Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 「絵画の黄昏」を読み始める
    現在、「彫刻の歴史」(A・ゴームリー M・ゲイフォード共著 東京書籍)を読んでいますが、この書籍は分厚くて重量があるため、鞄に携帯することが出来ません。横浜の自宅から東京銀座のギャラリーせいほうに通うために別の書籍を鞄に携帯することにしました。「絵画の黄昏ーエドゥアール・マネの闘争ー」(稲賀繁美著 名古屋大学出版会)は、いつどこの書店で購入したものか忘れてしまいましたが、自宅の書棚に眠っていたものを選びました。印象派はどのようにして始まったのか、その起源を探ることは私の興味の対象です。概要として私が理解しているのはエドゥアール・マネによる「草上の昼食」と「オリンピア」のスキャンダルがありました。それがどのように描かれ、大衆からのどんな反応があったのか、時代背景を踏まえた詳細な流れを知らないまま、私は見過ごしていました。絵画の価値基準が変わるときは、人々の冷笑やら摩擦があったはずで、歴史を経た今となっては、そうした動きに納得も出来ますが、当時は当然サロンから落選し、さらに落選者展に出品されても、それだけでは済まない事情があったようです。19世紀の神話的な世界を理想の裸体像の中で表現した絵画では、現実的な世界をそのまま描くことはなく、あくまでも美の基準に則って描くことで、その美しさを競っていました。そうして認められた絵画世界に比べれば、「オリンピア」は何というリアルな裸体像でしょうか。今では当たり前な世界には、どのような運命が待っていたのでしょうか。当時の価値基準を知ることも、現在を生きる私たちにとって、美術史を再考するものだろうと思っています。「彫刻の歴史」と「絵画の黄昏」が今夏、私が読むべき書籍だと決めました。
    映画「歩いて見た世界」雑感
    人生は旅だと達観したように言われるけれど、私にはその実感はありません。強いて言うならば、20代の頃に紀行作家と共にギリシャやルーマニアに行って、遊牧民の村々を歩いた期間があり、そこで創作をしながら生活が出来たら、人生はまさに旅だと私には思えたでしょう。私は30歳で帰国して公務員になり、定住して日々労働を繰り返して現在に至っています。旅の生涯というには余りにも起伏のない人生だなぁと振り返っています。ただし、感受性の高まりは彫刻制作という創作行為によって得られてきたので、内面的には旅をしてきた感覚を有しています。先日観に行った映画「歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡」は、旅人の生きざまを浮き彫りにした秀逸なドキュメンタリーでした。作家チャトウィンは49年の短い人生の中で、先史時代に興味を持って世界中を歩いて小説を残しました。映画は作家の没後30年で、親交のあった映画監督が、チャトウィンが歩いた道を辿った記録を映像化したものでした。「『放浪者という選択』は、ブルースが若い頃に委託された原稿で、歩くことや放浪に関する持論を書いたものだ。」これに対し監督が応じています。「放浪の生活が消えると、人は定住し、都市生活が主流になる。つまり人類の大部分が技術に支配される。そのせいで人類は今、崩壊しつつあると思う。ブルースは人間の脆さを知っていた。」映画の中でとりわけオーストラリアのアボリジニの生活に焦点をあてた映像に、私は心を揺り動かされました。「彼も私も、歩いて世界を旅した。ブルースは私の警句が気に入っていた。『世界は、徒歩で旅する人に、その姿を見せる』。」主人公ブルース・チャトウィンの登場しない映画は、かえって彼の存在を際立たせ、彼の考え方や詩を謳い上げていました。この映画は日本のミニシアターの草分け的な存在であった岩波ホールの最後を飾る上映作品で、私は岩波ホールにお別れを言うために足を運んだのでした。岩波ホールの54年に及ぶ旅の足跡と終点を、この映画に重ね合わせたように私には思えました。
    六本木の「ルートヴィヒ美術館展」
    昨日のNOTE(ブログ)に新聞に掲載されたエルンスト・バルラッハの彫刻の記事について書きました。その流れで今日は「ルートヴィヒ美術館展」を取り上げます。六本木にある国立新美術館で開催されている「ルートヴィヒ美術館展」は先日見に行きましたが、私の好きなバルラッハやコルヴィッツを初めとするドイツ表現主義の作品が多く来日していました。「ルートヴィヒ美術館は1976年の創設の折より、コレクターであるルートヴィヒ夫妻に敬意を表してこの名を冠している。この美術館が収蔵を誇り、ここを訪れる誰もが、その数え切れないほどの素晴らしい作品、つまり、ポップアートから世界第3位のピカソのコレクション、ロシア・アヴァンギャルド、国際的な現代芸術にまで及ぶコレクションを目にできるのも、この夫妻のお陰と言えるのだ。」と図録にありましたが、私はなかなか日本では見られないドイツ表現主義の作品に関心を持ちました。