2022.03.24 Thursday
「九州の民俗仮面」(高見剛 写真・高見乾司 文 鉱脈社)の「中国少数民族の仮面文化」をまとめます。本書は九州の仮面を扱う内容に特化していますが、今回の章だけは中国の仮面を取り上げています。著者高見乾司氏の同級生が中国での事業を展開していて、その契機から著者が中国少数民族と関わりを持ったエピソードが語られていて、仮面文化の起源を訪ねた貴重な文章になっていました。「中国の古代王朝は『夏』『殷』『周』と続くが、歴史に仮面文化の原型が記されるのは、『周』時代の記録書『周礼』、前漢時代の記録書『韓非子』などである。それによれば、『夏』の王『黄帝』は、『鬼神を泰山の上に集め、象に引かせた車に乗り、六頭の龍をつなぎ、木の精の”畢万”が車の横につき、軍神の”蚩尤”が先導をつとめ、風の神の”風伯”が道の塵払いをし、雨の神の”雨師”が道を洗い清め、虎や狼は前方におり、鬼神は後方におり、蛇は地を這い、鳳凰は空を覆った』となっていて、このころすでに『鬼』の観念や『五行』の思想、『儺』の儀礼などの原型があったと考えられる。」著者は四川省で観た劇について日本との関連を考察しています。「ある一夜、『青羊宮』に隣接する劇場で開催された『四川劇』を見た。四川劇は、四部によって構成されており、『雑技』と呼ばれる曲芸、日本の『狂言』にも通じる風刺劇、日本の文楽人形に似た操り人形がさまざまな芸をする『木偶伎』に続いて、『変面』と呼ばれる仮面劇が始まる。変面とは五色の仮面をつけた舞人が一つの所作をするたびに瞬時に仮面が変化する演技である。五色の仮面は、日本の神楽のような所作をしたり、火を吹いたり、派手なパフォーマンスを繰り広げたりする。あきらかに『五行思想』の影響を受けた演劇である。~略~私は中国の仮面文化がこのようなかたちで伝承されており、脈々と生き続けていることに感動し、九州から四川省・成都への旅が日本の仮面の起源を訪ねる旅となったことを確信したのである。」今回はここまでにします。
2022.03.23 Wednesday
「九州の民俗仮面」(高見剛 写真・高見乾司 文 鉱脈社)の「南九州の『信仰仮面』」をまとめます。「『信仰仮面』は『王面系』『獅子面』『来訪仮面』(南西諸島や本土の一部にみられる来訪神)の一群に分けられる。『王面系』はさらに御霊鎮めの面、神社の柱や壁に掛けられる掛け面などの『王面』と、依代・先導・先払いなどの役割をもつ『神王面』に分けられる。神王面はさらに『猿田彦』の系統と、ただ単に鼻が大きいだけの『王鼻』や眼球が飛び出ている『飛目』、弥五郎どん、大王殿などの大型面に分類される。『芸能仮面』は神舞面を主流とし、能面や南西諸島などの野外舞踏仮面がこれに入る。~略~『王面』とは、額または裏面に『王』の文字が刻字または墨書された仮面をいう。その多くは表情の厳しい鬼面型であり、大きさは10センチメートルほどの小ぶりのものから40センチメートルもある大型のものまである。」こうした仮面にはどんな機能があったのか、引用いたします。「神の依代としての機能、修験道や御霊信仰と混交した呪術的機能、神域を守る守護面としての機能などを持ったものなどが多い。」私が気に留めた王面に関する箇所を挙げます。「王面には、『火の王・水の王』と類似するものもある。~略~熊本県小川町日吉神社の『面取り神事』は、神社本殿に飾られた『火の王(赤)・水の王(青)・風の王(緑)』の面を、目隠しをされた子供が無作為に取り上げ、その取った面の色によってその年の天候=農事を占うという神事である。」また隼人族に関する伝承にも私は興味を覚えました。「デオードンや弥五郎どんは、いずれも40センチメートルから70センチメートルもある大仮面である。その弥五郎面が、4~7メートルもある大人形につけられ、祭りの行事を先導する。弥五郎どんは、行列を先導したあと、境内または村の境に立つ。弥五郎は『隼人の首領』とも伝えられ、先住民古代隼人族の習俗を残す事例である。弥五郎面は、人形につけられる大仮面のほかに神社に奉納される弥五郎面がある。御霊鎮めの呪力のつよい面である。弥五郎面は猿田彦面、王面との共通項をもつ。」今回はここまでにします。
2022.03.22 Tuesday
