2022.05.05 Thursday
「オットー・ワーグナー建築作品集」(川向正人著・関谷正昭写真 東京美術)を今日から読み始めます。昨日まで読んでいた「ウィーン工房」の関連として本書を選びました。ウィーンの建築家ワーグナーは、ウィーン市内に彼の建築物が点在し、その様式美に特徴があります。私は20代の頃、同地のアカデミーで彫刻を学んでいましたが、街を散策中に目にしたワーグナー建築に感性を奪われていました。本書は図版が中心の書物ですが、ワーグナーの建築動機や時代背景が知りたくて購入しました。序文に収められている文章から引用いたします。「オットー・ワーグナー(1841-1918)の建築は、19世紀の歴史主義と20世紀のモダニズムの重なりの上に成立したものだ。」という冒頭の文章があり、実際に彼は19世紀末から20世紀初頭を生きた建築家であったことが分かりました。「ワーグナーは19世紀の歴史主義が陥りがちだった観念的議論や様式言語の知的操作を一蹴して、現実の要請に自らの身体全体で取り組み、しかもできるだけ実務を体験しながら学ぶという新しい考え方を提示して、実際にウィーン造形芸術アカデミーのプロフェッサー・アーキテクトとしてこの教育システムを実践した。求められるものは、骨格、構造、配置構成、形式に支えられつつも、そこに留まらず、豊かで、生命力にあふれ、つくり手の自覚と個性と確信にしっかりと支えられた建築芸術である。~略~ワーグナーの建築が生き生きと輝き、その美と生命を保ち続けているのは、モダニズムの力だけではない。それはまさに芸術の力と考えるべきで、支えているものを、もしイズム・主義で言い表すならば、モダニズムではなく自由主義であろう。しかも、開かれた自由主義である。開かれた自由主義は、芸術の興隆期・開花期に、歴史上にも度々現れていたではないか。それをワーグナーは、先行する19世紀歴史主義から受け継いだのである。」こうした彼の背景と、私が既読した「ウィーン工房」の誕生が私の中で重なり合い、まさにウイーンはハプスブルク君主国としての最後の栄華に包まれていく運命を辿りました。「開かれた自由主義ゆえにハプスブルク帝国の各地から異なる民族の俊英たちがウィーンに集まり、しのぎを削って、建築を含む世紀末文化に大輪の花を咲かせた。開かれた自由主義は第2世代の時代となり、19世紀が末に近づき、さらに20世紀に変わっても、まだ維持されていた。」序文からの引用はここまでにしますが、本書は第1章から第3章まであって、ワーグナーのそれぞれの建築物の考察とその意味するところが述べられています。ひとつずつNOTE(ブログ)にまとめを掲載していくつもりです。
2022.05.04 Wednesday
「ウィーン工房」(角田朋子著 彩流社)を読み終えました。20代の5年間をウィーンで過ごした私にとって本書には特別な思いがありました。国立応用芸術博物館に展示されていたウィーン工房の製品の数々やウィーン分離派の活動に興味を覚え、クリムトの絵画をはじめ街中に点在するヴァーグナーの建築物を、私はよく眺めていました。美術書を扱う専門の書店で何冊か関連の書籍を購入したものの、当時からドイツ語を読むのが苦手で、私は図版を見ているだけでした。そんな私に「ウィーン工房」(角田朋子著 彩流社)は有難い書籍で、少しずつ内容を噛み締めながら本書を読ませていただきました。私は元来、過剰な装飾を好まず、ホフマンが製作した抑制の効いたデザインにしっくりきていて、ウィーン趣味は全て許容できるものではなかったと思っています。私はそんな構成の妙を己の感性に委ねているところがあるため、本書を読んで、自己感覚へ問いかけることもしてみました。本書のまとめとしてウィーン工房の振り返りの文章を引用いたします。「ウィーン工房には企業としての統一的なイメージが必要であり、その核となったのが、1907年以降、特に1910年代に発展した装飾的デザインであった。これらのデザインにはウィーンのクンストゲヴェルベシューレでのホフマン、チゼックのデザイン教育が重要な基盤となっており、さらに彼らの教育メゾットの根拠は1900年のウィーン分離派による学校改革にあった。このように、ウィーン工房デザインの最大の特徴である装飾性は世紀転換期の芸術刷新運動に遡り、ウィーン工房の誕生と変遷に結びついたアイデンティティであった。」さらにウィーン工房の今日性について触れたところを最後にしたいと思います。