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  • 週末 連続した制作の日々②
    日曜日になりました。今日は朝から2人の美大受験生が工房に来ていました。東京にコロナ渦の緊急事態宣言が出されたことで、ゴールデンウィーク中に行こうと思っていた東京の美術館が臨時閉館されたことを、彼女たちは残念そうに言っていました。私も同感で、東京で開催されている展覧会に足を運ぼうと思っていたのです。とにかくゴールデンウィーク中はずっと陶彫制作を続けることになりそうです。現在、新作の陶彫部品は3分の2は完成していますが、やらなければならないことが次々に出てきています。昨年度までウィークディは公務員として働いていたわけで、週末だけの制作でよく間に合ったなぁと思い返すことが度々あります。確かに今までは完成するかどうかの綱渡りはしていました。先月まで公務員として働いていたので、現在も綱渡り状態であるとも言えますが、今月は連続した制作の日々が続いているので、切迫した状態は回避しています。今年の新作は例年より陶彫部品の数が多いと思っていますが、全体構成としてはボルトナットで陶彫部品を繋げていくことがなく、組み立ては単純で、過去の作品のような危険な箇所はありません。円形の土台に陶彫部品を只管嵌めこんでいく作業になります。円形土台の残り半分の厚板加工がまだ出来ていないことと、土台表面に施す砂マチエールをまだやっていないことが今後の課題です。それでも今月は乾燥時間を取らなければならない陶彫制作に没頭することを決めているので、今日も朝から夕方まで陶彫制作一本に絞って作業を続けていました。日々連続して制作をしているため、土練りも頻繁に行っていて、貯蓄している陶土がどんどんなくなっていきます。この陶土の消化率も初めてのことですが、制作に勢いが出てきていることもあって、彫刻が精神の産物であるならば、これは歓迎すべきことなのかもしれません。明日も制作続行です。
    週末 連続した制作の日々①
    今月に入り、毎日工房に通う日々が続いています。工房に行かなかった日は、初日の江戸東京博物館に行った日と、13日の東京都現代美術館と東京国立近代美術館に行った日の2日間で、残りの日々は全て工房に通っていました。今までは公務員との二足の草鞋生活で、年末年始の休庁期間に連続して10日間近く制作したことがありましたが、今月のように20日間以上も制作が連続しているのは人生初めてのことです。以前のNOTE(ブログ)に書いたように、職場に出勤している如く、自分で決めた時間に工房に出勤し、夕方まで工房で過ごしています。職場と違うのは重責を担うことがないため神経を使わず、心が常に解放されていて楽しさに溢れていることです。毎年冬場になると、陶土を扱っているせいで、掌が荒れて保湿クリームを使っていましたが、今月は暖かい季節になっているにも関わらず、掌は荒れ放題です。ただ制作工程は思っていたほど進まず、これは陶彫が乾燥を必要とする焼成素材の特徴によるものと理解しています。陶彫は自分のイメージに見合った素材であることだけではなく、二足の草鞋生活で時間を置くことにも有効な素材であったわけです。日曜日の夕方に窯入れをすれば、私は月曜日から水曜日までを校長として学校運営に関われたわけで、水曜日の夜に窯の入れ替えをすれば、週末まで窯出しはせず、乾燥にも焼成にも都合の良い二足の草鞋生活だったのでした。今月は美術館に足を運んだ2日間だけ焼成の時間を取りました。これから美術館に鑑賞に行こうと思っても、3度目の緊急事態宣言が出された今となっては、休業している公共施設が多く、窯入れは連休明けになりそうです。今日も陶彫制作に励みました。明日も頑張ろうと思っています。
    新聞記事「異形の顔 両面宿儺」について
    昨日の朝日新聞の記事に面白い内容が掲載されていたので、NOTE(ブログ)で取り上げます。記事の見出しは「異形の顔『両面宿儺』は何者か」というもので、私は両面宿儺(りょうめんすくな)という存在を初めて知りました。それぞれ反対側に二つの顔を持っていた怪人で、歴史書「日本書紀」に登場します。編集委員がこの記事を書いた契機は、両面宿儺が人気マンガの主人公の敵役として登場するらしく、マンガによるキャラクターが、熱心な読者層によって既に知れわたっているのかもしれません。私はまだその人気マンガを読んだことがなく、日本古来の伝承をマンガのキャラクターに応用する手法は、私にも旧知の「鬼滅の刃」に登場する鬼にも通じるものがあるように思えます。記事によると「古くから、異形には邪悪なものを退ける力があると考えられてきた。『表裏に顔のある考古資料としては、縄文時代の香炉形土器や弥生時代の再葬墓から見つかる人型土器などがあるが、それらが二つとも同じ顔なのに対し、和歌山市大日山35号墳の入れ墨入りの両面埴輪は、片面の顔だけが口が裂けた異形に表現されている』(考古学者設楽博巳氏)と指摘する。」とありました。まだまだ解明されていない謎が残る古代史に、ロマンを感じているのは私だけではないはずです。マンガを初めとする表現活動に創作が入り込む余地があるとすれば、なかなか楽しいし、それが要因になって子どもたちが考古学に興味をもてば、学術層が厚くなるのではないかとも思います。ネットで調べてみると、日本書紀の両面宿儺に関する部分が出ていました。全て引用いたします。「六十五年 飛騨國有一人 曰宿儺 其爲人 壹體有兩面 面各相背 頂合無項 各有手足 其有膝而無膕踵 力多以輕捷 左右佩劒 四手並用弓矢 是以 不随皇命 掠略人民爲樂 於是 遣和珥臣祖難波根子武振熊而誅之(現代語訳)六十五年、飛騨国にひとりの人がいた。宿儺という。一つの胴体に二つの顔があり、それぞれ反対側を向いていた。頭頂は合してうなじがなく、胴体のそれぞれに手足があり、膝はあるがひかがみと踵がなかった。力強く軽捷で、左右に剣を帯び、四つの手で二張りの弓矢を用いた。そこで皇命に従わず、人民から略奪することを楽しんでいた。それゆえ和珥臣の祖、難波根子武振熊を遣わしてこれを誅した。」