「九州の民俗仮面」(高見剛 写真・高見乾司 文 鉱脈社)の「神楽と仮面」をまとめます。そもそも神楽とは何か、これに関する文章を引用いたします。「『神楽』の語源は『神座=かみくら』であり、神を招き、神と遊ぶことが神楽であった。すなわち、山の神祭りも、田植えの祭りも『神座=神倉=鹿倉=カグラ』であった。」さらに古代中国にあった五行思想の影響を受けているという考察もありました。「神楽における五行思想の影響とは、穢れすなわち陰の気を、潮水で洗うことによって陽の気に復元する『禊祓い』、五万の神に天地安寧を祈願する『神迎え』、御神屋の中央天上を飾る『天蓋』や切り飾り、五色の御幣、四神による剣の舞、五方の神による『五穀舞い』『五龍王=五郎王子の舞い』『鬼神の舞い』などがある。~略~五行の思想は周から春秋・戦国時代ごろ発生し、日本にも伝わり、古代出雲文化圏を中心に伝えられ、出雲神楽や備中神楽、出雲神話などとともに語り伝えられていたのではないか。」大陸から伝承したものが日本でカタチを変えて現在の姿になったことは充分頷けます。「神楽と仮面、芸能史と仮面の普及などを考えるうえで、修験道と神楽の関係もまた重要な位置づけとなる。修験道とは、日本列島の基層文化である山岳信仰や巨石信仰などと渡来の五行思想、道教、密教などが混交し、仏教とも習合して体系化された宗教である。全国の多くの高山が修験の霊地とされ、厳しい峰入り修行を行い、験力を獲得した修験者=山伏たちは、『神』『天狗』『山人』などとして信仰を集め、畏怖される集団となった。~略~修験道の中核は『峰入り』であり、山岳に入り、修行し、『生まれ清まり』を経て里へと回帰する『擬死再生』の儀礼である。その過程や修行の終了時などにさまざまな芸能が奉納されたのである。これが『神楽』であった。」今回はここまでにします。
2022.03.21 Monday
昨年の10月10日付のNOTE(ブログ)に同じタイトルの文章があります。後輩の彫刻家である長谷川聡さんから自作の2回目の写真撮影を相原工房でさせて欲しいというお願いがあり、今日はその撮影日でした。彼にとっては制作上の転機となるかもしれない仕事場の移転、それに加えて旧作の写真撮影とあって、私は申し出を快く引き受けました。昔から懇意にしているカメラマンにもお願いして、今日の撮影となったのですが、天気も気候も良くなって、格好な撮影日和となりました。彼の作品は幾度となくこのNOTE(ブログ)に書いていますが、技法は木彫です。当初は合板を使って造形していましたが、一木造りも始めました。木彫は奥が深く、樹木の豊富な日本では仏像に優れた木彫作品が見られます。私は運慶派の木彫が好きで、それは仏像というより西洋彫刻に近い解剖学的な人体解釈があります。長谷川さんの世界は、説明的な要素を削り取った抽象性を創作の中心に据えていますが、たとえば植物のもつ成長的な捻りや水のもつ水滴などを具現化しているため、決して冷たい抽象ではなく、自然の現象を捉えたものだろうと思います。そうした作品だからこそ野外工房での撮影が効果を生むのです。私たちの周囲にある自然をよく観察すれば、さまざまな表情が読み取れます。自然の中に存在する植物や水などの素材を一瞬切り取って造形化することは、鑑賞者に憩いを与え、また作品を取り囲む空気を感じさせる要素があると私は考えます。撮影の最後に、最近彼が挑戦したアルミニウムによる彫刻作品もありました。まだ彼は若い彫刻家であるだけに、素材への挑戦は積極的にやって欲しいと思いました。
2022.03.20 Sunday
週末はその週を振り返るのが定番になっています。制作状況のことをほとんどNOTE(ブログ)に書いていないので、まとめて週末に書いているのです。この1週間は2日間だけ工房に行かない日がありました。水曜日は神奈川県立金沢文庫に行って「春日神霊の旅」展を見てきました。同じ横浜市に住んでいながら滅多に行かない金沢文庫でしたが、以前に運慶派の仏像を見に行った記憶があります。なかなか地味で渋い美術館で、しかも事前予約が必要とあって、まさかそんなに人が訪れるのかと高を括っていましたが、結構多くの鑑賞者がいて驚きました。展覧会の話題性によるものかなぁと思いました。金曜日は実家の建て替えによる地鎮祭を行いました。その足で墓参りをして先祖に建て替えの報告をしてきました。我ながら信心深いなぁと思いましたが、土地には守護神がいるということをどこかで聞いたことがあります。それは先祖が田畑を耕していた頃の話で、僅かに残存する伝承文学の世界かもしれませんが、そうした摩訶不思議な世界観は、アートをやっている私としては嫌いではありません。科学では説明のつかない世界は、私にとって魅力的なのです。アートも意味を考えれば、魑魅魍魎が跋扈する世界とそんなに変わるものではありません。そのアートですが、工房に行った日がいつもより少なくて、新作一層目の厚板に刳り貫き作業をやっていただけでした。時間のかかる地道な作業ですが、こうしたコツコツした仕事が最終的には効果を齎すものです。明日は後輩の彫刻家が工房にやってきて、彼の作品の写真撮影を行う日です。そんなこともあって、ここ数日は制作工程的には足踏みが続いていますが、こればかりは仕方がありません。私の花粉症もピークを迎えているので、制作が滞るくらいがちょうどいいのかもしれません。