「ハプスブルグ君主国の最後の栄華にふさわしいウィーン工房の装飾的造形、そして分離派やオーストリア工作連盟と連携した創作・展示活動は領内の中央ヨーロッパ広域に圧倒的な影響を及ぼし、多くの場所でウィーンを介してヨーロッパのデザイン動向が伝播した。その意味で、帝都のデザイン運動は中欧全体の文化的遺産である。それは今日、共産主義時代を経てEU入りした諸国で政治・経済面に限らず、文化財保護と継承の観点からも地域的アイデンティティ再考の気運が高まる中、彼らの歴史的な共通地盤解明の糸口となる。また、ウィーン工房の幾何学様式から装飾的デザインへの変化はウィーンやパリの装飾文化を大いに発展させた。~略~しかし、装飾が実際には、過去や同時代の芸術的要素の応用による豊かな創造性の発露となったことを認めるべきだろう。装飾の肯定が女性メンバーの躍進を導き、職業としての女性デザイナーの誕生につながった点もウィーン工房の重要な功績である。さらに、装飾と感性的デザインの関係はポストモダンのデザイン手法の先駆として注目される。」
2022.05.03 Tuesday
「ウィーン工房」(角田朋子著 彩流社)の「第七章 1920年代から終焉まで」の後半部分をまとめます。ここでは1925年にパリで開催された「現代産業装飾芸術国際博覧会」でデザインの現象となった「アール・デコ」について触れています。「一般的にアール・デコ様式の特徴として、左右対称、直線と立体、幾何学文様、ならびにプラスチック、鉄筋コンクリート、強化ガラスの使用、大量生産への適合が挙げられる。しかし、実際には左右非対称、流線型、高級素材の利用、古典主義的な貴族趣味も見られ、きわめて複雑で多様な様式概念であった。また、アール・デコは純粋芸術に格上げしようとした装飾芸術がデザイン的なるものに応答する道程にあらわれた現象であり、その契機と目的には生産者・創作者からの意図だけでなく、世界大戦の心的外傷から逃れようとする消費者の趣味や欲望が絡んでいたとも指摘されている。~略~一方、オーストリアのアール・デコの担い手となったウィーン工房では優美な趣味性が優勢であり、大都市の強烈なエネルギーと不可分のパリのアール・デコとは異質であった。」次に博覧会での状況を記した文章を引用します。「最終的にウィーンでは、オーストリア・パヴィリオンは商業面と芸術面の双方で不首尾に終わったと見なされた。~略~博覧会参加を管轄した商務省は、モダニストたちの見方と異なり、ホフマンが偏った趣味の極度にモダンな内装をした点を批判した。~略~芸術面に関する主な批判は、展示作品の手工芸的趣味性が時代に即していないというものであった。~略~記事を書いた記者は、ウィーン工房作品を中心とするオーストリアの出展作品は完全に過去の遺物であると断じている。さらに、装飾が芸術愛好家に過ぎない女性たちによる軟弱な遊戯と見なされ、批判の矛先が女性たちに向っている。」建築家ロースの批判もありました。「ロースは芸術品と日用品を明確に区別し、日用品は徹底して実用的であることが近代性の証であり、芸術との境界が曖昧な一部の金持ちのための美術工芸品は近代的でありえないと主張した。ウィーン工房の審美的な『近代工芸』の欺瞞を糾弾するロースの姿勢は、1900年代から変わっていない。~略~1920年代後半にはロースの有名な講演をはじめ、複数のメディアにウィーン工房の時代遅れの装飾性に対する批判が掲載された。この時期、外部企業との提携が増えたウィーン工房が自社の統一的イメージを維持するうえで装飾性、手工芸性という特徴を前面に出し、実際に女性メンバーがそうしたデザインを得意としたことで、批判が生まれやすい状況が生じていたといえるだろう。」そこに世界恐慌がやってきました。「一度は再建しかけたウィーン工房は、世界恐慌という社会的要因により再び経営危機に陥った。最終的に1932年に会社は解散し、29年の活動の幕を閉じた。メーダ・プリマヴェーシは、莫大な経済的損失を理由にウィーン工房を閉鎖する方が、これ以上芸術的水準が落ちるよりもよかったという趣旨の発言をしている。これは、1903年にウィーンの芸術刷新運動の一環として誕生し、国家的な大変動を経ながらも、美的なデザインを創り続けてきたウィーン工房の自負を言い表したものといえるだろう。」今回はここまでにします。
2022.05.02 Monday
