2022.05.24 Tuesday
「美学事始」(神林恒道著 勁草書房)の第一部「美学と美術史」のうち「3 岡倉天心と美術史学の形成」について前半部分をまとめます。ここでは天心が東京美術学校で講じてきた「日本美術史」や「泰西美術史」の内容について論じています。その動機付けとなった文章を引用いたします。「天心が企てた日本美術の再興という運動は、しばしば誤解されてきたファナティックな国粋主義とは異質なものである。それは今日的な視点からすれば、『文明開化』の名の下に強引に押し進められた、当時の根無し草的な欧化主義に向けられたひとつの文明批評であったと見ることもできる。」天心の言葉も含めて、その内容を書いた箇所がありました。些か長い引用になりますが、御容赦ください。「天心の最初の『美術史』であり、芸術的精神の自覚史として構想された『日本美術史』に及ぼしたヘーゲル的進化思想の影響を確認していこう。天心は日本美術史の時代を区分して次のように説いている。『日本美術史を大別して、古代、中世、近世の三時代となし、古代は奈良朝、中世は藤原氏時代、近世は足利氏時代とす。奈良朝は彫刻を以て成り、最も理想的の観念に富み、其の仏教の性質は小乗にして、人界と仏界とは近からざるものとなせるを以て、其の仏像は人間以上高尚のものを以て成れり。…中世美術は感情的にして、人間の情に因て生じ、其の宗教は密教を主とし即身成仏を説き、人間も仏の情あり、仏も亦人間の情ありとなし、人仏の間は遠からざるものとせり。…而して此の余流を組みて鎌倉時代を成し、之れ亦感情の美術なり。…足利氏に至りては、藤原時代の感情的は一転して自覚的となり、自ら其の物を覚りて作る。日本美術は理想、感情、自覚の三性質ありて、自覚的の思想は、今日に至る迄、殊に維新前迄尚ほ日本美術を支配し、探幽の如き此の思想に支配せられ、近時に至りて応挙出でて写生を以て変化を試むも、亦此の思想中にあるものなり。…之を要するに、奈良期は理想的にして壮麗なり。藤原氏時代は感情的にして其の極優美なり。足利氏時代は自覚的にして高淡なり』この日本美術史における小乗仏教の『人界と仏界とは近からざる』ことから生じる理想的美術から、浄土信仰に基づく大乗仏教の『人間も仏の情あり、仏も亦人間の情ありとなし、人仏の間は遠からざるものとする』ところから生じる感情的美術を経て、禅宗の『自ら其の物を覚りて作る』自覚的美術に至る歴史的展開に、ヘーゲルがその美学で説いた絶対的精神の自覚のプロセスが仏教思想に形を変えて読み込まれているのではないか。」今回はここまでにします。
2022.05.23 Monday
「美学事始」(神林恒道著 勁草書房)の第一部「美学と美術史」のうち「2『日本の美学』の形成」についてまとめます。「エキゾティック・ジャパンに憧れて来日した、明治政府のお雇い外国人の一人であったフェノロサが、京都奈良方面に旅行したそのおりに、当時『廃仏毀釈』のあおりを受けて打ち捨てられ顧みられることのなかった古仏に出会い、日本の伝統的美術の素晴らしさを再発見したということである。」これらが動機になってフェノロサは「美術真説」という日本美術擁護論を立ち上げたのでした。ここで登場する概念に「妙想」があります。「『妙想』には『アイジア』とルビがふられているため、しばしば『アイデア』、つまり『着想』と単純に混同されるところだが、今日ならば、むしろこれは美的『理念』とでも訳されるべきものだろう。フェノロサによれば、昨今の西欧の画家の多くは実物を模写することに傾き、妙想の表現がおろそかとなり、『理学ノ一派』に過ぎざる状況に陥っている。これに較べるならば、写実をあえて求めない日本画は妙想の表現において優れているというのである。~略~これまでの外からの日本『美』の発見から、内からの『日本』美の自覚へ向けての変化が生じてきたのは確かだろう。この『日本』美の自覚への転換は、『美術』と翻訳された西欧的な『アート』の観念をそのまま鵜呑みにするのではなく、日本あるいは東洋の固有の芸術観に照らして改めて『美術』とは何かを反省するところから始まったのである。」さらに岡倉天心が東京美術学校で講じた「日本美術史」に西洋との比較論がありました。天心の言葉を引用いたします。「西洋画は彫刻と共に進み、東洋画は書と共に進んだ。であるから東洋画は、西洋画の陰影を用ひるに反して、線の大小を以て、自らこれを現はすのである。『諺に曰く、書を能くするもの、画を能くする』と。故に筆力は、東洋絵画の基本となり、以て古今を貫くものと言ふことが出来る~略~東洋芸術は絵画的で、西洋芸術は彫刻的な味がある。東洋芸術は線であり、西洋芸術は造形の表現に興味を抱く。東洋芸術は二元を表し、西洋芸術は三元を表わす。初期イタリア人の時代からの西洋絵画は光と影とで表現する。東洋に於ては、宋朝以来墨の濃淡の配合に、より以上の意味が与えられたが、而も東洋芸術は線を以て起源としていることは真理であった。過去に於ては、書芸と絵画は同一であったと言う。~略~そして絵画に於て、運筆は我々の自然観と大いに関係する。描写の技倆の美しさはただ単に実際の対象を描く技能にあるのみではなく、筆勢に秘められた抽象の美にあるのである」今回はここまでにします。
2022.05.22 Sunday
