2021.05.15 Saturday
今年の7月個展に出品する大きな新作2点のうち、陶彫部品を伴わないテーブル彫刻を現在制作しています。その新作はテーブル部分では文様を刳り貫き、それを有機的な形態を持つ4本の柱で支える構造を持つ作品です。今週の月曜日から今日まで4本の柱に木彫を施していました。今週は一切陶彫をやらない1週間で、私は木屑まみれになりながら、朝から夕方まで工房で過ごしていました。私が主に使う道具はチェンソーと丸鑿です。彫りは大雑把にチェンソーで削ぎ落とし、残りは丸鑿でコツコツ彫っていきます。丸鑿の刃幅は42ミリあって、専門店でないと扱っていないものです。東京浅草の専門店で随分前に購入したものですが、それからずっと愛用しています。粗彫りが出来たところで、丸鑿は刃幅の小さいものに替えて、彫り跡をそのまま残すような切れ味を見せる方法を取っています。私はごつごつした彫り跡が好きで、滑らかに仕上げることに抵抗があります。木材に塗装をすることもしません。彫ったままというのが私のやり方ですが、旧作には一部を炙って炭化させたものもあります。現在作っている新作の柱は彫りっ放しにしようと決めました。テーブル部分は油絵の具を滴らせて、文様に色彩を加えていきます。何とか今日で柱の粗彫りが出来て、全体の雰囲気が現れてきました。そんな状況を眺めていたら、突如として、この完成形が崩壊していくイメージが湧いてきました。これは来年の作品かなぁと思っていますが、今日降って湧いたイメージを温めていくと、来年は崩れかけた作品を作ることになりそうです。確かに今年の作品は冒険がないのが気に入らないと言えばその通りで、陶彫部品による集合彫刻にも意外性が欠けているかもしれないと、以前のNOTE(ブログ)に書いた記憶があります。個展は今年で16回目、制作キャリアはそれ以上になっていて、作品は計算尽くめになっている傾向は否めません。破壊と創造が芸術の原点であるはずで、そろそろ私も今まで培ってきた規定路線を壊す時期に来ているのかもしれません。柱の木彫が一段落したら、こんな考えが頭を過ぎりました。
2021.05.14 Friday
「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中で、今日から「第3章 彫刻的陶器への発展と民衆的木彫の発見(1887末~1888末)」に入ります。今回は「1 状況-マルティニーク島滞在」をまとめます。ゴーギャンと言えば、タヒチ滞在で後世に残る作品の数々を生んだ芸術家として、近代美術史で知られている存在ですが、本書を読んでいくとタヒチに行く前に、さまざまな制作暦があり、革新性が評価されている絵画はもとより、陶器や彫刻でも大きな足跡を残していたことが分かりました。本書はとりわけ立体作品に着目した論文だけに、私は毎日本書を読んでいてその都度刺激を受けています。私がやっている陶彫は、既にゴーギャンが試みた表現のひとつだったことを改めて認識し、当時流行っていたパリの印象派を超えて象徴主義にまで辿り着いたゴーギャンの制作暦が、具体的に描かれていることにワクワク感がとまりません。この第3章から熱帯の島にゴーギャンが出かけていく状況が示されていて興味が尽きません。ゴーギャンはタヒチ渡航の前に、カリブ海の島を訪れていました。「1887年4月10日から11月13日まで、ゴーギャンはパナマおよびカリブ海のマルティニーク島への旅のためにパリを留守にした。」ゴーギャンが自らの作品世界を培うためには、原始的な生活を営む島での体験が必要だったと考えられます。「熱帯の島での最初の滞在は、病に苦しめられはしたものの、ゴーギャンに真の啓示をもたらせた。赤道直下の気候、豊醇な自然、そして黒人たちの逍遥するさまに接してゴーギャンは歓喜する。~略~こうして彼は、熱帯の自然とそこに暮らす人々のリズムを発見し、それは彼の絵画に新しい世界をもたらせた。