「ウィーン工房」(角田朋子著 彩流社)の「第七章 1920年代から終焉まで」の前半部分をまとめます。この第七章が本書の最終章になります。ここでは敗戦を迎えたオーストリア・デザイン界の状況が述べられています。「第一次世界大戦後、オーストリアは大幅な国土縮小による原料補給地や市場の喪失のみならず、ハプスブルグ君主国という従来の国家の基盤を失った。~略~社会全体で、失業、食糧難、物資不足が人々の日常生活を圧迫した。また、1918年はスペイン風邪の流行により、ヴァーグナー、クリムト、モーザー、エゴン・シーレらウィーン・モデルネの重要人物が一斉に亡くなったオーストリア文化史上の節目の年でもあった。」ではそんな時代のウィーン工房はどうだったのかをここで論じています。「終戦約一年にわたりオーストリア工作連盟は新たなデザイン活動の方針をめぐり混乱していた。しかし、戦前からのウィーン近代デザイン運動の主要な担い手は戦後ラディカルな創作活動へは転じず、従来の趣味性を急速に変えることはなかった。ウィーン工房は、一方では設立者たちの友人、知人、親戚を中心にウィーンの文化エリートサークルを活動基盤とし、短期間で『ウィーン趣味』を国内外に認知させた。他方で、彼らは諸外国の工芸関係者とも積極的に交流し、特にドイツのデザイン関係者との連携は全活動期間を通じて活発であった。~略~戦後ウィーン工房がドイツで活躍した前提として、戦前からドイツのデザイン関係者や市民たちがウィーンと類似の趣味性を有していたことが重要である。彼らは戦後も引き続きウィーン工房製品を受容した。もう一つ重要な点は、新共和国成立後のオーストリアにおける親ドイツ的傾向である。~略~新共和国の近代デザイン運動の方向性をめぐる対立や葛藤は、ウィーン工房ではなくむしろオーストリア工作連盟の活動において浮上した。ウィーン工房は1918年から1920年代初頭の社会的・経済的混乱期を、豊かな創造力の源となった理想主義と一企業としての現実感覚のバランスによって乗り越えた。」文章としては前後しますが、ホフマンの建築の特徴について述べられている箇所がありました。私も実際にウィーンで目にしたホフマンのデザイン観に美しさを感じたので、引用したいと思います。「ホフマン建築の特徴の一つである空間の余白は、1900年頃の展示会場構成に見られる神秘的空間と異なり、開放的なモダニズム時代の空間感覚と一致している。即物性と身体性、合目的的フォルムと装飾の併存は、ヴァーグナーのウィーン郵便貯金局、シュタインホーフ教会をはじめとするウィーン近代建築の系譜に連なる。」私はこの空間感覚が大好きなのです。今回はここまでにします。
2022.05.01 Sunday
今日から5月です。工房は緑に囲まれているので、まさに青葉繁れる5月になったという感想を持ちます。ゴールデンウィーク前半の天候は日によって晴天と雨天が繰り返されていますが、凌ぎ易い気候になったことは確かです。さて、5月初日に、今月の創作活動についてその目標とするところを書いてみようと思います。今月は例年の通り、図録用の写真撮影を予定しています。予定では撮影日を5月22日(日)にしています。自分としてはもう少し早い日程で行いたかったのですが、現行の新作に思った以上に手間がかかっているのです。新作は現在まだ終わっていません。ゴールは見えていますが、なかなか思うようにいかないのです。昨年4月から創作活動一本になったため、もう少し余裕が持てると信じていました。ただ、今まで違うのは来年の作品に併行して取り組んでいるところです。図録用写真撮影が終われば、私は一段落して次のステップに進めると思っています。私の場合は7月個展が次へのステップではなく、まさに今月が作品の切り替わる時なのです。そういう意味では気分高揚のための鑑賞が重要になってきます。今月も美術館や博物館に出かけていこうと思います。新型コロナウイルス感染症がもう少し落ち着けば、映画館や劇場に足を運びたいと思っています。旅行はまだ望めないものの、自宅と工房を行き来するだけの閉塞感を何とか打破したいと願っています。作品の発想が内面に向うことが多い私は、精神的に雁字搦めになることがあり、空間を柔軟に捉えられなくなる嫌いがあります。外に向って溌溂とする世界観を持ちたいと常日頃から私は思っていて、若い頃にリュックサックを背負って西欧各地を気軽に旅していた時代を今も夢で見るのです。荒涼とした丘を登ったら、眼前に石造りの円形劇場が広がっていた風景に感嘆の声を上げていたあの頃に戻ってみたいのです。そんな思いに駆られながら新作の仕上げを頑張ろうと思っています。