Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • 創作一本になった4月を振り返る
    今日は4月の最終日なので、今月の制作を振り返ってみたいと思います。今月の大きな出来事は、長年続いた教職公務員との二足の草鞋生活にピリオドを打って、創作活動一本になったことです。これは自分の生涯の転機ともなることで、今月をどのように過ごしたのか、その中で何を考えたのかが、今後の私の人生の指針になるだろうと思っています。4月は30日間ありましたが、工房に行かなかったのは2日だけで、残り28日は工房で作業をしていました。2日間とは、東京の美術館や博物館に展覧会を観に出かけた日で、工房では窯入れをしていました。今日も陶彫部品を窯に入れて焼成中でしたが、照明をつけずにタタラを数枚作っていました。今月はそこまで制作に熱中し、只管邁進していたのですが、制作工程は思うように進まず、多少の焦りがあります。体力がなくなっているのに気づき、今月から体調維持のために近隣のスポーツ施設に水泳に通い始めました。校長職にいた時と明らかに違っていたのは神経の使い方で、両肩から重責が落ちて随分楽になりました。しかしながら身体の疲労は蓄積していて、朝起床する時は筋肉痛に見舞われています。朝9時には工房に出かけ、夕方3時くらいまでは作業をしていましたが、昼ごろに水泳に出かけた後の作業は辛いものがありました。新作の陶彫部品はまだ足りず、来月も木彫と併行して陶彫もやっていく所存です。展覧会の鑑賞は「古代エジプト展」(江戸東京博物館)、「ライゾマティクス_マルティプレックス」展、「マーク・マンダースの不在」展(両方とも東京都現代美術館)、「あやしい絵展」(東京国立近代美術館)、「灯りの魔法」展(横浜人形の家)、その他に先輩画家による個展にも足を運びました。映画では「シン・エヴァンゲリオン劇場版」(TOHOシネマ鴨居)、「JUNK HEAD」(シネマジャック&ベティ)を見てきました。1ヶ月の鑑賞としては、かなり充実していたように思います。コロナ渦の中で現在休館をしている美術館等もあって、自分はそのちょっと前に滑り込んだ展覧会だったため、思い立ったら即座に行くのが良いのではないかと思っています。RECORDは遅れ気味で、何とか挽回していきます。読書はゴーギャンの彫刻に関する書籍と仏像の解説書を読んでいて、どちらも楽しいものばかりです。来月も頑張ろうと思います。
    昭和の日 連休の始まり
    今日からゴールデンウィークが始まりますが、隣接する東京都に新型コロナウイルス感染が広がり、緊急事態宣言が出されているため、連休中も外出は避けるように各自治体では言っています。私のいる神奈川県でも感染者は少なくありません。連休といえども私も遠出は止めようと思っています。私には工房での創作活動があり、7月の個展に向けて新作の制作に奮闘しているところで、連休はこれに費やそうと思います。さて、今日は昭和の日です。元々今日は昭和天皇の誕生日でした。元号が平成に変わる時にみどりの日となり、このみどりの日が5月4日に移動して、昭和の日となりました。教職公務員との二足の草鞋生活を続けていた私にとって、この連休は貴重な陶彫制作に没頭できる日々だったため、毎年制作目標を決めて頑張っていました。その慣習は数十年も続いたので意識は変えられず、今年も特別な精神状態になっています。それはそれで歓迎すべきことだなぁと思っています。工房に出入りしている美大受験生たちも連休中は遊びにも行けず、しかも予備校が休みを取るので、ずっと工房にやってくるようです。私は今月は陶彫制作に明け暮れていましたが、乾燥した陶彫部品を窯に入れる機会が少なく、そろそろ焼成しないと次に進めない段階になったので、今日は陶彫部品2点に仕上げと化粧掛けを施し、夕方窯入れを行ないました。明日は照明等の電気は使えなくなりますが、自然光の中でタタラの準備くらいは出来ると思っています。自宅で遅れたRECORDを挽回しようと思っていたので、明日はその計画でいこうと思います。
    「第一章 如来-真理を悟った無上の仏さま」について
    現在読んでいる「仏像図解新書」(石井亜矢子著 小学館新書)の最初に登場するのは如来です。「如来という言葉には、『修業を完成した者』という意味がある。サンスクリット語の原語を直訳すると、『真実から来た者』、厳しい修業を積んで悟りを開いた、仏の称号のなかでも最高のものだ。釈迦のことを仏陀とよぶが、もともと仏陀という言葉は、釈迦だけでなく真理を悟った者すべてを指すものものだった。広い意味での仏陀の呼び方のひとつが如来。~略~如来の特徴のひとつに、装身具の類は一切身につけないということがある。必要最小限のいたって簡素な姿をするのが如来であり、これは出家したときにすべてを捨てた釈迦の姿に由来しているという。」次に本書では代表的な如来を挙げています。まず釈迦如来。「如来グループの筆頭であるばかりでなく、すべての仏像の原点が、釈迦如来である。」2つめは薬師如来。「仏像では、病気平癒や延命を願ってつくられたものが圧倒的に多い。」3つめは阿弥陀如来。「この世で幸福が望めないなら、せめてあの世では極楽へ。そんな祈りを込めて、平安貴族たちは争うように阿弥陀像を造立した。」4つめは弥勒如来。「弥勒は、釈迦が入滅した56億7千万年ののち、仏法が廃れている末法の世に、兜卒天から地上に降り立つという。釈迦に次いで如来となったのが、この弥勒。」5つめは毘盧遮那如来。「釈迦が説いた教え、仏法そのものがかたちとなってあらわれた尊格が毘盧遮那如来である。」