そして《熱帯の植物》のように、装飾的画面の方向において、めざましい進展が得られたのである。」現在、私たちが接しているゴーギャンの代表作品はタヒチで描かれたものが多く、その独特な画面構成や色彩が、徐々に出来上がっていく過程を知って、熱帯の自然が彼に与えた大きな啓示を思わないではいられません。ただし、乾燥した肌寒いパリの気候とはまるで異なった熱帯地方の蒸し暑い空気は、彼の体調を蝕んだことも事実で、こんな文章もありました。「しかしマルティニークでの喜びも束の間、赤痢とマラリアに罹り、入院も余儀なくされ、その費用と薬代で滞在費は底をつき、8月末、帰国の算段を始めることとなる。」
2021.05.13 Thursday
「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第2章 最初の陶器(1886秋~1887初頭)」に入り、今回は「3 さまざまな形態構造と装飾原理」をまとめます。本章では4つの単元が出てきます。一つはジャポニスム、二つ目はペルーの古陶器の影響、三つ目は過去の西洋陶器への回帰、四つ目はグロテスク装飾様式です。まず、ジャポニスムからその定義をまとめます。「1.西洋の画家たちによる日本的モティーフの使用(ジャポネズリ)、2.画面構成の妙、絵画的手段の単純化など、造形革新における日本美術の影響、3.芸術と日常生活が結びつき、芸術と工芸、芸術家と職人を区別しない日本の社会的、文化的構造の影響である。」そうしたことによってゴーギャンは「絵画においては、日本のモティーフはときに潜在的に、象徴主義的な曖昧さの中に表され、炻器作品においては日本の芸術のように、素材の肌合いを生かし、焼成が及ぼす影響も表現の重要な要素とすることが意図されている。」とあり、他の印象派の画家同様にジャポニスムの影響下にあったと言えます。ペルーの古陶器の影響についてはどうでしょうか。「スペインによる征服以前のペルーの陶器は、実用性より宗教性、芸術性、彫刻性を重んじたのであり、ゴーギャンが『アメリカの土着の人々の陶器』に価値を認めた理由もここにあった。奇妙なさまざまな取っ手が注目されるゴーギャンの第一期の炻器においては、取っ手がしばしば器の全体的フォルムやその構造を規定しており、ペルーの古陶器の特異な首=取っ手、あるいは二つの壺を繋ぐ取っ手は、ゴーギャンに新しい形態を構想する上で重要なインスピレーションを与えていたことが知られるのである。」また、過去の西洋陶器への回帰にもゴーギャンは自分の作品に要素を取り入れていて、その真髄を掴もうと美術館や民族学博物館にも足を運んでいたようです。最後にグロテスク装飾様式ですが、次の文章を引用いたします。「ゴーギャンの作品の表面を飾っているのは、塑像や線刻によって表された人物や動物、植物や情景など、さまざまな異種のモティーフであった。このような器の表面に施された過剰なまでに豊かな装飾は、古代に端を発し、ルネサンス期に再興し、瞬く間に西洋世界を席巻した『グロテスク装飾様式』に通じるものを強く感じさせる。」また、こんな文章もありました。「ゴーギャンが行ったさまざまな異種の要素の寄せ集めによる表面装飾は、まさしくグロテスク装飾様式を支配するものと同じ原理に基づいているといえるのである。古代の壁面装飾からルネサンスへ、そしてルネサンスからフランス17、18世紀を通じてゴーギャンへと受け継がれた装飾様式に通底していたのは『幻想性』であった。」
2021.05.12 Wednesday
