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  • 8月初日は叔母の葬儀&歯科治療
    今日から8月になりました。教職に就いていた頃は、夏季休暇がまとまって取れることで、創作活動に邁進できて気分が揚がりました。夏季休暇でなくても、私は折を見て学校の美術室に籠って制作を続けていました。そんな様子を生徒が見ていて、美術の専門家になるにはどうしたらよいのかと私に相談に来る生徒もいました。学校管理職になって自分の工房を持ちましたが、そこに通ってくる教え子は、私の創作現場を見ていた子が大半でした。校長になってもその流れが続いていて、校長室にデッサンを持参してくる子が結構いました。そんな8月ですが、退職をしてから生活のメリハリがなくなりました。ただ、真夏の暑さと闘いながら創作活動を推し進める記憶が私の脳内に刷り込まれていることは確かです。今日は8月の初日ですが、そんな創作活動とは程遠い一日になりました。家内の叔母が数日前に亡くなり、今日が告別式だったのです。叔母はキリスト教信者で、教会では寺院のようなお通夜はなく、告別式と火葬だけは行ないましたが、プロテスタントなので牧師が取り仕切っていました。叔母の享年は97歳なので大往生だろうと思います。生前叔母は中学校の音楽科教諭として活躍をしていました。家内とは時に仲睦まじく、時に反目しあっていたようでしたが、家内にとっては思い出がいっぱいあり、寂しさを感じていたように見えました。告別式の帰りに私は歯科医院に出かけました。治療済みの差し歯が取れてしまって、予約を入れていたのでした。歯科医院は横浜駅近くにある大きな医院で、私が子どもの頃から通っているところです。川崎市にある日本キリスト教団溝ノ口教会から、横浜駅の鶴見歯科まで家内を乗せて車で走り、何とか予約時間に間に合いました。私の歯科治療は今後も続きますが、8月中に終わるでしょうか。今まで多忙とは言えない8月でしたが、今回は多忙な幕開けになりました。明日からは工房に通って、新作に取り組みたいと思っています。
    週末 酷暑の7月を振り返る
    今日は週末で、美大生や後輩の彫刻家が工房に来てそれぞれの制作に励んでいました。これは最近恒例となった週末の風景です。あわせて今日は7月の最終日なので、今月を振り返ってみたいと思います。今月は東京銀座のギャラリーせいほうでの個展がありました。今回で17回目を迎えました。創作活動一本になった私にとっては最重要な開催事で、このために1年間制作に邁進していると言っても過言ではありません。今回もコロナウイルス感染症が猛威を揮う中、大勢の方々が東京銀座まで足を運んでくださり、貴重な意見をいただきました。毎日ギャラリーに通って対応していた私は、大変満足を覚えました。また今月は例年にない酷暑になり、個展の準備期間では結構辛い思いもしました。制作に関しては来年に向けた新作に挑んでいて、既に焼成している陶彫部品もあります。来年の作品は毎日1点ずつ作っているRECORDと関連しているので、陶彫部品の遅れがイコールRECORDの遅れとなっています。今後は陶彫部品とRECORD双方で頑張っていかねばならないと思っています。それにしても創作活動を中心とした生活は、本当に時間が経つのが早いなぁと感じていて、それだけ日々充実している生活なのかもしれません。彫刻という表現媒体は、何という量の時間と労力を費やすものだろうと改めて感じ入っている次第ですが、こんなふうにやっていて果たして人生に終焉が訪れるまでに、私には満足できる空間が手に入るだろうか、素材を思うように操ることができるのだろうかと、つい考え込んでしまう自分がいるのです。そんな時でも焦らず休まず制作をしていきたいと思っています。今月の鑑賞について書きます。まず美術展ですが「ルートヴィヒ美術館展」(国立新美術館)と同美術館で開催していた「毎日書道展」、横浜の画家によるグループ展(みつい画廊)に行って来ました。映画では「エルヴィス」、「キングダムⅡ」(TOHOシネマズ鴨居ららぽーと)、「歩いて見た世界」(岩波ホール)へ行きました。鑑賞は充実していたように思います。読書では「彫刻の歴史」と「絵画の黄昏」を読んでいます。これは2冊とも来月に継続していきます。
    週末 個展後の一週間
    週末になりました。先週の土曜日まで東京銀座のギャラリーせいほうで、私は一年1回の個展を開催していました。今週は個展終了後の一週間になったわけで、気が緩むところではありますが、自分の流儀に則って、一区切りついたところでは私は絶対休まないのです。既に新作に移行していて、通常の制作生活に戻っています。気持ちは来年の7月個展に向いています。ただし、工房内は身体がおかしくなるほど蒸し暑く、いつものように朝9時から夕方までの制作は避けることにしました。今週は午前中だけの制作時間に切り替えました。午後は近隣のスポーツ施設に水泳に出かけたり、工房に出入りしている美大生に付き合って、彼女のアルバイト先になるであろうBankARTに行って来ました。BankARTとは「2004年、元銀行(旧第一銀行、旧富士銀行)を活用してスタート。街なかへの展開として、新港埠頭の倉庫や本町や北仲地区再開発予定のビルを活用しての大型のシェアスタジオの構築・運営を図り、横浜に数多くのクリエイターの誘致を行ってきました。」というのがネットにあります。実は私の工房に出入りしている歴代の美大生がそこでアルバイトをさせていただいている関係があります。現在美大の1年生である子が、先輩に案内されてBankARTを見てきたのでした。改めて彼女はアルバイトの申し込みをするようで、また新世代がBankARTに関わることになりそうです。金曜日の午後は映画「キングダムⅡ」を家内と観に行ってきました。久しぶりに日本の娯楽大作を観て、大いに楽しんできました。何はともあれ酷暑が続いていて、工房での制作が思うように進まない一週間ではありましたが、日々、来年に向けて創作活動を継続していることだけは確かです。