「19世紀末から20世紀初めにかけてのドイツでは、新たな芸術表現を模索する芸術家グループが生まれ、彼らを支える画廊の活動が活発化した。中でも、1905年にドレスデンで結成された『ブリュッケ(橋)』と1912年にミュンヘンで誕生した『青騎士』は、新時代の芸術傾向を提示した点で重要である。ともに19世紀的な写実主義や印象派的な光学的視覚表現を脱しようとした点は同じだが、前者は、人間がもつ根源的かつ原始的な生命力を激しい筆致と鮮烈な色彩で表現しようとし、後者は、あらゆる芸術に通底する共通項を模索し、その過程で西洋的因習的な造形表現の超過を試みて、一部は非具象的傾向を強めた。」とある通り、原始的傾向や非具象的傾向の作品群に、若かった私は心が湧き立った思いが過ぎります。勿論現代から見れば旧知の作風ですが、その時代の革新性が感じられて、20代にドイツのミュンヘンに降り立った私は、遥々ここまでやってきたという何とも言えない感慨があったのでした。60代になった私が現在でもなお、キルヒナーやカンディンスキーを見ると、自分の原点に還っていくようで、自分が表現主義に引き寄せられた理由をもう一度確認したくなるのです。コロナが落ち着いたら、ドイツやオーストリアを再訪したい願望に駆られた「ルートヴィヒ美術館展」でした。
    新聞記事より「穏やかな視線 人間とは」
    今日の朝日新聞夕刊に掲載されていた記事に目が留まりました。タイトルは「穏やかな視線 人間とは」とあって、近代ドイツを代表する彫刻家エルンスト・バルラッハの「うずくまる老女」の大判の写真がありました。先日見に行った東京六本木の国立新美術館で開催中の「ルートヴィヒ美術館展」に「うずくまる老女」が出品されていて、以前からバルラッハが好きだった私は、形態の隅々までじっくり堪能してきました。新聞記事の冒頭の文章を引用します。「ブロンズや大理石が好まれる近代彫刻において、中世ゴシック彫刻に影響を受け、当時廃れていた木彫を復活させた。」とあり、バルラッハは穏やかで朴訥な造形を作り続けていたようです。「バルラッハは1906年、弟を訪ねて第一次ロシア革命直後の南ロシアを旅する。芸術家としての方向性を模索していたこの頃に出会い衝撃を受けたのが、経済的政治的混迷の中で貧困と苦悩にあえぎながらも懸命に生き抜く人々の姿だ。すべての人間は苦悩する存在だとして、『人間』をテーマに生涯、その生命力と諦観が入り交じる表現を追求した。~略~ナチ政権が始まった33年、この老女像は作られた。果たして視線の先にあるものは。バルラッハは『屍の魔女』という別の名も与えている。」屍の魔女とは悲惨な時代を精一杯皮肉ったもので、私は深い宗教性を感じています。内面の強さが現れている「うずくまる老女」に私は暫し時間を忘れて見入ってしまいました。なお、この木彫は木材から直接彫られたものではなく、石膏で模型を作って、それをもとに造形されたようで、作り方は塑像に近いと言えます。いかにも西洋の造形方法で、これは日本の仏像作りとはまるで異なっていて興味深いものがあります。
    22’個展オープニング
    2022年の個展開催になりました。これでギャラリーせいほうでの個展は17回目になります。前にもNOTE(ブログ)に書きましたが、17年間で一度も休むことなく個展が開催できたのは奇跡ではないかと思っています。その間、病気や事故がなく健康を保ちつつ、元気に創作活動に邁進出来たことが、今の私には誇りに思えてきます。制作は薄い紙を一枚ずつ重ねていくようなもので、日々の実践と思索が生んだ賜なのです。時間の蓄積は私に何かを教え、また精神の豊饒を齎せてくれました。その個展ですが、今日は17回目のオープニングを迎えました。私は何度もオープニングを経験してきましたが、常に新作が眼前にあるため、慣れもありません。実のところ満足もありません。日々の実践と思索で言えば、まだ目指すところの途中経過に過ぎず、個展はちょっとしたピリオドでしかないと私は考えていて、ここで一息ついたように感じるのです。組立て終わった作品を見ていると欠点も見えてきます。空間の脆弱なところもあって、今回発表した新作を見ていると辛くもなります。今日から個展会場に一日中私はいるわけですが、自作と対峙しているとかなり疲れます。ここをこうすればよかったという後悔と力量の足りなさに私は苛まれるのです。そんな私の心情とは関係なく、わざわざ鑑賞者が東京銀座までやってきてくれます。これは感謝しかありません。少なくても鑑賞者が来廊して良かったと思える作品を、私は提供したいと思っています。嘗ての同僚や、同じ時代を校長として過ごした仲間が来てくれると本当に嬉しいものです。毎年取材されている美術評論家の方にも来ていただきました。親戚の家族もやってきました。カメラマンもホームページやお礼状に使う画像を撮影していきました。今回のオープニングは、いろいろな人が出入りする中で充実した時間を過ごせました。明日以降も私はギャラリーに通います。