    「仏像図解新書」を読み始める
    仏像のことはざっくりとした概観の知識しか持っていない私が、改めてここで知識を学び直そうと考えて、本書「仏像図解新書」(石井亜矢子著 小学館新書)を手に取りました。教壇に立っていた頃、美術科で鑑賞の授業があり、その時に仏像の簡単な知識を私は生徒に教えていました。修学旅行で京都や奈良に行く予定がある場合、その事前学習の一端として仏像理解を授業に取り入れていたので、深く追究することはせず、如来・菩薩・明王・天の4つのグループがある程度の知識で、授業を成り立たせていました。鑑賞にはどのくらいの知識が必要か、知識がなくても感覚的に感性を震わせる作品がないわけではありませんが、とりわけ現代アートの場合は、ほとんどの作品が空間を哲学的に解釈することが作品を味わうことになっているので、それに伴う知識が必要だろうと私は思っています。仏像の場合は特定の宗教との結びつきが色濃く出てしまいますが、純粋に美術作品としての鑑賞対象にもなり得ると私は考えます。仏像を彫刻として私に捉えさせてくれたのは、鎌倉時代の仏師運慶でしたが、運慶の仕事ぶりを知って以来、私は仏像を美術的な視点で見るようになりました。そのうち何回か私事旅行で関西に足を運ぶうちに私が愛してやまない仏像が登場しました。それは奈良の秋篠寺にある伎芸天で、その姿形の優しさに惹かれました。そんな私の僅かな仏像鑑賞体験ですが、知識があれば面白さは倍増すると思っています。本書の冒頭にこんな文章がありました。「『如来・菩薩・明王・天』の四つのグループは、実はそのまま仏教における”ヒエラルキー”を示すものといえる。筆頭は如来で、以下順番に格が下がっていく。これは、仏の価値とはまったく関係せず、役割に応じた区別にすぎないのだが、上下関係のある体系をなしていることが仏教思想の特徴。」とあり、仏像の見分け方として髪型や着衣があります。その中でも着衣は分かりやすい特徴があるので、文中を引用いたします。「仏像の着衣は、如来・菩薩・貴顕天部・武装天部の四種類に大別できる。如来は、上半身に袈裟をまとう。~略~菩薩は、裸形の上半身に条帛を斜めに掛け、下半身には裳を着ける。~略~貴顕天部は中国の貴人をモデルとした正装で、例外なく沓を履いている。~略~武装天部は文字どおり甲で身を固めた動的な姿で、動きを表現するために天衣をまとう場合もある。」本書は四つのグループの特徴を章に分けて記してあり、これは楽しみながら読めそうです。
    「初期作品ーさまざまな試み」について
    「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第1章 初期の彫刻(1877~1885)」のうち、今回は「2 初期作品ーさまざまな試み」をまとめます。ゴーギャンの最初の彫刻作品は写実的な肖像彫刻で、家族をモデルにした大理石彫刻でした。彼が近代的な彫刻へ目覚めたのはドガとの関係がありました。「ドガが描くモダンな女性や女生徒に対し、ゴーギャンは木彫《散歩をする婦人》において、素材の特質を尊重し、意図的に表面に滑らかな仕上げを施さずにナイフの跡を残して無骨な表現を与えている。とりわけ顔や手などの細部は未完成の観を呈し、全体の硬直したフォルムとともに、プリミティヴな表現を目指していることが理解される。流行の衣服に身を包む女性からかわいらしさ、美しさを剥ぎ取った、このような外観を与えたことは、ユイスマンに『ゴチック的に現代的である』との批評を促すことになった。」また、こんな一文もありました。「ブルジョワ社会の内側から下層社会の少女を厳しい目で捉えたドガに対し、ゴーギャンは原始社会におけるのと同様、性の倫理に囚われない動物的なたくましい女性の中に親しみと理想を描いていく。~略~ドガの影響を考える上で重要なものとしてこのほかに、素材の混合とポリクロミーの問題があるが、それはまた両者の芸術の違いを浮き彫りにする。ドガは踊り子を蝋で制作し、本物の衣装などを用いて、芸術と現実の境界に挑戦するレアリスムを追究した。これに対し、ゴーギャンの《歌手》におけるポリクロミーや背景の金の賦彩は、人物の発する超現実的表現性を強調するとともに装飾的効果をもたらすものであった。」論考の展開はゴーギャンの工芸にも及び、ゴーギャンの試みが多様化していたことが窺えます。「ゴーギャンにとって、手工芸も『芸術家気質を刻印する手段の一つ』であった。それはすでにこの芸術家としての出発点の時期から顕著であった。《書棚》、《クロヴィスの胸像》そしてこの《手箱》においてゴーギャンは、オブジェ・トルーヴェ、すなわち見いだし収得した既製品を用いながらそこにサインを施し、作品の芸術性を主張した。まさしくレディー・メイドの手法である。」M・デュシャン以前にこんなことがあったとは、私は知りませんでした。「ゴーギャンはアカデミックな彫刻から出発し、ドガの近代彫刻への大胆な挑戦に触発されつつ、ロマン主義からロダンまで彫刻家たちの作品にも注目していた。また装飾芸術と彫刻の境界線を取り払う試みにも挑戦した。さらにオブジェと芸術の関係にも踏み込んだといえる。」ゴーギャンの革新性を改めて知り、その後の作品の展開が楽しみになりました。