「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第2章 最初の陶器(1886秋~1887初頭)」に入り、今回は「2 アヴィランドのアトリエとの関係」をまとめます。アヴィランド兄弟は芸術陶磁器のためのアトリエを構えて窯を設置しました。陶芸家シャプレはそこの窯を譲り受け、ゴーギャンもそこで作陶をしていました。シャプレと協力関係にあった彫刻家はゴーギャンだけではなく、ダルーやロダンの名も挙げられていました。本書を読んでいくと、どうやらシャプレとゴーギャンの協力関係は長くは続かなかったようですが、こんな文章もありました。「この作品〔植木箱〕においては各々の側面に、シャプレとゴーギャンの出会いのきっかけとなった木彫レリーフ《化粧》と絵画《羊飼いの少女》のモティーフが、かつてシャプレが編み出し、オートゥイユのアトリエで盛んに用いられていたバルボティーヌ技法で絵画的に描かれている。これらはゴーギャンが絵画と彫刻、陶器を総合的に捉え、モティーフを一つの媒体から他の媒体へと自由に移すことを行った最初の試みとして注目される。絵画や彫刻から切り取られ、切り離されて、他の作品と組み合わされて植木箱の両側面の装飾モティーフとして表されるとき、各々のモティーフは植木箱という一つのオブジェの中でまた新たな意味を醸し出すのである。~略~また、自然主義主題におけるミレーの『落ち穂拾い』のポーズの借用も指摘できるであろう。ゴーギャンは1888~89年頃、デッサンや油彩画の中でしばしば腰をかがめるポーズを用いており、ミレーに対する賞賛の言葉も残しているが、《ブルターニュの農婦と鵞鳥を配した壺》はその最も早い作例である。」ゴーギャンの作陶した作品が図版として本書に出ていますが、器としての機能よりも創作的な細工が優先されていて、不思議なモノになっています。商品としては売れなかっただろうし、そうかといってゴーギャンの芸術が今のように尊重されていなかったようにも思います。次の章ではジャポニズムを初めとするさまざまな装飾が登場し、印象派の隆盛にもゴーギャンは関わりをもっていくのですが、日本の斬新な伝統様式がフランス美術界を席巻した当時の様子が、ゴーギャンの視点を持って描かれていくのではないかと期待しています。
2021.05.11 Tuesday
「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第2章 最初の陶器(1886秋~1887初頭)」に今日から入ります。今回は「1 作陶への取り組みの第一歩」をまとめます。1889年の万国博覧会についてゴーギャンの見解を掲載した雑誌記事を紹介します。「陶芸はつまらないものではない。時代をもっと遡ってみると、〔南〕アメリカ大陸の土着の人々の間では、この芸術がつねに珍重されてきたのだ。神は少しの土で人間を作り給うた。少しの土があれば金属や宝石が作れるのだ、少しの土、そして少しの才能があれば!まさにこれこそ興味深い素材ではなかろうか?」ゴーギャンは陶芸家エルネスト・シャプレとの出会いから陶芸を始めますが、シャプレとの協力関係で作られた陶器は僅か5点を数えるだけで、ゴーギャンの進んだ方向は、さらに芸術性の強い「彫刻するべき陶器」または「陶製彫刻」と呼べるものでした。これは私が追求する陶彫そのもので、私は京都の走泥社あたりが自分の技法の発祥かなぁと思っていましたが、ゴーギャンが陶彫の生誕に関わる最初の芸術家だったことを認識しました。こんな文章があります。「ゴーギャンは素朴で鄙びた味わいをもつ民衆的な素材である炻器の粗い表面と硬く焼き締まったプリミティフな感覚を好み、これを生かすために機械的手段である轆轤は用いず、時には紐状の陶土を巻き上げる『紐作り』の技法によって、時には板状の陶土を貼り合わせる『板づくり』の技法によって立体を成形した。」これはまさに現在私がやっている「発掘シリーズ」の陶彫の制作方法です。私にはもはや陶土を用いても陶器という概念はなく、彫刻を土のまま焼成して保存させるためにやっているのです。ゴーギャンの時代では、陶彫はあくまでも陶芸の範疇にあって、陶芸に革新を齎すものと考えていたのでしょう。「彫刻的アプローチによって陶芸に新しいフォルムをもたらすという大胆な芸術意図のもと、彼はこの昔ながらの素材にふさわしいプリミティヴで力強い生命力を備え、同時に新奇で近代的な陶芸作品を生み出そうとしたのである。」