    映画「キングダムⅡ」雑感
    個展閉幕から数日経って疲労が出ています。それを何とか払拭するために、今日は家内を誘って日本の娯楽大作と銘を打つ映画を観に行きました。横浜市の鴨居にあるエンターテイメント系の映画館で観たのは「キングダムⅡ 遥かなる大地へ」でした。実は2019年5月7日に「キングダム」の感想をNOTE(ブログ)に書いています。「物語は中国の紀元前にあった春秋戦国時代で、7つの強国が犇めいていた背景があり、やがて秦が中華統一を果たすまでの経緯を描いています。主人公は戦災孤児だった信と、やがて秦の始皇帝になる政で、この2人の立身出世が物語の中核を成しています。原作者で漫画家の原秦久氏は、中国の歴史書『史記』を基に、史実とフィクションのバランスをうまく取りながら物語を作っています。」というもので、本作はその続編を描いています。蛇甘平原で魏国と戦うため、信は歩兵として一線を交えることを主軸に、そこで初めて出会った羌瘣との関わりを描いていて、映画全体の熱量はなかなか凄いものがありました。とりわけ中国の撮影チームによる集団戦闘場面が圧巻でした。日本の映画もハリウッド並みのスケールをもち、高いクオリティで映像を作ることが出来たことを証明していました。図録を読むとコロナウイルスの影響で、なかなか中国でのロケが出来ず、日本チームと中国チームがリモート撮影で協働したりして、苦労が耐えなかったことも分かりました。これはシリーズ化していくのでしょうか。それぞれの俳優がプロ根性を見せていて、そこも見所のひとつかなぁと思っています。
    「〈虚〉の空間」について
    「彫刻の歴史」(A・ゴームリー M・ゲイフォード共著 東京書籍)は彫刻家と美術評論家の対話を通して、彫刻の歴史について語っている書籍です。全体で18の項目があり、今日は7番目の「〈虚〉の空間」について、留意した台詞を取り上げます。「だいたい私たちは、なにもない室内をひとつの彫刻だなんて考えることはふつうありませんものね。彫刻というのはなにかしら中身が詰まっていて、削り出したりこねあげたりしてつくったかたちなのであって、穴ーここでは空虚と呼びましょうかーを彫刻だとはまず思わない。ところが洞窟のような構造には、初期の仏教徒やヒンドゥー教徒たちが岩を掘削してつくり出した聖なる場所のように、ときに荘厳なものがあります。」(M・ゲイフォード)「はるか昔の僕らの祖先たちは、ものを生み出すために地球の身体の奥深くにまで入っていきたいという衝動に駆られていた。そこにはなにか根本的なものがある。母体に戻る、つまり子宮のように削られて穴になった空間に戻ることで、そこがかたちの生成装置になるんだ。」(A・ゴームリー)「先史時代の作品がある洞窟に実際に入ってみると、まず気づくことがあります。壁のうねり、ひび割れ、染みといった偶然できた模様が、どれだけ人間が像を生み出す際の手がかりになったか、ということです。あの岩肌の隆起は馬の頭部のように見えるし、この岩の出っ張りは野牛の臀部のようです。地下の空虚でこうした意味ありげな形状をずっと見ていれば、出現してまもない人類に想像力の種も蒔かれるというものでしょう。」(M・ゲイフォード)「近代の彫刻はさまざまなやり方で、空洞や空虚、物質と物質の隙間を、物体性あるいは量感といったものと同じくらいに吸収してきた。ヘンリー・ムーアとバーバラ・ヘップワーズは、石材のなかの穴は、穴以外の部分と同じくらい興味深いものだという考えを持っていたんだ。これが虚の空間に対する関心の始まりさ。」(A・ゴームリー)「引き算は足し算に勝るとも劣らぬ創造行為ですねー結局、それこそが彫るということのすべてなのです。20世紀後期でもっとも有名な作品のひとつは、つまるところ大地を切削してつくった空虚です。制作者のアメリカ人芸術家、マイケル・ハイザーは、ネヴァダ砂漠につくったこの巨大な自作、《二重否定》(1969-70年)についてこう言いました。『あそこにはなにもないからね。それもひとつの彫刻なんだけれど』。」(M・ゲイフォード)「エチオピア・ラリベラの聖ゲオルギウス(の岩壁)教会とマイケル・ハイザーの作品とのあいだに関係があることは一目瞭然だ。これは言ってみればハイザーの作品に先行する、彼の作品みたいなものだよ。そして比較してごらん。これと、北アメリカ南西部のプエブロ族の人々が掘ってつくったタンク、井戸、貯水槽、キバなどの儀式用の地下の空間とを。地上に組み上げるのではなく、地中に切り込みを入れた、まさしく建築の対極さ。」(A・ゴームリー)今回はここまでにします。