2022.05.10 Tuesday
昨日の夕方、横浜駅近くの画材店に出かけていき、新しい印を彫るための石材を購入してきました。作者は新作が完成すると、たとえば絵画や版画なら右下にサインを入れます。その作品がオリジナルの鑑定を受けるために作者自らがサインを入れるのです。書道家も落款を押します。水墨の色彩に朱の印はとても映えて、落款も含めて作品として成立していると私は思います。私の場合は陶彫による部品を組み合わせる集合彫刻を作っているため、完成のサインをどのように入れるのかを制作を始めた数十年前に思案しました。それは書道家のように印を創作し、和紙に押し、そこに番号を入れて、陶彫部品の見えない箇所に貼り付けるというものです。押印した和紙は時には数十枚になり、番号によって誰にも分かり易く組み立てが出来るようにしたのです。印は作品によって変えていきます。旧作と新作の部品が似ていることもあり、混乱を生じさせないために、印は新作に応じて常に新しく作り直すのです。そのため旧作の印が増えていく結果になり、印だけで個展が出来そうな数の勢いになっています。因みに小品の「陶紋」シリーズはずっと同じ印を使っています。RECORDは1年間は同じ印を右下に押して月日を記しています。「発掘」シリーズと「構築」シリーズに関しては新作ごとに印を作っています。今回、石材を調達したのは「発掘~崩層~」と「発掘~灰壁~」のために、新しい印を作ろうと考えたためです。私は印の制作にルールは設けていません。書道家に言わせると邪道なものばかりかもしれませんが、自由気儘に作っています。私は印を自分の氏名を構成要素にした抽象絵画と思っていて、氏名もほとんど判読できないほど取捨選択をしてしまいます。道具としては印床で石材を固定し、印刀を使って彫り、印泥で和紙に押印していきます。自分では楽しんでやっているので、それでいいのではないかと思っていて、今日から夜の時間帯にコツコツ彫っていきます。
2022.05.09 Monday
「オットー・ワーグナー建築作品集」(川向正人著・関谷正昭写真 東京美術)の「第2章 歴史主義からの離脱」をまとめます。私が20代の頃、ウィーンに住んで楽しかったことはシュトラーセンバーン(路面電車)とシュタットバーン(市電)の存在でした。あの頃の市電はレトロな車両が使われていて、古都に似合う情緒がありました。その駅がワーグナーの設計によるもので、本書にはこんなことが記されていました。「ひまわりや特有の渦巻き模様などの分離派的な建築装飾が表層に加えられて、19世紀の間にワーグナーが育んできた芸術的特性と、これから20世紀になって強くなる技術的特性が融合するものになっている。」そのカールスプラッツ駅舎はウィーンの中心にあって、人の往来が多く、私もよく使っていました。その背景となったのがアール・ヌーボーやウィーン分離派の芸術動向でワーグナーもその一人になっていました。「歴史主義からの離脱と近代建築創出をめざしていたワーグナーにとって強い刺激と励ましになったのは、画家・工芸家コーロ・モーザー、建築家オルブリヒとヨーゼフ・ホフマンなどの若手が『七人クラブ』という非公式なグループを結成し、たびたび集まっては激論した、建築の新しい動きと未来に関する議論の場だった。しかも、アール・ヌーボーという新種の様式を実際にワーグナーのアトリエに持ち込んだのも、当時彼のもとで働いていたオルブリヒやホフマンらの若手であった。『七人クラブ』は、1897年には画家グスタフ・クリムト(1862-1918)をリーダーとして旗揚げされた『ウィーン分離派』に発展した。翌年にはオルブリヒの設計によって活動拠点となるウィーン分離派館(1897-98)が完成し、その玄関の上には『時代にその芸術を、芸術にその自由を』という彼らのモットーが、金字で刻まれた。因みに、ワーグナーがウィーン分離派のメンバーになったのは1899年である。」私がウィーンにいた1980年から5年間、ウィーン分離派館(セセッション)はリニューアル工事中で、内装を見ることが出来ませんでした。当然、クリムトの有名な壁画も見られず、私が帰国の途についてから、完成したウィーン分離派館がニュースになっていました。
2022.05.08 Sunday
ゴールデンウィークの最終日を迎えました。一昨年までは校長職との二足の草鞋生活だったので、ゴールデンウィークが終われば、創作活動に一応のケジメをつけて仕事に戻らざるを得ない感情を抱いていました。昨年からゴールデンウィークは日常と変わらない生活になり、長期休暇の有難味はなくなりました。それでも長年続いた慣習で、ゴールデンウィーク期間中は創作活動をいつもより頑張っていて、その成果を出そうと考えていました。新作がどこまで進んだのかは、昨日のNOTE(ブログ)に詳しく書いているので、今日は繰り返しませんが、今後のやるべき課題について取り上げてみたいと思います。まず、陶彫部品について。罅割れ等の修整が必要な部分もありますが、私の作品が集合彫刻のため、それぞれの陶彫部品の見えないところに番号をつける必要があります。そのために毎年新しい印を彫り、それを和紙に押して、その和紙に番号をつけて陶彫部品に貼り付けています。新しい印を毎回作るのは旧作と新作を区別するためです。これから「発掘~崩層~」と「発掘~灰壁~」の2点の印を彫る予定です。そして木材加工について。砂マチエール施工の後に行なう作業は油絵の具を滲み込ませる塗装作業です。これは単一の色彩ではなく、絵の具を散らせたり、滴らせたりして、時間を経たように見せる絵画的な仕事です。陶彫部品との色調の組み合わせを考えながら、色彩を決めていきます。「発掘~灰壁~」は灰色を基調として色彩計画を立てていきます。「発掘~崩層~」は黒錆を基調にしようと考えています。これから先は絵画の世界です。来週は制作以外の用事があるため、砂マチエールや油絵の具の乾燥時間を考慮しながら、制作を進めていこうと思っています。
