりますが、過去には接合用のボルトナットを忘れてしまったり、陶彫部品の一部がどこかにいってしまったり、焦るような事件もありました。明日無事に作品が組立てられることが出来たら、ホッと胸を撫でおろせるだろうなぁと思っています。この一週間は梱包が終わっていたので、来年の最新作に時間を割いていました。土練りやタタラ、成形や彫り込み加飾をやっていました。来週は個展会場にずっといるため工房に行けないので、今日は作りかけの成形作品にたっぷり水を打ちました。陶土はビニールシートで包んでいても固まってくるので、週の途中で一度くらい様子を見なければならないかなぁと思っています。木曜日は東京の六本木に書道展や美術展を見に出かけました。金曜日はギャラリーせいほうに出来上がった図録を30冊持参して打合せをしてきました。午後には馴染みのあるミニシアターに行って映画を観てきました。今週は多少の余裕が出来たので鑑賞を織り交ぜた一週間を過ごしました。
2022.07.15 Friday
昨晩、個展の図録1000部をカメラマンが自宅に届けてくれました。今日はそのうちの数十冊を持って、東京銀座のギャラリーせいほうに行って来ました。来週月曜日から個展があるので、ギャラリーの田中さんに今年の作品をひとまず図録を通して知っていただこうと思ったのでした。またギャラリーの方でキャプションを準備するので、これも図録を見れば一目瞭然なのです。前に案内状を届けたり、今回は図録を届けたりして、徐々に個展開催への気分を上げていくのが、私の恒例となった行事です。個展が始まれば、私はずっと会場にいることにしています。ちょうどギャラリーに勤務しているような按配になるので、いくら東京に出かけても美術展や映画館を回ることが出来ません。そこで昨日と今日は今のうちに見たい展覧会や映画に行っておこうと考えたのです。今日は今月29日で施設を閉鎖する岩波ホールに行きました。54年の長き歴史に幕を閉じることもあって、岩波ホールには多くの観客が来ていました。岩波ホールは日本のミニシアターの先駆け的存在で、私も学生の頃からお世話になりました。岩波ホールが最後に選んだ上映作品はイギリス映画「歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡」でした。これは作家のチャトウィンの伝記ではなく、彼が放浪するように歩いた記録を映像で辿った、野生と詩に満ちた映画です。とりわけオーストラリアのアボリジニの神話にある「ソングライン」という道程に、私は不思議な感慨を与えられました。詳しい感想は後日改めますが、岩波ホールの最後を飾る上映に相応しい作品だなぁと思いました。今日は名残惜しい映画館岩波ホールに改めて別れを告げて、その記憶をしっかり脳裏に刻みつけました。
2022.07.14 Thursday
久しぶりに家内と東京六本木にある国立新美術館に行って来ました。私の嘗ての同僚で、現在も中学校校長の立場にある友人から、「毎日書道展」のチケットをいただいていて、彼の作品が奨励賞になったという情報があったために出かけたのでした。彼が書をやっているおかげで、私は毎年大きな書道展に出かけて、そこで現代における書の力作や多様な世界観を堪能できるのです。書の多様性については、抽象絵画に見紛うほど面白い構成要素があって、展覧会そのものはかなり楽しめる内容になっています。どんな文字が書いてあるのか、それを解読しなくてもいいのではないかと私は思っていて、純粋に白と黒の鬩ぎ合いに興味を持つことで、造形世界に自分を遊ばせられるのです。絵画と違うのは、一筆で書く勢いや色彩の要素をギリギリまで削ぎ落とした単純さにあって、その力強さと繊細さは、私の創作意欲を沸き立たせます。彼の作品は定番とも呼べる漢文の詩を書いたもので、斬新なものではありませんが、運筆の巧みさは充分伝わってきました。彼の作品からバランス感覚の良い性格も感じ取ることが出来ました。今日はせっかく国立新美術館にやって来たので、同時期に開催している「ルートヴッヒ美術館展」にも入場しました。