奈良にある東大寺の大仏は正式名を盧舎那仏というので、このグループに入ります。6つめが大日如来。「密教世界の中心に存在する最高の仏、絶対的な存在が大日如来である。」以上が代表的な如来ですが、仏が備える尊い特徴として三十二相があり、意思をあらわす手指の形として仏の印相、または手印と呼ばれるものがあります。私が寺院を訪れて注目するのが光背で、仏の背後に据え、尊さを視覚化していて、精緻な透彫りが見事なものが数多くあります。火炎のデザインなど私が自作に応用しているものもあります。仏の座り方も注目に値するもので、結跏趺座(けっかふぎ)というものがもっとも安定した座り方のようです。座法ではありませんが、横臥という横たわった釈迦の姿があって、それは入滅した時の釈迦の姿で、涅槃というすべての束縛から解脱した境地に至ったことを意味するものだそうです。普段眼にしているもののきちんと学んだことがなかった仏像の知識ですが、次回は菩薩のことを学んでいこうと思っています。
    横浜山下町の「灯りの魔法」展
    横浜山下町にある人形の家で「灯りの魔法 魅惑のドールハウス」展が開催されています。家内がその情報を仕入れ、是非見に行きたいと言ってきたので、今日の夕方になって横浜人形の家に行ってきました。家内は美大で空間演出デザインを学び、またウィーン美術アカデミーでは舞台美術を学んできたので、ミニチュアの舞台装置とも言えるドールハウスが大好きなのです。「灯りの魔法 魅惑のドールハウス」展には海外の作品ばかりではなく、日本人作家による作品も展示され、見応えのある展示になっていました。同展のパンフレットに「本展では18世紀後半に製作されたアイルランド・ロンドンデリーの博物館に所蔵されていた『ハスケルハウス』や、1843年に製作され有名オークションカタログの表紙を飾るなど話題となった『ミリガン家の肉屋』のほか、〈灯り〉をキーワードにヨーロッパやアメリカ、日本のドールハウス作品をアンティークから現代まで幅広く展示いたします。」とありました。ヨーロッパ発祥のドールハウスの雰囲気としては、欧米の作品に軍配が上がりますが、日本人特有の器用さと緻密さが生かされた和製ドールハウスにも一見の価値はあると思いました。展覧会の中で一角を占領していたのはディビッド・スカルファーによる数点の作品で、灯りが仕込まれた古い街角に西欧の情緒が織り込まれ、日用品が乱雑に置かれた室内や、外に続く石畳や拉げた建造物などは、ずっと見ていても飽きのこない世界だなぁと思いました。ディビッド・スカルファーはイギリス生まれで、演劇関係の家庭で育った彼は、30年間ロイヤル・オペラカンパニーなど名立たる劇団で舞台装置製作に従事した後、ドールハウス作品の製作をスタートさせたようです。これを見ていると、私は40年も前にウィーンの国立歌劇場の立見席で見た数々のオペラの舞台を思い出し、写実的な舞台装置が醸し出す西欧の陰影の齎す雰囲気に、日本とは違う文化を感じ取っていました。当時はその雰囲気が大好きで、朽ちた石壁に葡萄の蔓が絡まる世界に浸っていました。自分がその文化に同化できないことを知って、そこから日本人としての美意識の確立に向かったのでした。「灯りの魔法 魅惑のドールハウス」展では奇しくも過去の自分とも向き合う結果になりましたが、午前中は工房で陶彫制作に集中していたので、西欧情緒に流されない自我を再認識することになりました。
    版画集「予感の帝国」について
    先日、大きな企画展を見に行った東京都現代美術館で、「Tokyo Contemporary Art Award2019-2021受賞記念展」が開催されていて、風間サチコ氏の代表作となる巨大な木版画が数多く展示されていました。私はその大きさにも圧倒されましたが、テーマとしている現代社会の虚飾やブラック・ユーモアにも心を震撼させる表現があり、強く印象に残りました。早速、私はギャラリーショップで風間氏の版画集「予感の帝国」を買い求め、折に触れこの独特な世界観を味わっております。私は木版画には思い入れがあり、彫刻を学び始めた20歳の頃に木版画もやっていました。私はドイツ表現派のモノクロ木版画を見て、その表現の強さに惹かれましたが、風間氏の木版画で描かれる世界観はさらに進んでいて、社会的なテーマの中に毒を含んだ辛辣な表現が見受けられます。それは独裁主義的な傾倒表現があったり、宗教を連想させる大きなものから、寂れ鄙びた下町の横丁を連想させるものがあったりして、描かれた世界の幅の広さにも驚かされます。版画集に寄稿された論考から引用いたします。風間氏の世界観をニーチェの超人思想から読み解き、永劫回帰に至るところで、こんな文章がありました。「今この瞬間ばかりではなく、何度も回帰することを前提に、風間は作品を制作している。それは、作品の中で愚行の歴史が繰り返される有様を描いてきたからだろう。自らも歴史の舞台に回帰しつづける、そして人々の忘却の後に作品が発見されたときにはもっと大きな爆発となるのだという信念が窺える。~略~日本近代の歴史を振り返ると、芸術のテロリストたちは、いずれもその人生の間に失敗してきた。軍国主義化する時代に抗して、自由を訴えることは、誰もできなかった。そして、狂信的な愛国心を持った人々や格差や差別を推し進める人々が、大きな影響力を持ち、不穏で息苦しい社会を作り上げる、というのは現在進行形の話だ。それでも、風間は、この社会に対してトンチや知恵をきかせた『高度な戦い』が必要だと前向きに言う。」(足立元著)風間サチコ氏の木版画は今後どのような思想を展開していくのでしょうか。私は注目し続けていきたいと思っています。