2022.05.07 Saturday
週末になりました。週末というよりゴールデンウィークが終盤を迎えたと言った方が相応しいかもしれません。先週から始まったゴールデンウィークですが、毎日工房に通っていました。その間、美大生や美大受験生、後輩の木彫家が入れ替わり工房に現れて、それぞれの課題をやっていました。こうした人たちが工房にやってくるのもゴールデンウィークならではのことですが、美大生と美大受験生は4日に横浜中華街に遊びに行って、その混雑ぶりを見て啞然とし、また辟易してしまったようです。私はゴールデンウィークはどこへも出かけず、工房に籠って制作一辺倒で過ごしました。いつもの日常より少々頑張ったつもりですが、特別な気分にはなっていません。おかげで新作「発掘~崩層~」の土台になる木材加工の三層目の刳り貫き作業が昨日完了しました。また今日は家内に手伝ってもらって、残りの砂マチエール施工もやりました。砂マチエールは完全に乾燥させるまで2日ほどかかるので、工房の床は砂マチエールを貼り付けた厚板材が所狭しと置いてあります。砂マチエール施工はほぼ出来上がりましたが、二層目の補強をしてから、そこだけもう一度作業をする予定です。いよいよ新作の全体像が見えてきて、身が引き締まる思いがしています。今回の新作では制作工程全体を通して、陶彫制作と土台の刳り貫き作業に多くの時間を費やしたように感じています。昨年4月から創作活動一本になり、ほぼ毎日、昔のように職場に出勤するつもりになって、決まった時間に工房に通っていたわけですが、旧作より手間のかかる新作に取り組んでいた自覚がここにきて漸く芽生えてきました。今回の新作はきっと見応えのある作品になるだろうと期待しています。これは今年の限ったことではありませんが、毎年全力で打ち込み、また身を削るような勢いで制作している自分は、彫刻という表現手段に出会って、本当に良かったと思っています。
2022.05.06 Friday
「オットー・ワーグナー建築作品集」(川向正人著・関谷正昭写真 東京美術)の「第1章 新様式の探求」をまとめます。ここではテーマに沿ってワーグナーの代表的な建造物2点を取り上げることにします。まず、運河水門監視所について。「ワーグナーは、施設建築にも、ただ構造や機能の充足だけではなく新様式の表現を求めた。たとえば彼は、ドナウ川の治水事業に関連して建設されたドナウ運河に沿って、本流との分岐点にヌスドルフのドナウ運河水門・監視所(1894-98)、ウィーン旧市街のすぐ北にもう一つ、運河水門監視所(1906-07)を設計したが、これらの施設建築にも芸術的表現を与えている。前者では、水門本体は鉄構造の機械的な構造体だが、その両側には量感たっぷりの石造の台座の上に獅子の写実的彫刻が置かれている。鉄の機械と石の写実的な彫刻の統合を表しているのである。後者の場合は、彼の関心は青タイル、白い大理石、花崗岩を張った3層構成で左右対称という古典主義的なファサード造形に向けられた。」20代の頃に私も見たこの構造体は、旧態依然とした都市空間にあって、巧みに近代的な構造体を取り入れて、そのバランス感覚に私は快さを感じました。次に取り上げるのがマジョリカハウスと呼ばれている住宅で、私が毎日買い出しに行っていた青果市場から、よくその建造物を眺めていました。「38番地と40番地は、よく見ると、装飾の層である表皮(被覆)をはぎとった後の壁体は同じである。平滑な壁体に、同じ縦長の窓が、全く同じように縦横に配列されている。だが38番地は、コーロ・モーザー(1868-1918)のデザインによる乙女の横顔が彫りこまれた金色の大きな楕円レリーフなどが規則的に配列されるファサード、一方、40番地はマジョリカ焼きの陶板を張り詰めて全面に赤いバラが咲き誇る様子を生き生きと描き出すファサードと、全く異なる様式、全く対照的な印象を生み出している。表皮(被覆)全面の装飾様式の違いで、どれほど建築の印象を変え得るかと試すかのようである。」ワーグナーは古都であるウィーンの都市空間に、前時代と折り合いの良い優れた建造物を幾つも造り上げた建築家でしたが、一方で芸術に歩み寄った建築家でもあったと私は考えています。私が散歩中に飽きずに眺めたワーグナーの建築は、鉄の構造体でありながら抑制の効いたアール・ヌーボーの作品を見るような感覚に囚われます。次章ではワーグナーとアール・ヌーボーの芸術家たちとの接点が描かれているようです。楽しみに読んでいきたいと思います。