1週間前までは雨の天気予報が出ていましたが、今日は予報が動いて朝から好天に恵まれました。青空に雲が棚引き、この大空を何とか撮影に生かせないかカメラマンに相談しました。今日は17回個展に向けた写真撮影日で、工房を利用している若い世代の人たちも助っ人に工房に呼んでいました。十代の女子たち3名、後輩の男性彫刻家、家内と私、それにカメラマンの男女2名を加えて、総勢8名で作品の撮影に臨みました。私の作品は陶彫部品を組み合わせた集合彫刻で、今回の新作はそこに木工部品の組み合わせも加わり、かなり組立てに手間のかかる作品になっています。全体作品を眺めるのは写真撮影日が初めてになり、作品の出来不出来がそこで実見されて、内容があらわになるのです。組み立てをするのは今日以外では7月の個展搬入日になり、撮影が終われば、作品は解体して梱包や木箱に詰めてしまうのです。写真を撮影してそれを図録として作成することは、私にとって大変重要なことで、作品が目に見えるカタチとして見せられるのは図録しかないのです。今日は朝10時半から野外工房で作品の組み立てを始めました。「発掘~崩層~」と「発掘~灰壁~」を組み立てる途中で、スタッフ全員による作業風景をカメラマンに撮影していただきました。作品が組立て終わると、カメラマン2名で打合せをしながら作品の全体写真や部分写真の撮影が始まりました。昼食は宅配ピザを注文しています。これは毎年のことで、全員で作業台の食卓を囲みました。午後は工房を片付けて、作品を一度解体して室内に移し、そこでまた組立てて撮影を始めました。このスタッフたちが作品の組立てや解体に慣れてしまうおかげで、個展搬入はスムーズにいくのです。午後になって工房内は結構暑くなりました。私は連日の制作の疲れが出て、身体の動きが鈍くなりましたが、若い世代の人たちの頑張りで何とか無事に撮影が終わりました。私はホッと胸を撫で下ろしました。残りの作業は作品に修整を加えることと梱包です。個展開催まで2ヶ月弱ありますが、もう一息頑張っていきたいと思います。今日手伝ってくれた皆さんに感謝です。有難うございました。
2022.05.21 Saturday
明日は個展図録用の写真撮影を予定しています。毎年この時期に撮影をしていて恒例行事のようになっています。私が作っているのは集合彫刻のため、組み立てるのに人の手も時間もかかり、とても厄介な産物ですが、この完成形を見るために日々努力してきたと言っても過言ではありません。実は個展図録用の写真撮影によって、私は初めて作品を組み立てて、それを眺めることが出来るのです。私にとってはその成果を見る最初の機会なのです。その日が明日やってくるので、今日は撮影前の最終チェックをしていました。まず、陶彫部品や木工土台にサイン代わりの印を貼り付ける作業がありました。印には番号をつけているので、陶彫部品とそれが置かれる場所に同じ番号の印が貼ってあるかどうかの確認も併せて行ないました。木工土台の砂マチエール施工や油絵の具の滲み込み作業が細部まで出来ているかどうか、陶彫部品に罅割れ箇所がないかどうか、作品が大きく、しかも多岐にわたっているので、チェックだけでも相当な時間がかかりました。夜は自宅に戻って、図録のレイアウトを考えました。私は図録のサイズや頁数を毎回同じものにしています。図録のカタチは正方形で、撮影は工房の野外と室内の両方で行なうことを基本としています。毎回変わり映えのしないものになってしまいますが、新作が常に新しい主張をしているので、代わり映えのしないものでも、新しい世界がそこに登場してきます。あとはカメラマンにお任せです。私は敢えて細かい指示は出しません。カメラマンも私と同じアーティストであって欲しいのです。他者の視点が入ることで、私の作品はまるで異なる顔を見せます。明日はそこにも期待をしたいと思っています。
2022.05.20 Friday
「美学事始」(神林恒道著 勁草書房)の第一部「美学と美術史」のうち「1 岡倉天心の芸術思想」について、後半部分をまとめます。明治15年に美術における開花主義と伝統主義の最初の衝突がありました。それは当時洋画界の重鎮であった小山正太郎と岡倉天心の当初は書道を巡る論争で、そこから転じて美術の本質を捉えようとした天心による見解の根本を問うものでした。「工部美術学校の流れを汲む小山が、『美術の利益を一般の工芸に比し』て論じた功利主義的主張に反発して、天心はこれを『利欲の開花主義』であると論じ、『道徳の心を損じ、風雅の情を破り、人身をして唯一箇の射利器機たらしむ』ものだと非難したのである。いうまでもなくこの論争は、先に述べたフェノロサの『美術真説』によって提起された問題の延長戦上にある。」とはいえ、天心は西洋画を認めなかったわけではなさそうです。「天心は西洋画を頑迷な国粋主義者のようにやみくもに排除しようとしたのではなく、その優れた点は大いに参考にし、これを取り入れることによって新たな芸術創造のための糧にすべきことを説いているのである。」実際、美術学校設立に際して、天心は取調委員としてヨーロッパに渡り、多くの美術館を実見し、ヨーロッパの美術界の動向についても最新の情報を得ていたようです。「天心の物質主義対精神主義という文明観は、確かに西洋対日本、さらに西洋対東洋という形で、西欧から押し寄せた文明開化の波に呑み込まれようとしていた伝統的文化についての危機感と、勃興しつつあった国家主義的意識によって増幅されているとはいうものの、この天心の思想は、より普遍的な近代文明批判という観点に立った、国際的な視野の広がりを持つものであったと言うことができるのではなかろうか。」次の単元は日本における美学の形成を扱っていて、日本美の再発見に纏わる論考が展開していきます。今回はここまでにします。