私は若い頃、ドイツ語圏の国に5年もいたにも関わらず、ケルンには立ち寄ったことがなく、ルートヴッヒ美術館を初めて知った次第です。やはりドイツにある美術館らしくドイツ表現主義の作品が充実していました。その中で私が好きなK・コルヴィッツやE・バルラッハの彫刻が見られたのは幸運でした。ルートヴッヒ美術館は欧米の現代美術作品の収集にも積極的で、ここで20世紀を牽引した前衛作品が見られるとは思ってもみませんでした。「ルートヴッヒ美術館展」の詳しい感想は後日改めたいと思います。夜になって、自宅に懇意にしているカメラマン2人がやってきました。私の個展の図録が出来上がったので1000部を届けに来たのでした。図録はこれで17冊目になります。同じサイズで作っているにも関わらず、毎回作品が変わるので、今回の図録も新鮮な趣が漂っています。明日このうちの何十冊かを持ってギャラリーせいほうに行ってこようと思っています。残りの大量の図録は搬入時に車で持って行きます。
2022.07.13 Wednesday
「彫刻の歴史」(A・ゴームリー M・ゲイフォード共著 東京書籍)は彫刻家と美術評論家の対話を通して、彫刻の歴史について語っている書籍です。全体で18の項目があり、今日は3番目の「墳丘・平原・立石」について、留意した台詞を取り上げます。「立石は時間と空間のなかで、僕らが僕ら自身を測るための目印を表す。僕らは生物としての時間に埋没してしまっているけれど、石は宇宙の時間のなかにある。子どものころにストーンヘンジに連れて行ってもらった。10代のころには今度は自分の意思でストーンヘンジに行ったし、大人に成長してからもストーンヘンジに行った。恐らく老人になってもまたストーンヘンジに行くと思う。そうやってそのときどきの自分のスケールに対する感覚と、そのときまでに自分が培ってきた経験をほかのものと比較したときの価値を教えてくれるんだ。彫刻は人間の時間軸と異なった環境をもたらせてくれる。それは彫刻の持つ『機能』のとても強力な部分だ。」(A・ゴームリー)世界各地に残る遺跡を論じた後、現代彫刻に話が及びました。「ブロッガーの輪やステネスの立石群のような先史時代の記念碑を、現代美術家のリチャード・セラがつくっている鋼鉄製の碑と切り離して考えることはできないと確信している。高さの異なる耐候性鋼の塊。その厚みは30cmにも達する。観客はそのなかに没入するように誘われる。それはまるで完全に視界を遮るかもしくは視線の高さを意識させる、鉄製の垣根のようだ。」(A・ゴームリー)「けれど彼はかつて私にこう説明してくれたことがあるのです。自分が若き芸術家であったころにした決定的な体験は、地面に置かれた石の配置から来たものだった、と。カルナックやストーンヘンジの石ではありません。日本の京都にある、禅寺の庭の石だったと。~略~京都の庭を見たことで、セラはまた別の啓示ー日本語でいう『悟り』ーを得たのですね。つまり彫刻とは、その周囲をめぐることのできるものであっていい、と実感したのです。彼が西洋の伝統で学んだような、ただその前に立ち、いわば見つめるものとしての三次元的な絵というよりも、ずっとそうやって積極的に観る者に動くことを要求するものなのだ、と。」(M・ゲイフォード)さらに環境的な造形についても対話は続きます。「時の経過とともに芸術が発展していくという考え方には限界があることを、スミッソンは直観的にも、そして知的にも理解していた。この作品は、地球の年齢と深遠な時の流れを知覚させるようななにかだ。スミッソンには『心の堆積作用』という名言がある。すでに地球が経験してきたことの上に重ねられた、かなり最近の薄い層として人類の記憶を捉えている。《螺旋状の突提》のようなサイトスペシフィック〔その場所の特性に依拠する〕な作品はもちろんのこと、ノン・サイト〔場所の特性を考慮しない〕の作品でも、彼はアメリカにおける先進的な技術の発展を、地質学的な時間の文脈のなかに位置づけようとした。」(A・ゴームリー)今回はここまでにします。